『山と食欲と私』信濃川日出雄に聞く、登山 × グルメ漫画がもたらした縁「多くの読者さんにとって人生の一部となっている」

 単独登山が趣味の主人公・日々野鮎美(27歳・会社員)が山を登り、山ごはんを楽しむ姿が描かれる『山と食欲と私』が「くらげバンチ」で連載を開始したのは、山ガールブームが陰りを見せ始めた2015年のこと。同作はスタートから人気を博し、25年11月発売の20巻時点で、発行部数が累計250万部を超える大ヒットとなっている。

 一方で同作は漫画という枠を飛び越え、登山・アウトドア誌などでも大きく取り上げられ、一般企業とのコラボも展開されている。なにがそこまで多くの人を惹きつけるのか? 漫画好きにとどまらず、広く支持を集めている『山と食欲と私』の制作背景を、著者の信濃川日出雄氏に聞いてみた。

※インタビューの最後に信濃川日出雄氏の仕事場紹介コーナーあり!

ポジティブな感情で読者と繋がりたい

『山と食欲と私(1)』

ーー2001年のデビュー以来、さまざまな作品を描いてきました。登山とグルメをテーマにした『山と食欲と私』を描こうとしたきっかけを教えてください。

信濃川:登山とグルメは「テーマ」ではなく「題材」という認識をしています。本作のテーマは別にいくつかありますが、その1つが「悲しみや怒りではなく喜びで読者とつながりたい」ということ。登山の達成感や食事の喜びを通じて、過去の作品とは違うポジティブな感情で読者と繋がりたいと考えました。

ーー信濃川さんが登山を始めた時期と理由を教えてください。

信濃川:20年近く前、20代の頃です。当時、週刊連載による精神的な疲労と、都会生活になじめなかったストレスから、自然の中に癒しを求めたことがきっかけです。

ーーそのときの気持ちがあらわれているのでしょうか。『山と食欲と私』には、失敗や悩みも前向きに捉える、ポジティブな空気が常にあるような気がします。15年前に東京から北海道に移住されたそうですが、同じような理由があったのでしょうか?

信濃川:妻の実家が北海道にあったのと、自然が近いところで子育てをしたかったからです。また、ドラマ『北の国から』が好きだったこともあり、移住生活に興味がありました。

ーー作中に登場する山ごはんは、すべてご自身のアイデアですか? また、考えるのに苦労はしますか?

信濃川:私のアイデアと、そして妻のアイデアも多数、反映されています。レシピ考案にはさほど苦労はしませんが、登山という条件下ならではの工夫とその面白みを、常に探しています。

登場する山ごはんは、カロリー重視のジャンクなものから、カフェで出てきそうなおしゃれなものまでさまざま。実際に再現する読者も多く、『日々野鮎美の山ごはんレシピ』(山と渓谷社)というレシピ本も出版されるほどだ。

ーー山ごはんは実際に山で実食されるのでしょうか? また、考え出したものの、おいしくなかった場合はありますか?

信濃川:実際に試作してから描くことが多いのですが、たまに試作をしていないメニューも描いています。「こんな乗り物があったらいいな」とSF作家が架空の乗り物を描くことと同様の感覚で、作るより先に思いついたまま描いてしまいます。その場合は、漫画に描いたあとで、それを再現し、食べてみて味を確かめています。

 ふだんから料理をしていて、自分の味の感覚には自信があるので、基本的には間違わないです。作中で鮎美が失敗する描写がときどきありますが、失敗も漫画のネタのうちですから、リアリティとして描いています。

ーー食欲を刺激する料理やダイナミックな山の風景は、本作の大きな魅力だと思います。作画には苦労しますか?

信濃川:ペン入れは基本的にひとりで描いています。自分が描きたいものを描きたいように描いているので、密度が濃い絵であっても、苦労は感じません。

ーー作品に登場した料理と山、個人的にお気に入りのものを教えてください。

信濃川:たくさんありすぎて選べません。

ーー取り上げる山は、どのように決めているのでしょう?

信濃川:東へ行ったら次は西、南へ行ったら次は北へ、というふうに、日本各地あっちこっちに行くように選んでいます。また、必ず取材に行っていますが、自分が好きで登った山を漫画に描いていますね。

ーー山での「あるある」が多く登場します。どれも実際に体験されたことなのでしょうか?

信濃川:自分自身の体験も多くネタにしていますし、一緒に登った担当編集者や友人たちの体験もネタになっています。日常生活の中でのちょっとしたおかしみをメモしておいて、山の世界に反映させて描くこともよくあります。

多くのご縁を運んできてくれる貴重な作品

ーー鮎美の同僚から、山で出会う人々まで、多くのキャラが登場します。信濃川さん自身が投影されたキャラというのはいますか?

信濃川:はっきりは言えませんが、すべてのキャラに少しずつ投影されているのではないでしょうか。

ーー単行本20巻の最後、鮎美はずっとすれ違い続けてきた鷹桑秀平とついに対面しました。読者の反応はどうでしたか?

信濃川:おおむねポジティブなものだったと受け止めています。鮎美と鷹桑に関しては、並走するようにそれぞれのシナリオを進めてきました。そして、都影ユウジというキャラを通じて2人を結びつけながら、ここぞというタイミングで対面させるプランを練ってきたんです。いよいよそのシーンを描くことができて、満足しています。

鮎美と鷹桑の出会いのシーン

ーー10年以上という長期連載になっています。信濃川さんにとって『山と食欲と私』はどういう作品ですか?

『『山と食欲と私』公式 鮎美ちゃんとはじめる山登り: 気軽に登れる全国名山27選ガイド』(新潮社)

信濃川:2001年に商業誌デビューしてから25年になりました。『山食』の連載スタートは2015年、私が37歳の時です。漫画家としては遅咲きながらも、恵まれた大事なヒット作だと思っています。部数や連載話数など、大きな数字を残せたことはプロ作家としてひとつの矜持となっていますが、それ以上に財産だと感じているのは、この作品が多くの読者さんにとって人生の一部となっていること。

 登山を始めた、それをきっかけにして前向きに人生を歩めた、また『山食』を通じて仲を深め結婚したというようなご感想までありましたが、そういった読者さんの声をいただくたびに、幸せだと感じます。私自身も、この作品を通じて多くの人と出会いました。公私を問わず、多くのご縁を運んできてくれる貴重な作品です。

ーー読者の方へメッセージをお願いします。

信濃川:いつも作品を読んでいただき、本当にありがとうございます。連載も11年目に入り、ペースは落ちましたが、ぼちぼちと続けています。登山愛好者の方々からの共感の声は自信になります。また登山や食といった題材にもともと興味がなくとも、「漫画として面白いから」という理由で読み続けてくれている読者さんがたくさんいらっしゃることは、漫画家として誇らしいことです。

 登山やアウトドアを扱った作品ですが、もともと登山者だけに向けた作品ではありません。年齢性別、趣向問わずできるだけ幅広い方々に楽しんでいただきたいと思って描いています。日々野鮎美や鷹桑秀平などさまざまなキャラクターを、友達のように感じていただければ嬉しいです。

ーーそれでは最後に、最新の224話では、ずっと27歳だった鮎美が初めて年齢を重ねました。これまでトシをとらないサザエさん方式でしたが、連載11年目で28歳にした理由をお聞かせください。

信濃川:内緒です(笑)。

信濃川日出雄氏の仕事場を紹介!

 現在、信濃川氏は自宅近くの古い家屋を仕事場として購入し、セルフリノベーションに励んでいる。『北の国から』を地で行っているのだ。

「自宅の近くにある築50年の古い家屋を0円で購入し(※土地代のみの支払い)、セルフリノベーションしながら仕事場にしています。昔からDIYが好きで、小屋を作ったり、薪棚を作ったり、ブランコや子供部屋のドアなど色々と自作してきました。家1軒を購入してのセルフリノベーションは、最大の挑戦でした。

 物件は2階建。道路から下がった傾斜地に建っているため2階に玄関があり、1階は半地下になっています。着工は2023年の秋。漫画執筆の合間に、毎日少しずつ作業を進めてきました。

 1階部分は全てプロにお願いし、すでに完成して漫画の作業場として稼働していますが、2階部分は現在も作業継続中です。当面は自分のアトリエとして使いますが、将来的には書店やアトリエ兼ギャラリーのような形で開かれた場として使うことを視野に入れています。以下の写真は全てDIYで工事を進めている2階部分の様子です」(信濃川氏)

3年前、物件購入時の様子。前所有者により内装が解体されており、DIYリノベをするにはうってつけであった。写真には映っていないが、南側は展望が開けていて、非常に明るい。
トイレの床の解体の様子。シートは4枚重なっており、前の住人が張り重ねながら暮らしていたことがわかる。この後、床、壁、天井、ドアまですべてDIYで仕上げた。便器は再利用。ワイヤーブラシを使って積年の水垢を落とし、新品同様にピカピカにしてやった。上下水の配管はプロにお願いした。
生活の場としての「住宅」ではなく、「大きな自分専用の作業小屋」という位置付け。あくまでアトリエ(作業場)としてこの先20年くらい使えればよいという割り切りから、様々な部分でコストカットしている。天井の断熱にはグラスウールを入れているが、機密性は無視。また、石膏ボードではなく2mm程度の薄いベニヤ板を貼ってそのまま仕上げとした。一人で施工するために「T字」の治具を作るなど日々細かい工夫の連続であった。
壁や天井を貼るよりも、床の傾きを直す作業が最大の難所であった。1メートルあたり5mmほど勾配があり、全体で25~30畳ほどの広さがある。工事で出た端材や廃材として捨ててあった板などを活用しながら、低いところを嵩上げし、水平を出した。 写真は、仕上げの合板をかぶせる前の様子。画面右上のレベルが一番高く、左下のほうが低い。また床板が波打っており、凸凹を解消するために細かい調節を行う必要があった。
施工開始から1年、床や壁の塗装などを終え、おおよそ体裁が整った様子。現在では、梁部分に照明器具がつき、作業用の流し台も設置。部屋の中央に自作の大きな作業台とイスを置き、作品制作の際に活用している。しかしまだまだDIYは終わらない。次の課題はドアを作ること。

■関連情報
『山と食欲と私(20)』
著者:信濃川日出雄
価格:726円
発売日:2025年11月8日
出版社:新潮社

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