『ぼくらの勇気 未満都市』は“問題作”だった? 20年目の復活でどう評価されるか
1997年に放送された連続ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』(日本テレビ系)の続編となるSPドラマが20年ぶりに放送される。
本作はKinki Kidsの堂本剛と堂本光一が主演を務めるサバイバルドラマ。大地震が起きた千葉県幕原市に引っ越した友人を探すために自転車で向かった高校3年生のヤマト(堂本光一)は、ボランティアで幕原へと向かうタケル(堂本剛)という同じ年の少年と出会う。ケンカしながらも意気投合する二人は閉鎖された幕原市へと忍び込む。しかし、地震というのは政府による情報操作で、幕原の大人たちは、去来した隕石に付着した(大人になると発病する)殺人ウィルスによって死に絶えていた。ウィルスに感染した子どもたちは政府に隔離され、街は子どもたちが食料や貴重品を求めて争う無法地帯と化していた。ヤマトとタケルは子どもたちを束ねて、閉鎖された街の中に臨時政府「未満都市」を立ち上げる。
監督は『ケイゾク』(TBS系)や『トリック』(テレビ朝日系)といったドラマを手がけ、テレビドラマの鬼才として知られる堤幸彦。当時の堤は日本テレビの土9(土曜夜9時枠)を主戦場としており、堂本剛主演の『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)を筆頭とするヒット作を次々と生み出していた。土9は、ジャニーズ主演の若手俳優×漫画原作×MV的な演出という方程式で、マンガやアニメの文体を持ち込んだキャラクタードラマの潮流となっていた。
本作もその流れにある作品だ。地震が起きた街にボランティアとして若者が駆けつけるという導入部は、1995年の阪神淡路大震災以降の空気を体現していると同時に、殺人ウィルスが蔓延して大人が死に絶え、子どもたちが疑似国家を立ち上げるという設定は、同じく1995年に起きた地下鉄サリン事件に端を発するオウム真理教の騒動を連想させる。子ども向けドラマ枠でやるには、時代の空気に深く踏み込んだ設定だったと言えよう。
また、本作には堂本剛と堂本光一の他に、後に嵐のメンバーとなる松本潤と相葉雅紀が出演しているのだが、「大人になれない少年たちがどうやって成長するのか?」という作品のテーマ自体が、少年のまま大人になるという矛盾を宿命づけられたジャニーズアイドルに対する優れた批評だったとも言えよう。
湾岸の倉庫街に軍用ヘリが下りてきて食料を配給する場面は、今の方が撮るのが難しいかもしれない。その意味でテレビ局にお金があった頃だからできた豪華な映像だろう。子どもたちをカッコよく見せるストリート感覚の映像は、後に堤が手掛ける『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)を彷彿とさせる。才能が完全開花する直前の堤幸彦のエッジの利いた映像も含めて、今見ると「ここまでやるのか」という、かなり攻めたドラマだったと思う。
しかし、放送当時は「ここまでが限界か」と、不満だった。これは、同じ評価を別の角度から言っているのだが、当時は先鋭的な攻めてる作品だけに、作りの甘さが気になっていた。
何より一番の問題は、本作がオリジナルと銘打ってはじまったことだろう。放送当時、週刊ヤングサンデーに連載されていた漫画『チャイルド★プラネット』(小学館)の設定と酷似していたことが、とても気になった。『チャイルド★プラネット』は永福一成が作画、竹熊健太郎が原作(のちに原案)を務めた作品だ。大人になると発病するウィルス兵器が暴発してしまい、大人が死に絶えてしまった閉鎖された街で、子どもたちが生き延びるために共同体を作って戦うという話だ。