菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第3回(後編)

「シネフィルである事」が、またOKになりつつある 菊地成孔が“ニュー・シネフィル”映画『ハッピーアワー』を分析

「Keiko」を観たかね?

 さて、この映画を批評する前に是非とも挙げたいのは、ブレッソンでも、恐らく、監督が相当影響を受けている様にしか見えないカサヴェテスでもなく、誰もが忘れている『Keiko』という映画です。

 フランス人のクロード・ガニオンという監督が1979年に日本で撮った作品なんだけれども、C.ガニオンは、映画史上の、隠れた大奇人で、まず、名前だけ聞くと誰もがフランス人だと思う。ところがカナダのケベック州出身で、だから名前がフランス人っぽいんだけれども、別にそこは奇人ではない。

 万博〔1970年〕のときに日本に報道カメラマンとしてやってきて、よくある「日本にかぶれた外国人」になるんですね。それで日本人女性と結婚して(彼女はガニオンと製作プロダクションを作り、映画製作者になるんだけれども)、日本に定住することになって、そこで最初に撮った長編劇映画が『Keiko』っていうのね。(参考:Keiko (映画) - Wikipedia

 その映画はオール素人。C.ガニオンがどれだけロベール・ブレッソンのことを意識していたかは全くわからないんだけれども、彼は日本のカンフーアクション映画に1本だけ悪役で出演して怪演したりして、とにかく変わった人。

 写真家上がりでドキュメンタリストで、最近だとま、、最高に良く言って、ペドロ・コスタみたいなね。映画をドキュメントのつもりで撮っていくというような、最近のアート映画の潮流というか、最終手段の1つをやったかと思えば、今言った様に、千葉真一の空手アクションみたいなのに悪役で出たりして。

 そして決定的なのが、『Keiko』よりもはるかに有名な映画で『ケニー〜スケボーに乗った天使』という、下半身が全くなくてスケボーに乗ったままで生きている男の子の映画(なんとドキュメンタリーではなく、劇映画)も撮っており、それはもう世界的に有名な作品として、大ヒット作になった。若い人は知らないと思うけど、みんな『ケニー』はやっぱり驚愕とともに見たと思うんですよね。下半身が全くないのに生きていて、だから移動手段がスケボーだという。車椅子すらケニーは拒否しているんで。驚くべきことに、今回ちょっと調べたら、まだ存命中でした(汗)。

 C.ガニオンはその後、ヨーロッパのテレビ局で『トーマの愛のために』(1994年)という番組を撮って、ヨーロッパのテレビ番組史上、最高視聴率を上げたりもしている。全然輸入されないんだけど、いまだに映画も撮っていて、とにかくまあ、比類なき奇人。

 その人の処女長編『Keiko』はATGなんですけど、ワタシは中高生のときにこれ観ているんですよ。それは恐ろしいというか、すごく変わった映画で、聞き取れない台詞とか、俳優が台詞噛んで言い直しているのも全部撮っているの。そもそもカメラとマイクが別々だった時代だから、マイク一がダメで、台詞の録音にムラがあったりして。

 言ってしまえば「ドキュメンタリー手法の導入(シネマ・ヴェリテというか)」なんだけれども、そしてしかも、70年代中盤の段階でレズビアンという題材を扱っている。今はもう同性婚の時代だけど、当時はレズビアンというのは完全な被差別で、カムアウトなんかとんでもなかった。それで主人公のケイコは一緒に住んでいた、本当に愛していたレズビアンの相手と別れて、親が勧める婚約話で、死んだ目のまま異性と結婚するという、大変な悲劇を描いているんですね。それが、ワタシにとってはいわゆる「トラウマ映画」になっている。未だに「何だったんだろう?アレは?」と思っている『ケニー〜スケボーに乗った天使』なんか比べ物に成らないほどの衝撃。

通奏音としてのレズビアニズム

 『ハッピーアワー』を観た時、まず心的な第一接触として、まあシネフィルはブレッソンとかカサヴェテスとか言うだろうけど、どんなシネフィルでも『Keiko』の話はしないだろうなと思いました。でもワタシのイメージの中では、『Keiko』がどうしてもトラウマ的に癒着していて、主人公が全員女ということもあって、若干のレズビアニズムというのがこの映画の中に通奏低音のように薫っているように感じてしまう訳です。今様に言うと、これはシスターフッドという事になるんだろうけど、シスターフッドなんていう、健康的で制度的な状態ではなく、通奏低音としてのレズビアンと言った方がしっくり来た。

 まあ実際には、彼女達は結婚したり離婚したり恋愛したりして、異性愛のことでみんな悩んでいるわけだから、全然レズではないんだけど、フロイド的に言うと、実際この人たちがレズビアンじゃなくても、それは抑圧されてるんだ、という事に成ってしまう。だからそれがむんむんと薫っていて、それを露骨に物語の中に持ち込んじゃった『Keiko』とつながっちゃっているんですよね。だから見ている間じゅう、ずっと『Keiko』のことを思い出し続けていて、久しぶりに見直そうかなと思った。何せ『Keiko』は全編、京都ロケ、こちらは神戸。大雑把に言って、さっきの「リアルな方言と、フォームがバラバラな標準語」の問題を、そっくりそのまま移送した形に成っている。とも言えなくもない。

 何度もしつこいが、全部が推測にならざるを得ないんですが、監督は恐らく『Keiko』のことは知らないと思うんですよ。年齢的に知っていてもおかしくないし、シネフィルだから資料として知っているかもしれないけども、もし意識していたら、『ハッピーアワー』は、こんなにも『Keiko』と癒着的にはならない、何かが違った筈です。

 あと考えどころは、シネフィルとして、ここまで書いて来た「素人映画の名作」をリスペクトしているのか、実はぜんぜん映画鑑賞のアマチュアもしくはゼロの人で、全くオリジナルな形でやったのかもしれない。リテラシー低いまま観るという立場を貫くならば、パンフレットでドキュメンタリー映画を撮っていることだけは知っている。だから、ドキュメントのカメラによって劇映画を撮るとどうなるかという、いろんな人がやろうとしていることをやって、それを非常にうまくやった例だということはできるわけです。

「シネフィル」差別の終わり(ボンクラの疲労)

 それで思ったのが、最近になってまた、いかにも「シネフィルが撮っています」という映画が許されるようになってきたということ。ワタシは、その鍵をこじ開けたのは実はホン・サンスだと思っていて、韓国の50過ぎた監督が、あるとき突然――日本人から見ると。韓国的にはもっと長い歴史なんだけどーージャン・リュック・ゴダールとエリック・ロメールの臆面もないオマージュをやり始めたという。ここ数十年の流れの中で、シネフィルが映画を撮ることに対して、観客が陰性感情を持って排除していくのと、陽性感情を持って迎えいれて持ち上げるという、力学というか、流れみたいなのがあって、まあ、タランティーノだのウェス・アンダーソンだのを殿堂入りさせて奉るか、(死語ですが)オワコンとして(死語ですが)ポイしてしまい、葬り去ったか。というアティテュードの違いに成ると思うんだけれども、我が国だけ見ても、ここ数年の人気監督は園子温にしても、三池崇史にしても、シネフィル的ではなかった(実際どうだったのかは関係ない。作品から見渡せる事として、という意味)。

 それまでのシネフィル映画というのは、アカデミー賞ですらポイで、全米批評家協会賞もしくはカンヌもポイで、シネマテーク・フランセーズとかそういうところでやっている、もう誰も見ないような映画まで見ているという履歴の中からオマージュを捧げるという形でやるとカッコイイ、という、マニアが偉い時代が80年代とかにあって(笑)。でも映画にそれほど詳しくない観客の、「いや、オマージュとか、ここが引用とか言われても」という感情がだんだん高くなってきた。

 70年代から80年代までは結構、牧歌的な時代で、ブライアン・デ・パルマがヒッチコックのカットを引用したとか、それ見つけて喜んだりとか、『スター・ウォーズ』=『隠し砦の三悪人』〔1958年黒澤明監督作〕でバンザーイみたいな下地があったんだけど、もうそういうのはダメという感じになってきた。

関連記事