『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』評
『オンリー・ゴッド』は失敗作だったのか? N・W・レフン監督の苦悩捉えた迫真ドキュメンタリー
賛否の渦を巻き起こした世紀の問題作、『オンリー・ゴッド』。ヒット作『ドライヴ』によって、次作への期待が集まっていたニコラス・ウィンディング・レフン監督が撮った、このあまりに奇妙な映画は一体何だったのか。その謎に迫るドキュメンタリー映画が、このほど公開される。
この映像作品『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』を撮影、監督したのは、ニコラス・ウィンディング・レフン(以下レフン)監督の妻で、女優のリブ・コーフィックセンである。レフンに最も近しい存在である彼女が、夫にカメラを向けた映像は、『オンリー・ゴッド』製作時の、彼の撮影風景のみならず、他人に見せることのないプライべートな姿や、製作がうまくいかず苦悩する姿まで映し出していた。
謎の問題作『オンリー・ゴッド』とは何だったのか
『オンリー・ゴッド』を初めて劇場で観たときの衝撃をよく覚えている。主演のライアン・ゴズリングや、レフン監督の名を知らしめた『ドライヴ』がスマッシュ・ヒットしたという経緯もあり、日本では比較的大規模公開されていたはずだ。そのおかげで、私もこの作品を地元のシネコンで気軽に観ることができたのだが、鑑賞中に背筋が凍りついてしまった。ハンサムなライアン・ゴズリング演じる主人公は、ほとんど活躍することがなく、代わりに、タイの俳優、ヴィタヤ・パンスリンガムが演じる、背が小さく頭髪の薄い謎のアジア人が、あたかも神の執行者のように、圧倒的な武力で次々と罪人を裁いていき、カラオケを歌うシーンが繰り返されるのである。一体、これは…。
最小限の説明と、美的に研ぎ澄まされた色彩感覚。たしかに、『ドライヴ』に共通する要素は多い。だが『ドライヴ』は、ライアン・ゴズリング演じるはぐれ者が、悪者から一家を救うという、西部劇『シェーン』のような、きわめて分かりやすい娯楽映画の定型に沿っていたため、それらの実験的な要素が、多くの観客に受け入れやすく、新しい作品だと評価されたのである。
一つの作品のなかで新しい要素があまりにも多いと、観客が理解しきれず、どんどん脱落していってしまう。広く評価される作品を作るには、『ドライヴ』のように、ある程度は「お約束」の展開を用意したり、カー・チェイスなどのアクションや、ポップでオシャレな表現を散りばめるなど、観客へのサービスが必要であることは確かだ。『オンリー・ゴッド』は、そのような気配りがあまり見られず、実験的な部分がゴリゴリに先鋭化したものになっていたのである。