八木勇征はいかにして“推しという神々しい存在”を演じきった? 『推しが上司になりまして フルスロットル』の演技を読む
推しという神が上司になるという画期的な発想
推しは、存在そのものが神であり、推しからのファンサービスは神対応であり、彼らの演技は神演技と呼ばれる。何においても絶対的な神々尽くしなのだが、東ゆきによる原作漫画、その名も『推しが上司になりまして』第1話1ページ目にも「推しは神だ」と太字で強調されている。推しとは「イコール神」というシンプルな図式がその本質なのだ。
それだけに推しという言葉そのものもまたパワフルであり、推しを推す側(ファン)の力も自然とみなぎる。実際、同作ドラマ化作品『推しが上司になりまして』(テレビ東京系、2023)のヒロイン・中条瞳(鈴木愛理)は、第1話冒頭から推しが出演する2.5次元舞台を観て「今日を生き抜く力をくれる。明日を生きるための夢をくれる。勇気をくれる」と言っている。推し関連のグッズを所狭しと配置する部屋の、特に丁寧に陳列した場所は神棚にさえなるだろう。さらに推し活仲間とのこまめな交流も欠かせない。推しは人生を照らす希望であり、毎日を生きる源になる。
そして全ては推しのために…。ただし、推しに直接会うためには、ライブやファンクラブ限定のハイタッチ会、舞台挨拶などに出かける必要がある。中には高倍率を潜り抜けてチケットを獲得する争奪戦もあるだろう。そこで本作の物語はこの間接的な関係性を逆手にとる。ある日、推しという神が自分の勤め先の上司になるという画期的な発想の転換。ありそうでなかった設定によって、推しとファンとの関係性に革命が起こる!
推し活の作法が落とし込まれたオリジナルドラマ
『推しが上司になりまして』第1話の観劇場面では、瞳の推しである桐生斗真(片寄涼太)が突如引退を表明する。瞳は立ち直れないほどの打撃を受け、勤務先で脱け殻同然になる。そこへ新任の部長としてやってくるのが桐生斗真こと、本名、高城修一だった。瞳は思わず目を丸くする。活力が一気に戻る。同時に激しく取り乱す。「推しが上司で上司が推しってこと?」。 てんぱりながらも状況把握に努める。原作の瞳の取り乱しようはさらに凄まじい。これは何かのドッキリなのではないかと会社のフロアを歩き回って隅から隅まで隠しカメラを探す。
鈴木愛理演じる瞳も興奮をおさえながら心の中で悶える。目の前に神がいる。信じられない…。息もつまりそうで外に飛び出す。ずんずんひたすら歩く(前のめりな姿勢の鈴木が全力でコミカルな方へ振り切り、うまく原作キャラを再現)。我に返るとやっぱり推しがいる。こうした設定にはリアリティがないようで、推しが物理的に日常にいるからといって気安く接するわけにはいかないという推し活の作法がきちんと落とし込まれている。瞳は推し活三か条に則り節操をもって距離感を保つ。推しを推すスタンスを変えずに上司になった推しをさりげなくアシストするのだ。
職場が一緒になったことで葛藤も生まれる。基本的にオリジナルドラマ企画である続編『推しが上司になりまして フルスロットル』(テレビ東京系、2025、以下、『フルスロットル』、東が「原案・設定協力」でクレジットされている)では、ヒロインが社長になった推しの秘書になるという密接な関係性が描かれ、ヒロインは推し活と仕事の間で揺れ動く。新たなヒロイン・南愛衣は前作から引き続き鈴木が演じ、上司になる推し・高代旬は片寄涼太と同じ事務所LDHの後輩グループFANTASTICSのツインボーカル・八木勇征が演じる。
上司になる以前に破壊力がある八木勇征のリアリティ
『フルスロットル』でも推しが2.5次元俳優であるという設定は変わらない。第1話冒頭、前作同様に推しがステージ上で輝き、悠然とした佇まいの氷室旬が「お前という光に向かって進む」と決め台詞。この決め台詞きっかけで旬は剣を抜く。台詞と剣の抜き方の案配が絶妙過ぎる。ドラマ開始15秒ほど。旬を通じて八木勇征に沼るには十分だ。そういえば、10月4日に世界初演されたばかりの新作オペラ作品『平家物語-平清盛-』で、琵琶法師役を演じた八木もまた冒頭で物語のテーマとなる台詞を発した後に力強く剣を抜き、華麗な掴みが完璧だった。
筆者は同作のゲネプロ公演を観劇したのだが、八木が抜いた剣からは、16世紀末にフィレンツェの貴族文化から誕生したオペラの歴史的重みが21世紀の日本でも伝わってくる気がした。八木が剣を抜くという身振りにはそれだけの説得力がある。『フルスロットル』でも剣に重厚感を込めてみせる八木は、上司になる以前にそもそも破壊力がある。ドラマを見進めると翻ってベッドですやすや寝ていた旬が起床するさわやかな朝の場面が描かれるが、この緩急もいい。八木が演じる主人公が起床する場面は描写としてすでに定番化しているようにも思う。たとえば、今年公開された主演映画『隣のステラ』でも八木演じる人気モデル・柊木昴の起床場面が印象的だった。寝相が悪い昴がベッドから転げて床に寝ているという描写。この場面は原作では単純にベッドから床にスライドしているだけだが、映画ではあえて180°回転させることで寝相が悪いキャラのリアリティが増していた。
『フルスロットル』の旬役も最初は突拍子もない非現実的なキャラクターに見えるが、八木が演じているうちにこの社長キャラもなかなかリアリティがあるなと思えてくる。愛衣にとっては推しであり上司であり、視聴者にとっては歴然と社長役に見えなければならない。八木はいつもよりこころなしかトーンダウンした声のボリュームを一定に保ち、推しとしても社長としても常にブレないキャラクター性を表現する上で注意を払っている。第5話で愛衣が初めて旬の部屋に入り、一緒に夜食を食べる場面では密室的な状況だからこそより繊細な声と表情が画面を潤わせる。推しが上司になるという画期的な設定の中、八木勇征は推しという神々しい存在に輪郭(リアリティ)を与えている。