排外主義とどう向き合うべきか? 社会学者・朴沙羅が語る、日本社会の歪み「怖くても直視するしかない」

 「外国人問題」への関心が高まる一方、その根底にある歴史や制度への理解は深まっていない。社会学者・朴沙羅の新刊『日本社会と外国人』(中公新書)は、戦後日本の入管政策の変遷をたどり、国や有権者が「日本人ならざるもの」をいかに規定してきたかを浮き彫りにする。本書が対象とするのは「外国人」ではなく、彼らを生み出し続ける「日本社会そのもの」だ。文筆家・吉川浩満が、社会の歪みを直視するためのタフな知性のあり方について朴沙羅に聞いた。

「日本文化論」の授業から生まれた問題意識

朴沙羅『日本社会と外国人-入管政策が照らす80年』
(中公新書)

吉川浩満(以下、吉川):『日本社会と外国人』は、その内容はもちろん、成立の背景が非常にユニークですよね。ご自身によるWeb上の「著作解題」(※1)にも詳しく書かれていますが、この本が形になるまでの経緯をお聞かせいただけますか。

朴沙羅(以下、朴):直接のきっかけは、2020年から2025年夏まで、ヘルシンキ大学で「日本文化論・日本社会論」の講師をしていたことです。 私は社会学が専門で、いわゆる「日本文学」や「日本史」といった、ストレートな日本研究をしてきたわけではありませんでした。さて、何を教えたものかと。

 実はその少し前、立命館大学にいたときにも「ジャパニーズ・カルチャー」という授業を担当することになり、先輩の教授に相談したことがありました。するとその先生が、かつて京都大学にいらした伊藤公雄先生の言葉を教えてくださったんです。「日本文化論とは何かではなく、何が日本文化論とみなされているかを教えればよろしかろう」と。これが大きなヒントになりました。

吉川:実体についてそのまま語るのではなく、それがどのように構築されているかという枠組みを教えればいい、と。

朴: さらに遡ると、私の博士論文が日本の出入国管理政策に関するものだったのですが、そこであるフラストレーションを抱えていたことも影響しています。

吉川:フラストレーション、とおっしゃいますと?

朴:外国人を巡る社会学の研究調査は、1990年の入管法改正を境に対象が大きく分断されていました。90年以前の、いわゆる在日コリアンや台湾系の方々を対象とする「オールドカマー」研究。そして90年以降にやってきた日系ラテンアメリカンやフィリピン系、東南アジア系の方々を対象とする「ニューカマー」研究です。

 これらが「在日研究」と「国際社会学」のように別々の領域として扱われていることに、強い違和感がありました。アプローチも議論も分断されてしまっていて、違う土俵に乗せられているような気がしていたんです。

吉川:2000年代後半から2010年代にかけては、ネットや路上でのヘイトスピーチ、いわゆる日本型排外主義も台頭しましたね。

朴:その時のキーワードが「在日特権」です。確かに他の在留資格に比べれば安定していますが、歴史的経緯を無視して「特権」と呼ぶのは問題の立て方がおかしい。ただ、身近な在日コリアンの方々を知っている身として、「お前たちは特権的だ」と言われたり、あるいは「あなたは日本人? 外国人?」と無邪気に問われたりしたときに、どう答えたらいいのか。

 何より問題なのは、そうした「特権」を生み出している法制度や、その問いを発してくるマジョリティ側のあり方そのものが、まったく問われないまま置かれていることです。既存の移民研究やマイノリティ研究を見ても、このモヤモヤに対する答えが見つからず、土俵そのものがおかしいんじゃないかと感じていました。

吉川:そのオールドカマーとニューカマーの分断、そして排外主義という問題の土俵そのものを問い直す場が、ヘルシンキでの「日本文化論」になったわけですね。

朴:「日本ではないとされてきたもの」を教えれば、逆説的に「何が日本であるか」が見えてくるはずだ、と。内実を直接定義しなくても、その「外縁」をきちんと描くことで、中心にある日本社会の構造が浮かび上がるのではないかと考えました。そうやって、これまで温めてきた問題意識やアイデアをすべて詰め込んで書いたのが今回の本です。

指さされた先ではなく、自らの指にも目を向けよ

吉川:本書の「まえがき」が印象的です。いわゆる外国人問題が話題になるとき、世間はいつも、日本にいる「外国人そのもの」について語ろうとします。そんなの当然だと思うかもしれません。でも、そもそもなぜ外国人がいるかといえば、彼らを指さして「外国人」だと設定する主体がいるからですよね。本書の方針は、指さされた先(外国人)ではなく、まさに指さしているその指(日本社会)を見てみようというものです。ここで膝を打つ読者も多いのではないかと思います。こうした見方は、先ほどのモヤモヤ感から行き着いたものなのでしょうか、それとも朴さんの中に一貫してあった研究方針だったのでしょうか。

朴:それは両方ですね。研究上のトレンドとしても、特定の民族集団の内実ではなく、それが定義される状況や境界設定そのものに注目する「バウンダリー・メイキング」の議論が、2000年代前半から英語圏の移民・エスニシティ研究で盛んでした。

 もう一つは、社会学が私に教えてくれた「間違った問いに答えてはいけない」という最大の教訓、そして私自身の体験から学んだことでもあります。

吉川:間違った問いには答えない。そして、ご自身の経験、ですか。

朴:はい。私は日本人の母と韓国人の父の間に生まれ、出生時は二重国籍でした。日本の戸籍上は、母の姓のうしろに私の名前がそのまま入る形(たとえば「田中 朴沙羅」のような形)になっていて、子供心に「なんじゃこりゃ」と不思議だったんです。親戚に会いに韓国へ行くとき、済州島の空港の入国審査官に「なにこれ?」と面白がられたりして。

 この体験が教えてくれたのは、「国家や行政が制度的に把握する対象としての私」は、私が自分を何者だと思っているかとは、まったく無関係だという事実でした。当然、子供のころは「自分は韓国人なのか、日本人なのか」と悩むわけです。でも、物心ついた幼稚園の年長から10年くらい悩み続けたら、中学校が終わる頃にはさすがに飽きちゃったんですよ。「もういいわ、考えられることは全部考えた」と。

吉川:そこからはどのように研究の道に進まれたのでしょう。

朴:大学院時代、客員教授のゼミに参加しました。それが「社会問題の構築主義」を専門とする中河伸俊先生のゼミでした。そこで先生が翻訳に携わられていた『エスノメソドロジーへの招待』という本に出会って、「これだ!」と衝撃を受けました。

吉川:朴さんの「指を見る」というアプローチの原点は、中河ゼミで培われた社会問題の構築主義とエスノメソドロジーにあったのですね。

朴:ダブルの在日コリアンとしての私自身のアイデンティティ問題に関しても、社会問題の中身に悩むのではなく「アイデンティティ問題がいかにして構築されるか」を単に考えればよくなったんです。これを社会学で学べたことは本当に幸運でした。

吉川:本書のタイトルが『日本社会と外国人』である理由も、まさにそこにありますよね。具体的な執筆動機だけでなく、社会学の学問史のなかから本書の方法論が導き出された必然性がよく分かりました。

アクセルとブレーキを同時に踏み続ける歪み

吉川:本書の第6章まで読み進めると、日本の外国人政策のとても奇妙な構造が見えてきます。一言で言えば、「ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる状態」です。労働力が足りないから外国人に頼る(アクセル)。でも、いわゆる「移民」としては受け入れたくない(ブレーキ)。2018年に「特定技能」という資格ができた際も、当時の安倍首相は「人数に上限を設け、期間も限定するから、いわゆる移民政策ではない」と強調しました。かつて国の会議で「しっかり効くブレーキがあるからこそ、アクセルが踏める」と語った有識者がいましたが、まさにその通りの歪なロジックがずっと底流にあります。

朴:「働く人としては受け入れるけれど、定住する移民としては認めない」という主張は、戦後一貫して形を変えながら繰り返されてきました。しかし実態を見ると、受け入れ側の都合ばかりが優先され、彼らの生活を支える仕組みは充実しているとは言えません。2024年に、一度与えた永住資格を取り消せる仕組みがわざわざ作られたことを見ても、政府は必死に「定住させないためのブレーキ」を踏み続けています。

吉川:正直に言うと、この互いに矛盾した構造を突きつけられて、少し怖くなったんです。本書で紹介されている研究者の指摘によれば、政府が「移民政策」という言葉や概念を頑なに拒んだまま、実質的な移民の受け入れを拡大してきたことが、いま深刻な事態を招いていますよね。

 正面から「移民政策」として議論しないため、ルールや窓口がバラバラに断片化してしまっている。このように、国民的な議論も合意もないままなし崩し的に外国人が増えていく状態は、社会のなかに「合意なき移民政策」としての不信感や反感を呼び起こし、かえって排外主義を生み出す原因になりかねないのだと。特にコロナ禍以降、ニュースなどで排外主義的な空気を肌で感じるようになった現状を見ると、この指摘はあまりにもリアルで恐ろしく感じられます。

 この本を書き終えた今、そうしたご自身の感覚や、迫りくる排外主義の高まりについて、何か改めて考えていることはありますか。

朴:そうですね……これはいかに排外主義に対応するか、という話にも深く関わってきます。まず言いたいのは、「怖くて目を背けたら、もっと怖くなるから、直視するしかない」ということです。

 私は趣味でテコンドーをやっているのですが、組手のときって本当に怖いんですよ。でも、いつも師範から「怖くても0.2秒だけ我慢して、目をつぶらないでください。それで無理だったら、もう逃げていいから」と言われます。

 社会問題も同じで、直視してみると見え方が変わるんです。たとえば、田辺俊介さんが2009年から4年ごとに継続している日本人の排外意識の調査(2025年7月の朝日新聞記事など)(※2)を見ると、実は「外国人が来ると治安が乱れる」という回答は長期的に下がってきていました。むしろ「外国人が増えれば日本社会や経済が活性化する」と考える人のほうが多かった。直近の最新データがどうなるかは注視する必要がありますが、少なくともこれまでのデータを見る限り、排外主義者は決してマジョリティではないんです。

吉川:排外主義は強くないし、大きくもない。むしろ小さくなってきていた。

朴:それに、今の日本で外国人を追い出すのは経済的に明らかにマイナスです。自分の親の介護のために仕事を辞めざるを得ないといった切実な問題が溢れているなか、企業の合理性を無視してまで本当に外国人を排除しきれるかというと、それは疑問です。だから私は、「長期的には絶対に勝つ」という確信を持っています。

吉川:長期的には絶対に勝つ。と、……知的でタフな戦い方のヒントを授けられた気分です。なんだか生きる希望が湧いてきました。

日本社会の「権利を特権視する感覚」を疑う

吉川:朴さんは日本を離れてフィンランドで教え、本書のベースになる講義を行い、そして再び日本の大学に戻って学生たちと向き合うようになった。逆にいまの日本社会の「前提」の異常さに気づかされるようなことはありませんでしたか。

朴:ありました。日本に戻ってきて一番びっくりしたのは、「みんな、自分の権利を侵害されることに驚くほど平気なんだな」ということです。

吉川:権利侵害に対して無頓着だと。

朴:ええ。特に雇用関係において顕著です。たとえば「『勤め始めてすぐに妊娠・出産はしないで』と言われても仕方ないと思うの?」といったことが平然とまかり通っている。私の知っている範囲では、フィンランドで出会った学校や保育園の先生、大学の同僚なんかも、学期中であっても普通にバカンスで1週間くらい休むんですよ。「11月は暗くて寒いから、ちょっとタイに行ってくるわ」って旅行に出かけちゃう(笑)。本来、労働者にはそれだけの権利があるはずだし、それが普通の社会なんです。

 ところが日本に戻ってみると、働かせる側も「休みがなくて当然」という顔をしているし、働く側も「そう言われれば応じなければならない」と思い込んでいる。みんなすごく権利を侵害されているのに、それが前提になってしまっているから、傍から見ていると「なんてしんどそうなんだろう……」と。

吉川:まさに本書の核心部分とシンクロするお話ですね。本書の「あとがき」で朴さんは、日本社会では人権という普遍的なものが、どこか「特権」のごとく思われている、と指摘されています。

 権利とは本来誰もが生まれながらに持っているものなのに、日本では「お上からプラスアルファのオマケでもらったご褒美」のように捉えられている。だから、それが少々切り崩されたり、侵害されたりしても、「まあ、もらいものだし、しょうがないか」と気にしないでいられる。そして、その「権利を特権視する感覚」は、そのまま外国人に対する排外主義のロジックと地続きで連動しているわけですよね。

朴:まさにその通りです。「自分が我慢しているんだから、他人がちょっとでもマシな権利を持っていると、それが不当な特権に見えてしまう」という感覚ですね。

吉川:こうした日本社会の人権感覚が入管政策にも反映されてきたことが、本書には克明に描かれています。もちろん、一筋縄ではいかない難しいテーマであることは間違いありません。ただ、さきほどおっしゃった「長い目で見れば勝つ」という視点に立つならば、なおさら本書は日本人が読まなければならない本だと思いました。

朴:そうですね……。ただ、先ほどの田辺先生の意識調査にしても、私は「日本人が基本的に寛容になってきたから」排外意識の数値が下がったのではなく、「普段はよく知らなくて、興味がないから」だと思っています。生きている外国人一人ひとりにとっては生活がかかった大問題なのに、マジョリティにとっては正直どうでもいい。この非対称性こそが問題なんです。

 もちろん、外国人問題について関心がある人には本書は読んでもらいたいですが、すべての人が外国人の制度について詳しく知るべきだとも思いません。あまりよく知らないことについて、中途半端に関心をもってうかつに議論をしない方がいいからです。自分の発言が他人に深刻な影響を与えかねないという想像力を持ってほしい。

吉川:日々、溢れる排外主義的なニュースに触れていると心が折れそうになりますが、感情論に流されず、その背景にある「指の動き」をデータと文献によって分析していく朴さんのタフな姿勢に、たいへん勇気づけられました。

(※1)https://socio-logic.jp/pr/2024_ParkSara.php
(※2)https://www.asahi.com/articles/AST7K22NTT7KPTIL01MM.html

■書誌情報
『日本社会と外国人-入管政策が照らす80年』
著者:朴沙羅
価格:1,320円
発売日:2026年3月24日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書

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