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芥川賞受賞作『ゾンビ回収婦』が解き明かすAI時代の「働く意味」と現代の歪み

 今週のAmazon売れ筋ランキング「本」部門で29位にランクインしていたのが、小砂川チトの『ゾンビ回収婦』(講談社)である。第175回芥川賞を受賞した話題作だ。

ゲームの「消える死体」から生まれた異色作

小砂川チト『ゾンビ回収婦』(講談社)

 ゲームをプレイしていて、倒した敵キャラクターがどこかに消えていることを不思議に思ったことはないだろうか。ゾンビを撃ち殺してしまえば、その場に死体が残る。そしてそのままマップ上の別の場所に行き、そして先ほどゾンビを倒した場所に戻ると、残っていたはずの死体が消えてなくなっている。「倒れた死体」のようなオブジェクトがそのまま残っているとゲーム内のデータ送料が増え続けてしまうため、一定のタイミングで消去しないとゲームが動作しなくなってしまう。だから死体はどこかへ消えてしまうわけだが、違和感を感じる状況ではある。

 この「倒したゾンビが消えている」という状況を逆手に取った小説が、『ゾンビ回収婦』である。主人公である「わたし」とその夫は、12月のある日いきなり仕事をクビになる。原因は、AIによって「わたし」と夫の仕事が代替されてしまったことである。夫はそのショックを受け、奇妙な書き置きを残して家を出て行ってしまう。残された「わたし」は夫の部屋で夫が愛用していたVRヘッドセットを見つける。

 ヘッドセットを装着した「わたし」は、ゾンビが蔓延る不気味なホテルと、その周辺の街が作られたゲーム内のマップの中に放り込まれる。そこで「わたし」はプレイヤーが破壊したゾンビの破片を回収するNPC「ゾンビ回収婦」となっていることが作品冒頭から説明される。では、「わたし」はいかにしてゾンビ回収婦となり、そしていかにしてVRの世界に引き込まれていったのか。どこからがVRでどこからが現実なのか、全てが曖昧なまま、「わたし」はゾンビの破片を回収する仕事に奇妙なやりがいを見つけだし、のめり込んでいく。

「人は本当にお金のために働いているのか」

 かなりややこしい小説である。さほど長い本ではないのだが、その中に「人間とAI」「人間と労働」「現実とVR」といったテーマがみっしりと収まっており、しかも意味がある要素と無意味に見える要素が特に説明なく並列で描写されるので、その都度読者は「これには真面目に取り合った方がいいのか?」という判断を下さなければならない。さすがに芥川賞受賞作……と思いつつ、振り落とされないよう必死で読んだ。

 特に印象に残ったのは、主人公が労働と「愛されたい」という気持ちの密着に気づくシーンである。普段「お金を稼ぐために労働をしている」と考えている人は多いのではないだろうか。生活のためにやりたくもない仕事をやり、毎日がその繰り返しで擦り切れてしまっている……という話もよく聞くし、実際その当事者であるという人も多いだろう。しかし、本当にそれだけのために我々は働いているのだろうか。

 『ゾンビ回収婦』の物語の中でNPCとなった「わたし」は、現実世界での自分の状態を顧みないほどにゾンビの回収という「仕事」にのめり込む。完璧にゾンビを掃除し、痕跡ひとつ残さずに回収するうち、ゲームの舞台であり「わたし」がゾンビを回収している口唇期ホテル(という名前のホテルが舞台なのだ)の支配人が全くその仕事に対して報いを与えないことに気づく。完璧な働きに対して全く動きを見せない支配人に対する不満を、「わたし」はAI搭載NPCの保守管理を担当しているAIに対して話す。

 そこで語られるのが、「人は本当にお金のために働いているのか」という論点についてだ。人間は単に報酬を与えられるだけで労働できるのか。クライアントやサービスを提供した相手に認められることなく、ひたすら同じ仕事を繰り返すことは可能なのか。「サービスを提供した以上は認められたい」「仕事をしたからにはなんらかのリアクションが欲しい」と願うことは、突き詰めて考えれば「愛されたい」という気持ちの発露に他ならないのではないか。

AI時代における「働くこと」の真価と恐怖

 「わたし」とメンテナンス担当AIとの対話はそこからさらに飛躍していき、我々が日常行なっている「労働」の正体ともいうべきものへと肉薄していく。そこで暴露される労働の正体は正直結構気持ち悪いのだが、しかしなんだか身に覚えがなくもない……! 自分たちが日常的にやっている「労働」の奇妙さが顕になるのも、この小説の恐ろしさだと思う。

 現在「〇〇シミュレーター」のようなタイトルで、さまざまな仕事を題材にしたゲームが存在する。農業や運送、車の整備に高圧洗浄機での掃除まで幅広い題材がゲームとなり、ユーザーはそれを遊んでいるのである。一方で、AIによって数多くの仕事が人間から奪われる危険が迫っているという。労働がゲームになり、一方でAIが人間の仕事を奪う。この状況は一体なんなのだろう。

 そしてそのような状況において、働くとは一体どういうことなのか。現実世界の労働において、プレイヤーとNPCの垣根はほとんどないのではないか。読み終わった今になっても、さまざまな疑問がぐるぐると頭を回っている。目の前の現実、そして毎日こなしている労働の輪郭がグニャグニャと歪み、自分が一体何をしているのか根本的な疑問が湧いてくるのだ。一冊の小説だけでこれだけの効果を生み出すのだから、さすが芥川賞受賞作というしかないのであった。

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