BOMIが新作映画を語る新連載スタート 『ラ・ラ・ランド』はよくできたJ-POPに近い?

BOMIが新作映画を語る新連載スタート

 2016年12月に3rdアルバム『A_B』をリリースし、2017年2月には山田佳奈率いる劇団「□字ック」とのコラボレーションによるワンマンライブを行うなど、シンガーとして活躍しながら、近年は女優としても注目を集めているBOMIが、毎月2本の新作映画を語る新連載「えいがのじかん」。第1回は、第89回アカデミー賞で最多6部門を受賞したデイミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』をピックアップ。一映画ファンとしてはもちろん、ミュージシャンとしての視点からも、独自の見解を綴ってもらった。(編集部)

「統計学的に作られた歌詞を歌う、よくできたJ-POPを聴いた感じに近い」

 リアルサウンド映画部読者の皆さま、はじめまして。今回から映画に纏わる連載をすることになりました、ミュージシャンのBOMI(ボーミ)です。

 わたしは評論家ではないので、この連載は、極私的なわたしの感想、レビューと捉えていただいて構いません。ただ、SNSの発展とともに、「良かった作品以外は感想書かなくていいのに。良いと思っていた人が目にすると気分悪いじゃん(怒)」みたいなムードも変だなと思っていて。映画や音楽、絵画やインスタレーションなど、現代に存在するあらゆる「表現」に私たちが触れた時、一個人が理解出来る範疇を超えたもの、理解できたけど共感できないもの、理解出来ないけどスゴいと思ったもの、今の自分に重ねて泣けちゃったもの、今の自分を重ねて、だけど「この先が見たいんだよ! お願いこの先を表現してくれ!(そして私の人生に道標をくれ!)」と思ったもの。色んな感想があっていいんじゃないかと思うんです。もっと自分の目に映った世界の色、かたち、においを自分が信じてあげてもいいんじゃないかと思うんです。

 だからこの連載では、せっかく編集部の方に機会をいただいたので、映画に対してもっとフラットに、のびのび語れる場所を作れるよう、自分でも意識していきたいなと思います。

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 はい、ということで、第1回。今回は『ラ・ラ・ランド』を取り上げます。この映画、今となっては最早ちょっといわくつき(?)。公開当初は絶賛の嵐で、映画を観た後にイマイチピンと来なかった私は「え、ほんとに……? 本当にみんなそんな感じなの?(=絶賛の嵐に感想言いづらいなー……。しかも1回目じゃん。マジか。つらいなー)」と、自分の感想を声にすることをためらうような感じがありましたが、菊地成孔さんの評(参考:菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね)が出てから、「おや?」と思っていた人たちが声をあげやすい環境になり、レビューが大戦場と化したのはこの記事を読んでいる皆さんなら既にご存知のことでしょう。今は、絶賛する人か、ピンと来なかった人かで、意見がハッキリと割れている印象です。

 さて、わたしの所感。この映画、エネルギッシュな良作だなとは思いました。でも、かなり目を細めて遠ーい目で観てました。スゴい衝撃があるとかではありませんでした。共感はできませんでした。さっきの感想に当てはめるならば、「ここまではわかった、よくある話じゃん。わたしはこの先が見たいんだよ! この先を表現してくれ!(そしてわたしに道標をくれ!)」が一番近かったかな。エマ・ストーンとライアン・ゴズリングという主演2人への過去作での惚れ込みっぷりから、過剰に期待しすぎたことも影響しているかもしれません。

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 全体の印象としては、とてもよくできたJ-POPを聴いた感じに近いです。統計学的に作られた歌詞を歌う音楽(でも統計学なのでドンピシャで自分の状況や環境がハマると泣いてしまうことだってあります)。たくさんの要素があって、そのひとつひとつがきちんと分かりやすく映画に落とし込まれているのは感じるんですが、オリジナリティー……。何かとても重要な、オリジナリティーというものの欠如を感じました。

 ストーリーを簡潔なあらすじとしてまとめると、才能がある人たちが惹かれ合って付き合うんだけど、成長していく速度が同じじゃないと一緒にはいられないってお話になると思います。そのお互いの輝きのバランスが崩れちゃうとうまくいかなくなってしまう、というやつ。音楽の世界に例えるならば、ボーカルとボーカルがお互いにまだ何者でもないような時に才能に惹かれ合って付き合うのだけれど、その後3年の間に一方のバンドは売れ行き武道館へ、一方はライブハウスで最初に人気はあったものの、タイミングを逃し泥を這うような屍の世界へ。そんな2人が無邪気にずっと一緒に隣りにいられますか? さてあなたはどう思う? って感じかな。ボーカルってボーカルに惹かれるんですけど、うまくいかないだろうなって察しは予めついてしまうんですよね。想像するだけで鳥肌が立ちます。

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 あ、もちろん、アカデミー賞で6部門も受賞しているだけあって、個々人のスキルがあまりにも高く、それ故にキャッチーな映画だったとは思います。でも、わかりやすくても普遍的なことを深くディグするような作品だってあります。『シザーハンズ』しかり、『いまを生きる』しかり、『キューティ・ブロンド』しかり(ただ自分の好きな普遍的な映画を並べてしまいました。すみません)。そう考えると、『セッション』の時からうすうす感じていたのですが、私はデイミアン・チャゼル監督が苦手、なのではないかと。こればっかりはもう、仕方ない。同じ映画を同じキャストで、厭世家でロマンチックなウディ・アレン監督が撮ってたらどうなってただろう。それとても観たい、早く観たい、夢で見させて神様! と勝手に妄想したりもしましたが、夢には現れてくれませんでした。

 チャゼル監督の前作『セッション』は、音楽は練習した分だけ実るというような時間主義の映画でした。実際音楽をやっていない人は憧れる部分があるかもしれないけれど、「いや、そんなことないでしょ!」といくばくかの胸焼けを覚える違和感を感じて。10000時間やればプロになれるって言説もありますけど、そもそものセンス込みだと思います。なんていうか……「頑張れば報われる!」は正義じゃない。世の中ってもっと不条理ですから。あと最後まで先生と生徒のセッションが不協にしか聞こえずにモヤモヤ。チャゼル監督の音楽の捉え方は、自分の感性とあまり合わないなっていうのはその時にも感じていたのですね。ある意味ブレがないですね、あなた(チャゼルさん)もわたしも、という。だけど、監督はチャゼルさんだったわけです。そして、チャゼルさんじゃなかったらこんなにアカデミー賞でたくさんの賞をもらうこともなかったのでしょう。何より、『セッション』を観て、苦手かも……と思ったわたしにもう一度劇場まで足を運ばせる作業、というのは多分思った以上に大変なはず。でもそれを豪華な面子に製作陣、3分間の期待しかもてないキュートな予告でサッとやってのけたのですから。それってある意味スゴいことです。

 ただ、わたしにとっては3分間で映画のすべてが語れてしまっていたことも、やっちまったな問題で。同じような題材を扱いながらも、昨年公開された山戸結希監督の『溺れるナイフ』なんかの方が、ずっと2人の刹那の煌めきを切り取れているような気がしたんです。ラストシーンなんて、内容で言ったら酷似どころか同じ展開ですが、堰を切ったように切なさが溢れ出して、「え? どういうこと?」とヒソヒソ声が飛び交う高校生女子たちにまみれて、嗚咽しながら劇場で泣いていました。こういうこと、映画ってこういうことなんだよっ、て。

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