『グランド・イリュージョン』続編に見る、マジックと映画の相性ーー物語に仕組まれた“トリック”とは

 “イリュージョン”という言葉を聞いて、即座に“ツムラ・イリュージョン”というイベントを思い出したとしたら、それは間違いなくアラフォー世代。20世紀後半に日本中を席巻した、テレビ局主導の一大イベントとして連日連夜スポットCMが垂れ流し状態だったあの時代を懐かしむ世代には、この“イリュージョン”という言葉が妙に心の琴線を刺激するだろう。筆者もその一人だ。

 ルイ・レテリエ監督による第一作『グランド・イリュージョン』が公開されてから3年。第一作の大ヒットを受け、一作目が日本で公開する前から製作が決定していたという待望の続編『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』が日本でも公開された。

 

 前作は、ジェシー・アイゼンバーグ演ずるJ.ダニエル・アトラスをリーダーとする“フォー・ホースメン”と名乗る謎のマジシャン集団が、世の不正を暴くべく一般大衆の目前で堂々と銀行強盗を行い、巨悪に立ち向かう姿を痛快に描いたエンターテイメント性の高い秀作だった。その“フォー・ホースメン”のメンバーが再び立ち上がり、巨悪に立ち向かう…というのが続編のストーリーかと思いきや、出来上がった作品は思いもよらぬ意外性に満ちた展開で、再び観客を煙に巻くこととなった。

 マジックのネタばらしは同業者から忌み嫌われるもので、以前あるテレビ局がマジックのネタばらしを特集したバラエティ番組を製作したが、日本奇術協会からの猛反発を喰らい放送そのものが中止になったことがある。マジシャンにとって、ネタばれは死活問題に繋がってしまうのだから、それは致し方ないだろう。

 それでも、視聴者や観客の興味が尽きないのがマジックの醍醐味だ。タネがあることが分っていても、大仕掛けで意表を突いたイリュージョンを目の当たりにすると、素直に騙されてしまう。気持ちよく騙される快感を楽しんでいるのだ。

 

 映画とマジックは、映画の父ジョルジュ・メリエスの時代から相性が良い。このことはマーティン・スコセッシが監督した『ヒューゴの不思議な発明』で事細かに描かれていた。また、クリストファー・ノーランが監督した『プレステージ』でも描かれた通り、マジックのタネ明かしは実はとても単純なものが多い。瞬間移動は実は双子を使っている…とか、小さな鳥を使ったマジックでは、一羽は潰してしまう…とか。ただ、『プレステージ』には、それ以上に意外すぎるほど意外なトリックが仕掛けられていたが、これはマジックというよりもSFに近い展開なので、例外ともいえる。ネタバレはしたくないので、何が起ったかはこの稿では伏せておくが、映画のジャンルそのものがトリックというパターンもあり得るということだ。

 フランシス・フォード・コッポラがプロデュースした、キャレブ・デシャネル監督作品『マジック・ボーイ』も埋もれた名作として映画ファンの間で語り継がれている傑作だ。縄抜けマジックの天才と言われた父親譲りの神童ダニー(演じているのは『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニールの実弟グリフィン・オニール)が、市長のドラ息子からくすねた財布の中に、汚職の証拠の札束が隠されていた…というストーリーで、かつて父親が失敗し命を落とした縄抜けのマジックに、息子が挑戦するというのがクライマックス。小品ながら小気味のいいテンポで展開し、キレの良い最後のドンデン返しが(観た人は少ないが)観客を魅了した。縄抜けマジックの租と言われる、ハリー・フーディーニをインスパイアしたストーリーである点も嬉しい。現在DVDが廃盤なので、再発売が待ち遠しい一本だ。

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