大谷翔平、石川祐希、松山英樹 人気アスリートのヒット書籍連発 徳間書店・苅部達矢に聞く、信頼関係の築き方

 松山英樹、石川祐希──日本のトップアスリートたちの歩みに寄り添い、その裏側にある「努力」「葛藤」「矜持」を丹念にすくい上げてきた編集者がいる。徳間書店で数々のスポーツ書籍をヒットさせる苅部達矢氏だ。もともとは「週刊アサヒ芸能」の記者として、政治家から風俗嬢まで“職業に貴賎なし”の理念のもとで人間を見つめ続けてきた。その経験が、今のスポーツ関連の書籍編集にどうつながっているのか。編集者としてのキャリアの出発点から、企画の着想、アスリートとの向き合い方、これからの出版に対する展望まで、たっぷり語ってもらった。

■編集者としての原点

トップアスリートのベストセラーを数多く企画編集している苅部達矢氏。

──早速ですが、苅部さんが編集者として歩み始めた最初のきっかけを教えていただけますか。

苅部:私は静岡の出身でサッカー少年でした。小学生の頃から、隣の小学校にはGKの川口能活さんがいたり、隣町に小野伸二さんがいたりして、とにかくサッカーがうまい人がゴロゴロいた。自分もプレーで人に感動を与えられるプロ選手になりたいと思ったけれど、どう逆立ちしてもこの人たちには勝てないな、と。それなら選手ではなく、その感動を伝える側に回ろうと思い、中学生の時にサッカー雑誌の編集記者になろうと決めました。その中でも愛読していた雑誌「サッカーマガジン」(ベースボール・マガジン社)の記者だった伊東武彦さんという方の文章が本当にうまくて大好きでした。特に、文章の端々に“人へのリスペクト”と批評性がにじむところに惹かれ、大きな影響を受けました。

苅部氏が多大な影響を受けたと話す伊東武彦氏との著書『早稲田サッカー百年の挑戦』。担当編集として2025年1月に刊行。学生時代から変わらずに尊敬の念を抱き続けているという。

■挫折と遠回りがくれた編集者の視野

──大学は早稲田に進まれたんですよね。

苅部:1歳年上で 幼稚園から小・中・高と一緒のTBSアナウンサーの佐藤文康が「スポーツを研究するならば筑波、メディアに活かすのならば早稲田の人間科学部だ」と言うんです。私は編集記者になりたかったし、スポーツの勉強もしたかった。それなら「行かなきゃ」と思ったんですけれど……学力が足りずに3浪しました。最後の年も「人間科学部」には届かず、合格した「第一文学部」に進みました。さらに、最終目標のベースボール・マガジン社の入社試験にも2回落ちました。ちょうど日韓W杯が終わったタイミングだったこともあり、最終面接で「サッカー編集部は縮小するから若い人はいらない」と言われてしまって。すごく落ち込んだのを覚えています。

 その後、縁があって学研のサッカー雑誌「ストライカー」でバイトをさせてもらうことになりました。そこで契約社員になれたらと思ったのですが、やはり地元開催のW杯が終わったことで雑誌が隔月刊になるタイミングでその願いも叶わず。そんなとき、草サッカーの場にたまたま徳間書店の人がいて、「うちはサッカー雑誌もスポーツ雑誌もないけれど、まずは出版業界に入るのも大事では」と言ってくれて。採用の締切が翌日だったので慌てて履歴書を書いて送り、なんとか徳間書店に入社することができたんです。

■「週刊アサヒ芸能」で過ごした人間を見る10年間

『週刊アサヒ芸能』の記者での経験は、編集者としてのキャリアにおいて大きな財産だという。

──入社後は「アサヒ芸能」の記者をされていたんですよね。

苅部:いきなり「アサ芸」に配属されて、2年目からは殺人事件なども担当する“特集班の記者”になりました。友人から「あんなにスポーツをやりたいって言っていたのに、なんで週刊誌なんかにいるの?」と言われたこともありました。

 正直、最初はサッカー雑誌の編集者をやりたいという思いは捨てきれなかったのですが、記者として事件の現場に行くと、加害者にも被害者にも家族がいて、どちらの側にも事情がある。取材する側は、どれだけ気を遣っても相手の心に踏み込むわけですから、覚悟がいる仕事です。人間同士のやりとりですし、信頼関係を築かないと良い記事は書けない。だから本質に関係ないことで「書かないでくれ」と頼まれれば書かない。でも、社会的に伝えるべき事実は書く。その線引きは自分の中で鍛えられました。

 10年間やりましたが、あの経験は本当に大きかった。政治家から風俗嬢まで、職業に貴賎なく接する姿勢や、人間の幅の大きさを教えてくれたのは、間違いなく「アサ芸」です。

■浅田真央との出会いと初めての本

『浅田真央公式写真集 MAO』(徳間書店)

──最初に作った書籍は浅田真央さんのものだったとか。

苅部:そうです。浅田真央さんが年齢制限でトリノ五輪に出られなかったときでした。アサ芸の記者として「直撃してこい」と言われ、自宅近くで張り込んでいたんです。ただ浅田さんに迷惑をかけたくないので、近所のお寺の住職さんや駄菓子屋のおばちゃんと仲良くして遠巻きに見ていました(笑)。取材最終日、たまたま浅田さんのお母さんが「いい人そうだから出てきちゃった」とドアを開けてくれて、会話を重ねながら仲良くなりました。

 浅田さんは大人気でしたので、他社からも依頼がたくさんきていたようなのですが、お母さんが「変なのを作りたくないから、苅部君にお願いしたい」と言ってくださったんです。当時、僕はまだ本はもちろん、写真集なんて作ったことがなかったのに(笑)。

 でも、やると決めた以上は良いものを作らなきゃいけない。リサーチをしていたら、ゴールデン街の知り合いで、「Number」などの媒体で真央ちゃんも撮っていた髙須力氏というフォトグラファーがいました。高須さんの写真を見せてもらったらあまりに素晴らしかったので、「いい写真集になる」と確信しました。そして、その髙須氏から腕利きのアートディレクターを紹介してもらいこの“人とのつながり”が次々と道を開いていく感じが、編集という仕事の醍醐味だと最初に感じた瞬間でもあります。

■願えば叶うが仕事の基本

──以前から「願えば叶う」と感じる場面が多かったそうですね。

苅部:僕は中学生の頃から、見ていてワクワクするマラドーナとストイコビッチという2選手が大好きでした。3浪して大学に入り、2000年に念願の欧州選手権を観戦しに一人旅をしたときです。滞在先のアントワープに着いてホテルを探していたら、ストイコビッチを含む代表チームの選手たちが朝の散歩していたんですよ。声をかけたら一緒に写真を撮ってくれて、「願っていると本当に叶うことがあるんだ」と実感しました。

 その感覚は編集の仕事でもあります。ネイマール選手の自伝本も、彼の父親のメールアドレスを入手することができました。そこでネイマールと書籍化への真摯な思いをメールで伝えたら、地球の裏側から返事がきた。しかも「最初に声をかけてくれたから」という理由で、入札になっても私に任せてくれた。あれは本当に嬉しかったです。“編集者は自分の熱で企画を動かす”という感覚が、自分の中でますます強くなった出来事でもありました。

■心が動いた瞬間に賭ける

松山英樹『彼方への挑戦』(徳間書店)

──松山英樹さんの本の企画のきっかけも印象的でした。

苅部:松山さんはメディアであまり語らないタイプですが、2017年の全米プロゴルフ選手権で負けたとき、テレビの前で泣いていたんです。「カメラが回っているのに泣くんだ」と驚いて、それがオファーを出すきっかけになりました。

 しかし、「メジャーの1つも獲っていない選手の本なんて、誰も読まないのでは」との回答だったので、それならば「メジャーを獲るまで5年でも10年でも20年でも待ちます。待たせていただく価値があります」と伝えたら、実際にその2021年に優勝し、書籍のオファーが多数あった中で「当初から熱心にオファーをいただいたので」と承諾してくれました。編集者冥利に尽きますね。

 石川祐希さんのときは、『ハイキュー!!』の古舘春一さんにイラストを描いていただいて特別版を作りました。出版社をまたいでのコラボレーションでしたが、1年以上の交渉を続け、最後は集英社の担当編集者の器と尽力のおかげで、発売ギリギリで決まりました。石川選手自身の人柄の良さや、競技に向き合う誠実さをどう本に落とし込むか、試行錯誤の連続でしたが、その緊張感も含めてスポーツ編集という仕事の醍醐味を感じた案件でした。

(左)古舘春一氏が描き下ろした躍動感あるカバー『頂を目指して』(中)石川祐希の写真を使用した通常版(右)小学生でも読めるように読み仮名をつけられたジュニア版(全て徳間書店)

■他社がやらないものが、自分のやるべきもの

──企画を選ぶ時の基準を教えてください。

苅部:書籍として「誰もが知る人の、誰も知らない話」を伝えたいという思いは、中学生の頃から変わりません。そのうえで、「自分がやらなければ、どこもやらないかもしれない。でも、光を当てれば必ず光る」と思う企画もつねに狙っています。

山田A子・山田直輝『となりのヤマダ君』(徳間書店)

 この夏に『となりのヤマダ君』というサッカー選手・山田直輝さんの本を編集しました。山田さんは選手生命に関わる大ケガを何度も乗り越えた選手で、現在でも現役を続けています。他社ではなかなか難しそうでと知人のライターの方から声をかけていただきました。

 しかし、奥様とお会いした際に、実際の山田選手のリハビリ日記を読んだら、厳しいリハビリはもちろん、奥様への思いに感動してしまいました。「今日はリハビリ後、自宅でダラダラしてしまった。妻の顔も暗い。彼女が笑顔になるように、もっと頑張ろう」と書いてあったのを見つけてしまった。こういう心の動きを書籍として世に出すことは私の仕事だと思い、ご夫妻で綴っていただく構成にしました。すると発売10日で重版がかかり、多くの読者から反響をいただきました。

■編集者の役割

これからの編集者は出版を核にしながら、さまざまな媒体やジャンルを横断するような柔軟な発想が大事だと話す。

──編集者として、心掛けていることをなんでしょうか。

苅部:取材対象の魅力をどう最大化するかを考えています。最初から構成をガチガチに決めるより、取材から見えてきた“本質”を大事にしたい。表紙も帯も、自分のセンスだけを過信していません。書店員さん、読者、子どもたちにも見てもらいます。スポーツを扱う編集者は、相手の人生を預かる覚悟が必要だと思います。試合の勝ち負けだけでなく、その裏にある心の揺れや小さな決断──そういう部分こそ丁寧にすくい上げたいと思っています。

■出版はもっとボーダレスになる

──今後の展望を教えてください。

苅部:これから出版はもっとボーダレスになっていくと思います。映画、テレビ、YouTube、イベント……本というコンテンツを“核”にして、アウトプットはさらに進んでいくと思います。そのなかでもスポーツは、スポーツ×ビジネス、スポーツ×健康など、横断的に展開できる。静岡時代のサッカー仲間や大学の後輩の、映画やドラマのヒットプロデューサーたちとも、どうヒットを生むか情報交換しています。分野を超えて学ぶことがすごく大事で、毎回、良い刺激を受けています。

■書籍は1000年残るメディア

──最後に、編集者を目指す若い方へメッセージをお願いします。

苅部:少し前に近所の魚屋さんの大将が掛けてくれた言葉なのですが、「動画が主流の時代だけど、文字の作品は1000年以上残る。源氏物語だって1000年以上読まれているだろ。本は1000年単位のメディア。そんな仕事ができるのは本当にすごいことだよ」と。日本語という文化を残し、光なきところに光を当て、声なき声を聴く。編集者は企画しつつその“最初の読者”になれる仕事。原稿を読みながら涙ぐむことも多々あります。本当に魅力的な仕事だと思っています。

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