無名の新人監督による初長編は、いかにして全米興収4400万ドルのヒット作となったか?
それは映画興行のちょっとした事件だった。昨秋、全米4館で封切られたハートウォーミング・コメディ『ヴィンセントが教えてくれたこと』はみるみる内に動員を伸ばし、2500館にまで上映規模を拡大。1300万ドルという低予算の作品ながら、興収4400万ドルを稼ぎ出す結果を残した。
数字を紐解いて気付くのは興収下落率の低さだ。これは強靭な下支え、つまり人から人への口コミ効果が働いたことを意味する。その後、批評家の絶賛も得て、本作がゴールデン・グローブ賞のコメディ/ミュージカル部門の作品賞、男優賞にノミネートを果たしたのは周知のところだろう。
驚きなのはこれが無名のセオドア・メルフィ監督による初長編作だということ。いかにして彼はスマッシュ・ヒットを導き出したのか。その要因を3つの視点で分析してみたい。
魅力あふれるキャスト
まずは何を置いてもビル・マーレイだ。映画界のレジェンドとも天然記念物(この件に関しては後述する)とも言われる彼の魅力に勝るものは無い。
70年代、TV「サタデー・ナイト・ライブ」で俳優、作家として才能を爆発させた彼。映画でも『ゴースト・バスターズ』(1984年)や『恋はデジャ・ブ』(1993年)は幅広い年齢層から愛され、『天才マックスの世界』(1998年)に始まるウェス・アンダーソン監督とのコラボや、ソフィア・コッポラ監督作『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)など、自身の持ち味を才能あふれるクリエイターに委ねることで新たなハーモニーを巻き起こし続けてきた。これらに一貫するビル・マーレイのちょっとシニカルな笑い、あるいは全てを達観し、全てを諦めてさえいるかのような表情を僕らはひたすら愛してやまない。
そんな彼が、本作では持ち前の飄々とした空気を湛えつつも、時にワイルドに声を張り上げ、思い切り感情を露にすることを厭わない。彼のこんな演技が観られるなんて最近ではかなりレアな体験と言っていい。
また、ヴィンセントと最高のパートナーシップを築く子役ジェイデン・リーベラーは、可愛らしさの中にどこか影を潜ませた役柄を巧みに演じきった。これには子役嫌いのマーレイも「彼のことが、どんどん好きになった」と語るほど。撮影前のジェイデンが緊張していると、マーレイが「おいで」と呼んで一緒に瞑想してリラックスする一幕もあったとか(うーん、本物のおじいちゃんと孫みたい)。かくも抜群の相性を発揮したジェイデン君には、目下、映画のオファーが殺到しているという。