死は誰のもの? イスラエルから届いた問題作『ハッピーエンドの選び方』が突きつけるテーマを考察

『ハッピーエンドの選び方』のテーマを考察

 死は誰の身にも平等に訪れるものーー。そんな気休めの常套句など百も承知なので、今さら必要ない。そう、必要ないはずなのだが……それにもかかわらず、人類は長い歴史の中で死についてあまりに多くの思索を巡らしてきた。宗教を興し、儀式によって死を敬い、さらには創作という土壌で、様々な死についてシミュレーションすることにも余念がない。

 大袈裟に言ってしまえば、文学であれ、舞台であれ、音楽であれ、映画であれ、そこに何らかの幕切れがある限り、全ての創作物は死を内包している。我々は死から逃れられない。でもだからこそ、仮に真正面から死について扱った作品と出会った時、私たちはむしろ死から照り返す「生」について意識を巡らすべきなのだろう。イスラエルから届いた『ハッピーエンドの選び方』も、そんなことを思わせる異色の映画だ。

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(C)2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION.

 社会的な基準からすれば問題作、ということになる。舞台は健康的なお年寄りが暮らす高齢者ホーム。発明好きなヨヘスケルも、愛妻と共に快適な毎日を送るここの住民だ。各部屋は割と広く、食事時になれば自ら食堂へ足を運ぶ。外出も自由だし、屋内プールも完備、もちろん家族の来訪も可能なので、空いた時間で孫の面倒を見ることだってできる。しかし、そんな申し分ない毎日を送る彼らも、死だけは制御できない。余命わずかの親友が痛みに苦しんで「もう死なせてくれ」と目の前で懇願しているのに、為す術もなく見ているしかないのだ。

 親友の苦しみを楽にしてやろうと、ヨヘスケルはひとつの発明をする。それは自らの意志でスイッチを押すことによってその1分後には死をもたらす点滴が流れ込むという装置。これによって親友は自らスイッチを押し、苦しみを引きずることなく、ホッとした表情であの世へと旅立っていった。

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(C)2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION.

 一連の計画に協力した仲間たちはその帰り道、為すべきことをしたという気持ちと、親友との別れの悲しみとが相まって、複雑な気持ちに包まれていた。実践はこれきりのはずだった。しかし噂は瞬く間に広がっていく。彼らの元には「パートナーを楽にさせてやってくれ」という安楽死の相談が相次ぐことに。とんだことになってしまったと思いながら、彼らは止むに止まれず、新たな決断を下す。そんな中、ヨヘスケルの身辺にも大きな変化が。愛妻が次第に認知症の度合いを強めていき……。

 終末医療をめぐる映画としては、近年でもフランス映画に『母の身終い』という衝撃的な映画があった。末期癌を患った主人公の母親が、息子に付き添われてスイスの施設を訪れ、そこで静かな死を迎える姿は不気味なほどの透明感に満ちたものだった。それに比べると、『ハッピーエンドの選び方』は時にコミカルに、そして時に身を切るほどの悲哀を込めて人生の最終章における悲喜劇を描き出す。

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