菊地成孔の『インサイダーズ/内部者たち』評:とうとう「銃が出て来ないギャング映画」が韓国から

菊地成孔『インサイダーズ/内部者たち』評

それならば日本の「リアル殺傷道具」は?

 こらもうナイフと車とSNSで決まりですね。秋葉原のあの事件は、その全てを使用した。と言う事もできますし、脱法ハーブ(「危険ドラッグ」という言葉は、自明過ぎるわ日和見過ぎるわでアホらしいのでワタシは使いません)をキメて車に乗り、人を次々と轢き殺しながらぶっ飛ばす、というのは、やった奴らは全員「最高」と言いますし、よしんばドラッグ使わなくても、「車が殺傷道具になる/ならざるを得ない」リアルさに疑問を持つ方はいらっしゃらない筈です。

 しかしですね、一般社会の事ではなく、日本映画の中で、サヴァイヴァルナイフから文化包丁まで、ナイフ全般と、トラックから小型自家用まで、車を使って人を殺す描写に関して、身も凍るほどのリアルなのって、観た事あります? 不勉強ながらワタシありません。「誰彼のアレは、車で挽き殺す描写ヤバいよ」みたいなのがあったら、ご教示いただきたいです。ただただエグいだけとか、猟奇殺人の犯人が使う、みたいなのはダメですよ。リアルの話です。「これリアルだよ~。やだよ~」という奴ですね(『夜叉』で、ビートたけしが振り回す出刃包丁や『青春の殺人者』で水谷豊が使う果物ナイフとか、ああいう奴の事です)。

 しかしこれは、「社会現象の一端が映画にどう取り込まれるのか?=映画の欲望」というステージの問題であって、ひょっとしたら日本は、よしんば将来、銃社会が来たとしても、映画の中の銃はパーティーグッズのままかも知れない。問題はやっぱり、欲望なんです。(「70年代以前」は別です。というのは「敗戦トラウマ」という、強烈で異形の欲望が日本映画界に残存していたので。この話もとても重要なのですが、話がぜんぜんビョン様の映画にならないので深追いはしません3もしくは4)

とさて、プロレスのヒールの様な気分で、敢えてこんなに長々と「銃」の話をし続けたかと申しますと

 なななな何と、この映画には銃が一瞬も出て来ません。そして、それによる不自然さ。も全くありません。

 これは、一瞬、驚くべき事であるかのように思われますし、実際ワタシも初見時は、のけぞるほど驚きました。「あっれ!とうとう出て来なかったよ!!銃!!」といった感じで。

 しかし、ちょっと考えればすぐに解る事ですが、「韓国は、実のところ、合衆国ほどは銃社会ではない」という点、そして何よりも「それでもしかし韓国には、リアルな暴力や残虐を描きたいという、映画の欲望が漲っている」という事ですね。やっぱり、欲望なんですね、問題は。

 本作を律する瑞々しいまでの知性と誠実さは、この事(激しいバイオレンス映画なのに、銃が出て来ない)によって証明されています。

コリアン・ホット?

 本作の原作は「ウエブ漫画」です。毎度毎度しつこくて申し訳ありませんが、ワタシはジャパンクール一般をほとんど嗜みません。なので、「ウエブ漫画」なるものが、我が国に存在するかどうかも知りません。

 ただ、韓流ドラマを観ていると、主人公が「ウエブ漫画家」だったり、漫画喫茶の描写が「書籍の格好に成っているのは日本の漫画。韓国産の漫画は、絵やストーリーこそ日本の漫画のなぞりだけれども、ウエブに直接デジタルで書き込むスタイル」だったりして、「ウエブ漫画」が、どうやら韓国での漫画文化のメジャーなのだという事がうっすら伝わって来ます。

 バイオレンスバイオレンス書いて来たので、肝心要のストーリーですけれども、これは非常に凝っていて、松本清張の政治物の水準と言うか、「韓国でさえ、こうした物語を精緻に書くのは最早小説ではなく漫画」という現象が進んでいる事を示していると同時に、既にK-POPによって知っている事とはいえ、韓国には韓国なりのサブカル/エンタメの発達があるのだな。と思わざるを得ません。

 タイトルが示唆しているんですが、一言で書くと「腐敗しきった巨悪を倒すのも、暴力団同士の抗争も、どんな闘いも、勝利の方程式は<一度、敵の内部に入って裏切る事>である」という事です。

 このテーマが、ややもすれば振り落とされそうに成ってしまうほど展開の多いストーリーを貫通することで、物語の同一性を保ち、この種の物語に完全搭乗するのが苦手な方でも、悠々と乗りこなせるようになっています。もうちょっとチラ書きしてしまうと、腐敗した巨悪や、手を切り取られるほどの暴力が渦巻きながらも、本作は、呪いや怒りのカタルシスだけでオーガズムに達するイージーさを徹頭徹尾避けています。

 と、これ以上は書けませんが(ネタバレの嵐ですし、何せ宣伝側の売りは「ラストの大どんでん返し」なので)、この映画は、そこまで知的で誠実で、情熱とテーマ性に満ちあふれているというのにも関わらず、結局のところ

ビョン様の大スター映画

 なんですね。ここが凄い。普通だったら、「あの大スター、イ・ビョンホンですら、物語の駒のひとつとなって、リアルな演技を見せ、作品の風格を支えた」ぐらいでもバチは当たりません。それほどしっかりした作品です。

 しっかしもう、これが『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジョニデや『MI(ミッション:インポッシブル)』のトム様もかくやというほどの一枚看板なのよ(笑・因にビョン様はデップやトミーの7つ下ですが)。ペン必見。でありながらペンには刺激が強すぎるか。といったアンビバレンスで、結局ペンをびしょびしょに身もだえさせてしまうという構造です。

 (もう全然関係ない話なんで段落変えたカッコ。という例外的な書記法を使いますが、ビョン様の英語力は我らがケン・ワタナベに匹敵、というか、ケンよりちょっと上手いぐらいで、今年のアカデミー賞の「外国語映画賞」のプレゼンターを、スペイン語圏であるコロンビアの女優、ソフィア・ヴェルガラと2人で務めましたが、ベルガラが開口一番「ブエナスノーチェス」と挨拶したのに対し、ビョン様はすぐに流暢な英語でスピーチに入ってしまいまして、ワタシは「ビョンちゃん!ここはソフィアに続いて「アンニョンハセヨ」と、クールな声で言うべきだろうがよアカデミー賞で!!」と、思いっきり指差しダメ出しをしてしまいました)

そして、更に驚くべき事には

 前述の通り、デップ、トムよりも7つ下、今年46歳になるビョン様が、本作でロールモデルにしているのが、『傷だらけの天使』のショーケンや水谷豊、『太陽にほえろ!』のショーケンや松田優作、『股旅』のショーケン、『青春の蹉跌』のショーケン、と、結局ショーケン一点張りである事なんですね。ワタシこの事にビックリしている間に銃が出て来ない事に気がつきませんでした。

 デップが『パイレーツ』で、キース・リチャードをロールモデルにしたのは、今年のグラミー賞授賞式での「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」(ロック好きのデップが、ハリウッドで遊んでいるレジェンダリーなハードロッカー達とつるんでーー酒とかいろいろな物を奢ってやってーー行くうちに結成されたバンド。デップはサイドギターとサイドヴォーカル。ディスではなく、微笑ましいレヴェルで、端的に言ってヘタ・笑)の、嬉しいとも、ヤバいとも、笑えるとも、なかなか辛いとも言える、無邪気なライブを観るまでもなく、ある意味で順当すぎる事です。これほど本人がロック好きで、ジャック・スパロウはちょっとゲイっぽいコミカルなグラムロッカー的なキャラですからね。それにデップはある時期から「役作り」と「コスプレ/キャラ設定」が液状化した俳優です。

 でも、ビョン様突如のショーケン・セヴンティーズ化には流石に驚きました。韓国のあらゆるエンターテインメントが、日本のそれを目標に、追いつけ追いこせでやってきた事は、20年前と言わず、10年前の韓国の音楽やテレビ番組を振り返ればどなたにでも瞭然とされる事です。

 しかし、もうそんな時代でもなく成って来た頃、である今、どっちかっつうと役作りの作法が、デップ的なカリカチュアされたコスプレ感ではなく、「いつでもどこでも俺」的な風格と「きちんとした役作り」が同居している、要するにスター俳優の平均的なスタイルだったビョン様突如のショーケン・セヴンティーズ・リヴァイバル、しかもプレスキットには「衣装(アロハとスカジャンからピエール・カルダン風のスリーピースの使い方絶妙。今これが流行ってる感ではなく、ショーケン完コピ)からヘアメイク(パーマロンゲのオールバックと、ストレートショートの固すぎないオールバックやはり完コピ)まで、総てビョン様がご自分で決めた(因に、偽闘のムーヴも心無しか似ています)」という事件の新鮮さはハンパなく、しかし「これは、過去のインタビュー等に当たれば、驚くべき事ではない。彼は端的に萩原健一氏の熱狂的ファンである」という事なのか、はたまた、<コミカルでクールなチンピラ像>として、あらゆるものがコンテンツ/ネタ共有化した世界で、ショーケン・セヴンティーズがチョイスされ、サンプリングされたのか、不勉強ながらワタシ、まったく解りません。因みに、本作では一貫して全羅道(チョルラド)の方言で演じられています(再び因みに、ビョン様はソウル生まれです)。

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