実写をアニメ化する試みは成功したのか? モルモット吉田の『打ち上げ花火~』評
あらゆる映画が再生産される時代になると、オリジナルへの思い入れなど、初めて観る観客にとっては何の意味もなさなくなる。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(以下『打ち上げ花火』)が、岩井俊二監督によるオリジナルの実写版と、今回リメイクされたアニメ版でどちらが優れているかといった比較は、大多数の観客にとっては、劇中の台詞を引用すれば、「花火なんて丸くても平べったくてもどっちでもいいじゃん」みたいなものかも知れない。とはいえ、アニメ版がオリジナル版を丁寧になぞった上で新たな物語を付け加えているだけに無視するわけにはいかない。どう脚色され、それが実写からアニメに越境する上でどう効果を挙げたのかという視点から眺めてみることにする。
最初にことわっておくと、筆者はモロにオリジナル版側の観客である。これは24年前、『ifもしも #15 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(本来、#15は本広克行監督『誘拐するなら男の子か女の子か』だったが、放送前に誘拐事件が起きたため放送中止となり、#16だった『打ち上げ花火』がオンエア時のタイトルでは#15となった)としてテレビ放送されているのを、後半もかなり過ぎたところで偶然目にしたことから、以降、再放送、劇場、レーザーディスク、DVDとメディアを乗り換えつつ数十回観返して、日本映画オールタイム・ベストの1本と惚れこんでしまったので、これはもうバランスの良い視点では観られない。
名作をリメイクするためには?
『打ち上げ花火』に限らず、熱狂的なファンを持つ作品、名作はリメイクする際に、誰が脚本を書くかが成否を分ける。全く思い入れもない人にあたると、独断で変更した設定がことごとく外していたり、オリジナルの要となる部分を平気で無くしたりする。その点、岩井の推薦によってオファーされたという大根仁が脚本を担当するなら、まず失敗作にはならないと安堵するのは、TV版『モテキ』第2話「深夜高速〜上に乗るか 下に寝るか〜」で、満島ひかりが『打ち上げ花火』の聖地巡礼へ森山未來を伴って出かける回が最良の発展的リメイクだったからだ。
オリジナル版で、なずな(奥菜恵)を母親が無理矢理連れ去るシーンを身振り手振りを交えて興奮気味に再現する満島が「ここジャンプカットだよ、ジャンプカット。あんなのテレビドラマでなかったから衝撃的だったんだ」と叫ぶくだりなど、こんなことドラマの中でやっていいのかと呆然とした。それでいて自己満足的な趣味に終わらず、ドラマとして昇華され、『打ち上げ花火』のクライマックスで印象的に流れる主題歌『FOREVER FRIENDS』までが『モテキ』のラブシーンを盛り上げる曲として全く異なるシチュエーションにはめ込んで成立させる凄腕を見せられると、アニメ版の脚本に最も相応しいと思うのは当然だろう。また、原田眞人監督の『盗写1/250秒 OUT OF FOCUS』(84年)への熱烈な愛が高じてリメイクされた『SCOOP!』(16年)が、理想的な修正アップデートリメイクになっており、主要キャラクターを整理する一方で、カット割りまで忠実に再現するなど、変えていい部分と、あえて残す部分の見極めが的確で、今回のアニメ版でもそのバランス感覚は絶妙である。
実際、前半はオリジナル版にかなり忠実というより、台詞も含めてほぼそのままと言っていい。これは以前から大根がオリジナル版を「綿密な脚本で演出も見事だし、一カットとして無駄がない。(略)やっぱり監督って、予算もスケジュールもタイトで、アイデアや気持ちで役者・スタッフ一丸となって乗り切るしかない状況の頃の作品が一番キラキラしてるんだなあということです。」(『ユリイカ 特集・岩井俊二』2012年9月号)と語っていただけに、自らがリメイク脚本を書くにあたり、そこに追いつくためには、『モテキ』でも〈再現〉によって接近したように、変える必要がない部分はそのままトレースするのが最良と判断したのだろう。実際、これによって筆者などは、すんなりとアニメ版に入ることができた。
細部に目を移すと、徒歩だったパートが自転車に置き換わり、プールでなずなの体を這う蟻はトンボになり、バザー→フリーマーケット、『スラムダンク』→『ONE PIECE』などの単語の置き換えに至るまで、オリジナル版のファンからすれば、こうした変更が繊細になされていることに安心する。最も大きな改変は、小学生だった主人公たちが中学生になったことだろう。登場人物たちの関係性はそのままに設定年齢を引き上げるだけでも、同じストーリーがまるで違って見えてくるはずだ。もっとも、オリジナル版が小学6年生で、アニメ版は中学1年なので、わずか1歳差でしかなく、少年たちは女子に対する態度、下ネタへの耐性など、わずかな違いを感じさせる程度だ。オリジナル版は少年たちの体格を極端に異なる配置にし、大人びた口調で喋らせるのがリアルだったが、アニメ版では背丈がほとんど変わらず、その言動が中学生なのに子どもっぽいと感じてしまうのは、比較しながら観る弊害だろうか。