“ユニバース”全盛時代となったハリウッド映画の行き先は? 荻野洋一の『ザ・マミー』評
最後にひとつだけ問題を述べたい。けっこう大事な問題なのだが、それはつまり何かというと、この第1作『ザ・マミー』の出来が思ったほど芳しいものではないということだ。悪くはないが、もったいない点がある。再生するミイラをボリス・カーロフのような厳つい僧侶から、意志と発言力に富む女性(ファラオの王女)に変更したのは、賢明なアイデアではあるが、王女は理想の伴侶をもとめボリス・カーロフのように手当たり次第に殺人を繰り返すのというよりも、「この人に決めた」とトム様への一点突破に懸けている。どんなに凶暴でも、貞節さの限界を破れない。アルジェリア人女優ソフィア・ブテラは素晴らしい女優で、『キングスマン』での『殺し屋1』の大森南朋ばりのナイフ型義足も鮮烈だったが、今回は3700年ぶりに甦った皇族の役なので、怪物であると同時に、高貴な動き、ゆっくりとした歩き方で魅せてくれる。ソフィア・ブテラは述べる。「私が考えた、こういう身分の人たちの共通点は、必要以上に速く動くことはしないということ。声を張り上げることもないし、命令も浅はかではなく熟慮されたもの。ボリス(・カーロフ)の演技や、男性としての振る舞いはとても参考になると思ったわ」。彼女はボリス・カーロフに敬意を表明している。しかし、それでも彼女の野望と、トム・クルーズへの貞女ぶりがどうも引き合わない。
トムの相手役であるヒロインの考古学者ジェニー(アナベル・ウォーリス)も弱い。いろいろと怒ったりあせったり、たくらんだり走り回ったりするわりには、最終的には硬直したままトムの救出を待つだけの存在になり果てる。そして、もうひとりの主人公となるべきジキル博士(ラッセル・クロウ)の存在はそれ以上に曖昧で、途中、見せ場を作っておかねばという義務感に駆られたように怪物ハイド氏に変貌し、トムと軽く対決してみせたりもするのだが、中途半端の感は拭えない。まるでスタジオでのリハーサルを見ているようだった。
ちょっと待て。これからもっと面白くなるから。ユニバーサル社の内なる声が聞こえてくるようだ。研究所に捕獲されたミイラ王女とトム・クルーズが対峙して、古代エジプト語で言い争っているところにジェニーが介入しようと前に出かかると、ラッセル・クロウがこっそりと制止するというショットがある。もう少し様子を見てみよう。私たちは今まさに対峙する恐怖のありかを、謎の本質を、もっと知らなければならない。ようするに『ザ・マミー』一作でジャッジすることなかれ。ラッセル・クロウは、女性考古学者を制止する身振りによって、そう言外に語っているのだ。どうやらラッセル・クロウが演じていくジキル博士(薬が切れると怪物ハイド氏に変貌してしまう)は、「ダーク・ユニバース」全体の鍵となる登場人物となる予定だそうである。ジキル&ハイド、明暗両面に引き裂かれたこの人物は、おそらく「アベンジャーズ」環境にとってのロバート・ダウニーJr.(アイアンマン=トム・スターク)のような存在として君臨していくのだろう。
悪くはないが、やや消化不良の感もある今作を、ラッセル・クロウに免じて許容してみよう。たぶんこれからもっと楽しませてくれるだろうから。そしてそれを許容できぬようなら、このユニバース全盛時代に突入したハリウッド映画とは、まともに付き合ってはいけなくなっているのだ。
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』
TOHOシネマズ 日劇ほかにて全国公開中
監督:アレックス・カーツマン
プロデューサー:アレックス・カーツマン、クリス・モーガン、ショーン・ダニエル、サラ・ブラッドショウ
脚本:ジョン・スぺイツ、クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ、ソフィア・ブテラ、アナベル・ウォーリス、ジェイク・ジョンソン、コートニー・B・ヴァンス、ラッセル・クロウ
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures
公式サイト:themummy.jp