『百年の孤独』より神話的ーー高野秀行に聞く、アフリカの名著『世界が生まれた朝に』が今も古びない理由
コンゴ共和国の小説家、エマニュエル・ドンガラの長編『世界が生まれた朝に』(高野秀行訳)が、単行本刊行から約30年の時を経て中公文庫より文庫化された。伝統的なコンゴの村に生まれた主人公マンクンクが、植民地支配、独立、そしてその後の混乱を生き抜く壮大な小説だ。なぜこの物語は、いま読んでもまったく古びないのか。訳者でノンフィクション作家の高野秀行に話を聞いた。
神話のような「余白」がもたらすストーリーの強度
――『世界が生まれた朝に』が最初に出版されて実に約30年が経ってから待望の文庫化ですね。
高野秀行(以下、高野):僕が最初に読んでから40年近くになります。単行本で出てからは30年近く経ちますね。その後は読み返す機会もほとんどなかったんですけど、今回、文庫化が決まって一通り読んでみて、あまりにも古びていないのでびっくりしました。この作品は80年代に出た本ですが、ほとんど違和感がなく、むしろ前より面白くなったんじゃないかと。
僕はガルシア・マルケスの『百年の孤独』が大好きなんです。当時はマルケスに比べると、『世界が生まれた朝に』は描写とか登場人物の作り込み、エピソードの粗さや緩さが目について、ひねりが足りないなと感じていたこともあったんですけど、今回読み直してあまりそういうことを感じなかった。もしかしたら、粗さや緩さがある方が時間に耐えうるのかもしれないという気さえしました。小説を作り込もうとすると、ついその時代の文脈に合わせようとしてしまう。『世界が生まれた朝に』は余白のある小説だからこそ、逆にすごく普遍性があるのかもしれません。
――興味深いご指摘です。
高野:例えば、神話ってそんなに作り込んでいないですよね。それなのに太古からすごく長く読み継がれている。本作は『百年の孤独』に比べてより神話的で、作品の緩さがいい意味で作用しているように感じました。
『世界が生まれた朝に』のストーリーは、アフリカの伝統的な社会に生まれた主人公が偉大な呪術師になりつつも、保守的な村社会と対立し、その後、過酷な植民地時代を経て独立のために戦い、達成はするものの、その後自分の理想とする社会が来ることはなかった――という、超王道な展開なんです。ある意味シンプルですが、その単純さがとても心地よく、いまでも全く陳腐化していない。すごく刺激的な物語で、マジカルなところもありますし、かなり悲惨で残虐な描写があるにもかかわらず、とっても優しくて温かい感じがしますね。
――ところどころに著者の哲学が見えるように思いました。よそ者を排除することへの疑問や、なぜ自分たちの民族同士で争うのかと語る主人公の言葉にも。
高野:ドンガラさんの人間観とか世界観がやっぱり温かいんだと思います。本人もそういう人でしたし。内には熱いものを秘めているけれど、全体的に世界に対してポジティブで柔らかい。戦っていても、どこかに柔らかさがあって人を排除しない。他人や世界と共存していこうという温かさがあるように思いますね。
遠い世界の話なのに「ノスタルジック」に響く理由
――高野さんは、この本を最初に翻訳された後に世界のいろいろなところに行かれています。その経験からこの作品を見て新しく感じられたことはありますか。
高野:いろいろなところに行きましたが、どこに行っても、この30、40年で手放しで良くなったと思えるような場所はないですね。明らかに生活が豊かになっているところや近代化が進んだ地域が多いんですが、じゃあそこに住んでいる人の全体的な幸福度が上がっているかというと、それは首をかしげざるを得ない。
世界が変わっても、必ずしも良くなっているわけではない――それはこの作品に通底しています。「世界は異なっていた」っていう言葉も出てきますけれど、「悪いものが良くなっている」という変化ではないんだなと思いますね。
――植民地支配と戦争で搾取され続けた負の歴史のインパクトはとても大きいですが、この作品は歴史について語るわけではなく、広く人間社会が形を変えながら搾取や争いを続けていることも描いています。
高野:もちろん、そういう酷いことがあったのは間違いないことで、それが今もすごく影響を残しているのですが、やはり本作は共感を呼び起こします。単行本の訳者あとがきにも書いていますけど、本作はどこか「エキゾチックだけれどもノスタルジック」なんですよね。遠い世界の話が書かれているはずなのに、懐かしくてほっとする部分が確かにあります。
――著者ご自身の人生が、作品に反映されているのでしょうか。
高野:ドンガラさん自身が現在のコンゴ共和国にあたる地域の村に生まれ育った方なんです。小説のルビトゥク村は、ドンガラさんの村をモデルにして作られているんじゃないかと思います。
子どものころのドンガラさんは、電気もない昔ながらの暮らしをしていました。ただ、お父さんがすごく教育熱心で学校には通った。勉学も優秀で、日本でいう中学高校を経て、母国のブラザヴィル大学を卒業後は、アメリカ留学をして博士号も取った、ある意味ちょっとマンクンクみたいな人です。多分30年ぐらいで一気に前近代から世界の最先端まで行って、価値観や環境の激変に晒されてきた人なので、その実感がベースになっていると思います。
これは想像ですけれども、ある時点からそれが伝統社会と現代社会の架け橋になるという意識に昇華されていったんだと思います。マンクンクは、ドンガラさんご自身が体現している存在なんだろうなと。
激動の史実を辿る体験
――この作品には主人公の視点でかなり長い歴史が描かれています。
高野:だいぶ長い時代を見ていますね。もちろん小説なので誇張されている部分があるんですけど、現実に起きたことを集めて書いている。母国に白人がやって来て植民地化され、現地の人々はゴムの強制採取に従事させられ、規定量に達しなければ片腕を切り落とすという信じがたく残酷なことが行われました。鉄道建設のために強制労働で駆り出されて、莫大な数の人が亡くなったとか、メシア信仰みたいな宗教運動が起きて、それが後の独立運動につながっていったというのも、史実に近いんですよね。
当時フランスとベルギー、二つの宗主国が分けていた地域があって(現在のコンゴ共和国とコンゴ民主共和国)、特にひどかったのはベルギー領コンゴなので、そちらの逸話が多く入っていますが、地域的にはひとつと考えてもあまり差し支えはないです。
これだけの歴史をほぼ全て体験したマンクンクのような人は、実際にいたんじゃないかと想像します。コンゴはジャングルだったので、内陸に白人が足を踏み入れるのが難しかったために植民地化が遅かった。それが作品に象徴的に描かれるコンゴの特殊性でもあります。
――登場人物の視点を借りて、自分がに入ることができるのは、文学作品の大切な役割ですね。
高野:小説の本当にいいところは、他人の人生を生きられることですよね。それは研究書やルポルタージュではできないものです。他人の目で、その世界が見られるっていうのは、醍醐味ですよね。内側から見るって全然違いますから。
――マンクンクは、ンガンガ(呪術師)から鍛冶師、機関士を経て、最後に若い科学者と対話します。そこで彼の人生の経験が繋がっていきますが、伝統と近代の対比ではなく「知」の連続性や奥行きを描いている点も、物語の鍵でしょうか。
高野:何か現象が起きたとき、その背後に「なぜ」という別の原因を探るのがアフリカ的なものの考え方です。よく引き合いに出される例ですが、小屋が倒れて中にいた人が怪我をしたとき、科学は「老朽化や嵐が原因だ」という物理的なメカニズムを解明します。けれど科学は、「なぜ他でもない『その人がいたとき』に倒れたのか」という問いには答えてくれません。そこまで深く因果関係を追求するのが、アフリカの伝統的な「知」です。一見、迷信深いように思われがちですが、決してそうではありません。
さらに言えば、科学は人が生物としてどう生きているかは説明できても、「なぜ生きるのか」「どう生きるべきか」、あるいは「なぜ他者を尊重しなければならないのか」といった問いには答えてくれませんよね。そこを照らし出すのは、科学以前からある、より大きな伝統社会の知恵なのだと思います。
――作品はフランス語で書かれていますが、人々の会話は現地の言語が使われている設定ですよね。独特な比喩表現も多いです。
高野:キコンゴ(コンゴ語)あるいはムヌクトゥバ(キトゥバ語)と呼ばれる言語で話しているのだと思います。街の場面ではリンガラ語だと思います。
――実際に高野さんが現地でご覧になったものが翻訳でも役立ったわけですね。
高野:僕にとっては馴染みのある世界なので訳しやすかったです。例えば「ンガンガ」とか「コーラの実」などが何であるかはわかるし、情景がパッと浮かぶんですよね。あとは、浮かんだ場面を描写していく。いつも書いているように書いていた感じです。
この作品でも長老の「ハエ払い」の話が出てくるんですけど、枝を束ねただけの小さな箒で払うことがよくあるんです。アフリカは痩せていて細長い足の人が多いので、ハエがたかりやすいから、それを払いながら座っている場面をよく見ます。だから不安感なく訳せましたね。
――原書が軽快なのかもしれませんが、どこか高野さんらしい文章でもあります。
高野:原書がそういう文体で、相性が良かったんじゃないかと思います。面白くてメリハリも利いているし、場面転換も適度に軽快です。原文には改行がとても少ないので、意識的に改行は増やしています。ぱっと見たときにびっしり活字がうまっていなくてテンポよく読めるようにしています。
――タイトルには特に個性が出ていますね。
高野:もともとのタイトルは『始源の火』ですが、最初に出版されたとき、もっと柔らかいタイトルにした方がいいのではということで、作品から『世界が生まれた朝に』という言葉を選びました。
「ノンフィクション」から答えを出さない「文学」へ
――これからもノンフィクションライターとして書きたいテーマはありますか。
高野:書きたい地域や新しいテーマもありますが、考えたいのは表現方法ですね。今まではストーリーラインが非常にはっきりしたものを書いてきたので、もっと文学寄りに書いてみたい。僕自身、昔と比べて年々文学寄りになっているんです。ノンフィクションを書きながら、その場所で起きていることや自分の体験をきっちり書いていこうと思いつつ、やっぱり年々「ここはこうです」と断言しなくなってきていますね。
――これまでのご著書では、高野さんは地域や人々を対象として見るアプローチとは違い、ひとりの人間として中に入り込むことを大切にされているように感じますし、それが文学的でもある気がします。
高野:そうですね。前からそうだったのかもしれないですけれど、最近やっと気づいてきました。今までの本は目的がはっきりしていますよね。酒を主食とする人がいるからそこに行って体験するとか、コンゴに謎の怪獣がいるから探しに行くとか、とても具体的ではっきりした話を書いているんですけど、そうでないもの。僕はオチをつけるのが好きなのでつけていますけど、それほどのオチがなくても、その世界を伝えるもの、そんな本を書きたいです。
――高野さんは小説は書かれないんでしょうか。
高野:小説の才能はないので、やめておきます(笑)。あまりやる必要もない気がするんですよね。今もノンフィクションだけれど結局やっていることは小説に近いんじゃないかと思います。現実世界の見方って無数にあるわけじゃないですか。その中のひとつを、僕は自分がいちばん好きだと思う方法で切り取っていっているので、すでに小説にかなり近いものじゃないかと思うんですよね。
――日本の読者にどう読んでもらいたいですか?
高野:正直言って僕は、日本の読者にどういう風に響くかというようなことはあんまり考えないです。例えばソマリランドのように、そもそも僕が書いているものは、日本人に馴染みのないところばかりですよね。それなのに、『謎の独立国家ソマリランド』はすごく評判が良いんですよ。
――面白いという入り口が大切なのかもしれません。
高野:よくあるのが、社会問題として提示してしまうと、真面目に向き合わなきゃいけないと思って、逆に距離ができてしまうこと。アフリカのいろいろな問題を社会問題とされると、読者は「自分はそこに簡単に手を触れてはいけないんじゃないか」と遠ざかってしまいます。もちろんそういうノンフィクションや研究書は必要なんですが、そうでないものも必要で、それが広い意味での文学だと思うんですよね。僕もその一部をやっているつもりですし、もっと読者を近づける方向を目指しています。
――多くの日本の人にとって、アフリカは遠くて馴染みのないところでもありますが、親しみやすい本に触れてもらいたいですね。
高野:僕はわりとそういうバカバカしい話をたくさん書いていて。実際、日々くだらないことと笑えることが起きている世界で、みんな友達になったり喧嘩したりして暮らしているじゃないですか。そういうものがちょっと足りないと思うんですよね、社会の中でも外の情報としても。情報として純化されてくると、そういうくだらないことが抜け落ちるんですよね。生活の雑味みたいな。
――人間的なところが面白くて響きますね。
高野:友達になるっていうのがもう一つの目標じゃないですかね。やっぱり文学とか文芸っていうのはそれに近いと思いますよ。
日常の気持ちをリセットしてくれる最高傑作
――昨今はネットやSNSを中心に、何事も「正しいか間違っているか」で割り切ろうとする風潮が強まっています。そうした時代において、文学の果たす役割とは何でしょうか。
高野:SNS時代のいま、正しいか間違っているかという単純な評価軸で判断されがちですよね。議論といえば聞こえはいいけれど、結果としてそこら中で対立が起きている印象があります。
何かを発言したり行動したりするときには、必ず時代や社会の文脈、そして人間関係が存在します。そうした文脈を無視した「純粋な意見」なんて存在しないし、それを追い求めて正しさばかりを主張すると、結局あらゆる人と対立してしまうと思うんです。
その点、文学や小説の良さは「正しさ」を書くものではないところです。舞台があって登場人物がいて、その中でさまざまな出来事が起きる。そうやって描かれる世界では、誰かが一方的に良いとか悪いとか、単純には割り切れないんですよね。
『世界が生まれた朝に』では、ビゼンガという首長になる人がいて、悪いやつだけど、悪いなりにどうして彼がそうなっていくのかがわかる。もともと悪かったわけではなくて、最初は素晴らしい師匠としてマンクンクを導いてきたわけです。でも、圧倒的な武力と財力が手に入ると人間がこうも変わってしまうのは、まったく不思議じゃない。そうすると、単純に良いとか悪いとかっていうのは、浅くてあまり豊かでない考え方だなって思いますね。こういうものが折り重なっていくのが社会ですから。
――読者に対して、何を受け取ってほしいか期待するところはありますか。
高野:面白ければいいんじゃないかと思います。『世界が生まれた朝に』のいいところは、自分の気持ちをリセットしてくれる感じがあるところですね。僕もドンガラさんの本を全部読んでいるわけではないですけれども、ここだけの話、おそらくこれが最高傑作です。もうベスト・オブ・ザ・ベストです。日常生活で、がっかりするようなこと、落ち込むようなことがあったときに読むと、「まあいいか」って思えるというか、大きなものに触れてホッとする。大きな木の下にいるみたいな。それがいいところじゃないかなと思います。
■書誌情報
『世界が生まれた朝に』
著者:エマニュエル・ドンガラ
訳者:高野秀行
価格:1,760円
発売日:2026年8月21日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公文庫