月村了衛が向き合った、在日朝鮮人帰還事業の責任 「今この悲劇を検証することにより、なにか社会にいい影響を残せたら」
1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業。だが、日本で差別される彼らに「地上の楽園」だと伝えられた祖国は、実際にいってみると「地獄」だったーー。
月村了衛『地上の楽園』(中央公論新社)は、学問の道を志し「帰国運動」に賛同した孔仁学、その親友で仁学に勧められ北朝鮮に渡った玄勇太という二人の過酷な道のりを描く。日本人が直視しようとしてこなかった問題と向きあった社会派小説であり、懸命に生きる若者の姿を活写したエンタメ大作である。(11月20日取材・構成/円堂都司昭)
小説家として今取り組むべきなのは「地上の楽園」だった
――『地上の楽園』の執筆はどのように始まったんですか。
月村了衛(以下、月村):中央公論新社とは以前から執筆のお約束をしていたのですが、「楽園」というテーマでどうかと打診があり、「楽園」というキーワードが入ってさえいれば他の縛りはないというので、よい機会だと考えお受けすることにしました。この言葉から自分が真っ先に思い出すのは「地上の楽園」しかありませんでした。
――楽園から『地上の楽園』をすぐ思い浮かべたのは、なにか理由があるんですか。
月村:たまたま私がそうだったというだけで……「楽園」でほかになにか浮かびますか。
――『聖書』の冒頭でアダムとイブがエデンの園から追放される、いわゆる失楽園、楽園喪失の話とかを連想しますけど。
月村:私はいわゆる「楽園」とは縁のない人生を送ってきたので、浮かんだのが「地上の楽園」だけだったんですよ。でも、このテーマは重すぎると自分でわかっていましたし、大変なのでどうしようかとも同時に思っていました。どうしても躊躇してしまいますよね。
それでいろいろ考えて、「今はラブコメがきてると思うんだよね」とかいって、『地上の楽園』の簡単な企画案と一緒にラブコメの企画案も送ったんです。それを送信した後、やはり今の自分が取り組むべきなのは『地上の楽園』であろうと思い、その日のうちにメールを送り直しました。「すいません、さっきラブコメと書いちゃったんですけど、やっぱり『地上の楽園』をやります」と伝えたんです。ラブコメが今きていると思うのも嘘ではないんですけど、易きに流れるべきではない。ここは本気でとり組もうと決意を固めました。
――同じく北朝鮮を題材にした『脱北航路』が2022年に刊行されていますが、同作を書いている頃に『地上の楽園』を考え始めたんですか。
月村:いや、『脱北航路』はもう書き終わっていた気がします。私は基本的に締切よりもひと月くらいは先行して原稿を入れるタイプで、今書いている作品もだいぶ進んでいます。『脱北航路』が終わって間もない頃だったかもしれないですけど、私は作品ごとに頭を切り替えるから……。
――あまり関係ないですか。
月村:はい。『地上の楽園』は、書くことが決まってから着手まで2年くらい間があいたんです。でも、書き始めてみると、1年以上の連載もあっという間でした。最初は8回といっていたのが、最終的に13回になりました(『中央公論』2024年4月号~2025年4月号に連載)。
――『地上の楽園』を書くと決めて、帰還事業を進めた側と実際に帰国した側の2人を主人公にすることは、すぐ決めたんですか。
月村:いろいろ案はありましたが、この題材で書くうえでどういう主人公や設定が好ましいかといくつか検討し、自然と現在の形にまとまった感じですね。
――作中では、北朝鮮を支持する「朝鮮総聯」と韓国を支持する「民団」という二つの組織の対立が在日の人々を分断する様子が書かれると同時に、在日の問題にかかわり支援する日本人も登場します。日本人の視点で書くことは考えませんでしたか。
月村:最初は主人公の友だちや仲間に日本人がいてもいいのではないかと考えたんですが、いろいろ構想するうちに在日の人達のコミュニティを主軸に据えようと決めました。この設定で始めたけど途中でやっぱりダメでしたというわけにはいきませんからね。これだったら最後までいけるだろうという大まかな計算があって、初めて着手できるんです。そういうことを考えつつ、資料を読みこみ、頭のなかで構成がまとまっていきました。
日本人の責任を追及したい
――月村さんは、歴史や海外情勢を踏まえた作品が多いですし、毎回たくさん参考文献を読まなければいけない。文献を読むことと、物語の世界や人物を作っていくことは、どういうプロセスになっているんですか。
月村:昔は一通り読んでから着手したんですけど、今はそんな余裕は全然ない。それでもある程度読みこんでから、よし、これで着手できるというところを見極めて始めます。勉強していたらいつまでたっても終わらないし、プロとしてきちんと定期的に原稿を書かないといけない。もちろん調べなければならないことは、その都度ありますから、書きながら調べる。調べながら書く。正直いって、書くのはさほどつらくないんです。
なにがつらいかというと、資料を読むのが本当につらい。もうこの10年くらい趣味の本なんて読む暇がない。話題作が毎月のように出て、買ってはいるし気にもなるけど、読む暇が全くないんです。霜月蒼さんが一度、拙宅にこられたんですけど、廊下の左右に本が並べてあって、いろんな意味で真っ黒なんですよ。北朝鮮とか軍事、警察、犯罪組織といった本ばかりだから。霜月さんは他人の家の廊下を「暗黒街」と呼んでいました(笑)。
――確かに楽しそうとは思えないですね(笑)。
月村:毎日そこを通って、気が落ちこむ一方ですよ。調べながら執筆していくといつもそうですけど、初めて知ることが次々に出てくる。今回は特にそうで、それが自分にとって執筆の大きなモチベーションになりました。これは書いておかなければいけない、自分も含めて日本人は本当になにも知らないと、発見の連続でした。
――「楽園」と騙されて北朝鮮へ帰還した人々は、苛烈な労働、飢え、密告などに苦しめられ、多くが収容所に送られたり死んだりしたわけですね。知らなかったことで、一番大きかったことはなんですか。
月村:一例をあげますと、我々は小泉純一郎元首相の電撃訪朝(2002年、2004年)を記憶しているでしょう。その時に、彼の父でかつて帰還事業を推進した小泉純也という政治家の名が一瞬でも頭に浮かんだかといったら、誰も浮かばなかったのではないか。小泉純也の名を関連づけて報道する記事があったか、その名を見たかといろんな人に聞いてみましたけど、全員が見なかったと答えました。小泉純也のことが報道されずにあの小泉純一郎ブームがあったのかと、大いなる欺瞞を感じました。
――私も『地上の楽園』を読んで、小泉の父のことは知らなかったので驚きました。
月村:北朝鮮への帰還事業というと、ほとんどの人は共産党、社会党(社民党の前身)が推進したと理解していると思うんです。私もそうでした。そのことは、作品のなかでも「共産党、社会党のみならず」と必ず入れています。ただ、特定の政党をおとしめる意図は全くないですけど、自民党がそこまで大きくかかわっているとは知らなかったし、なかでも小泉純也は超党派議員らによる組織の共同代表におさまっていたのだから、弁解の余地はないでしょう。当時の新聞や資料をざっと見た限りでも、最も露出しているのは、小泉純也なんです。
帰還事業を促進する報道をしたマスコミ、扇動した政治家や文化人、その誰か一人でも自分の犯してしまった罪を自覚していたのか。責任をいったい誰がとったのか。そのことに対する怒りを感じて、これは放置してはいけないと思いました。今日まで知らずに生きてしまった自分も例外ではない。自分も含めて、はっきりと責任を追及したいという思いは、大きなモチベーションとしてありました。
在日の方を傷つけてしまった過去
――先ほど触れた『脱北航路』の場合、北朝鮮の軍人が、日本人拉致被害者の女性を連れて潜水艦で日本へ亡命しようとするという、いかにもエンタテインメントらしい設定がありました。でも、『地上の楽園』はそうではなく、北朝鮮への帰還事業をストレートにあつかっていますよね。
月村:はい。ですが、意図して書き分けたわけではないんです。どの作品も題材に応じて自然に書いていく感じなので、この作品も極めて伸びやかに、というと言葉がいきなりポジティブになってしまいますが、自然に書いていきました。
自分の小中高時代から大学時代をふり返ってみると、朝鮮半島にルーツを持たれる方がやはりいたわけです。それらの人に対して自分が適切に接してきたかというと、そんなことはない。特に小中の頃なんて本当に無知もいいところだったので、彼らを傷つけてしまったという思いは長らくずっと自分のなかにありました。この作品が自分にとって特別であるとすれば、そういうところですね。
――身近に在日の方がいたんですか。
月村:同級生に必ずいました。通名の方もそうではない方も。彼らを傷つけたことに対して、「自分は知らなかったんです、ごめんなさい」ですむとは思えません。では、どうすればいいのか。その答えは未だに見出せていない。機会があれば謝りたいと思っているけれど、どう謝ればいいのか。今日まで引きずってきたんですよ。子どもで知らなかったという以外に理由はないけれど、それが逆に彼らをまた傷つけることになりかねないリスクもある。そうしたことを声高に前面に出すのではなく、作品に盛りこんでいこうと、少なくとも執筆中の自分にはそういう思いが常にありました。
――帰還事業が始まったのは1950年代終わりで、月村さんが1963年に生まれるより前ですよね。在日の同級生の話が出ましたけど、月村さん自身が、朝鮮半島の分断であるとか日本とは国家体制が違うといったことを認識したのは何歳頃でしたか。
月村:高校以降でしょうね。中学校では社会の授業で勉強するくらいで、実感を伴って認識できていたかというと、全然そんなことはなかった。
――帰還事業が進んでいく第一部のストーリーに関しては、高校生の孔仁学の視点から書いていますね。第二部で彼の親友の勇太は、北朝鮮のひどい環境のなかで大人になっていく。そのように設定したことで、青春小説のエンタメとして読めるようになっていると思いました。この年齢の設定は、すんなり決まったんですか。
月村:いろいろなところから逆算して決めました。
――例えば、後半に出てくるサッカーの日韓ワールドカップ共催(2002年)とかですか。
月村:そうです。第一次帰国船が何年で、いつ頃に帰国事業が終わってワールドカップがあり、小泉電撃訪朝があって、などと年表を作って、そこから主人公ふたりを何歳に設定すればいいかを決めました。年表を横目で見ながら執筆していましたね。
日本人には帰還事業の問題を直視してほしい
――書き進めるうえで苦労した部分はどこですか。
月村:苦労したというか配慮したのは、北朝鮮に行ったからと言って必ずしも北朝鮮ルーツではなく、むしろ半島南部出身の人が多いわけです。そうしたことも踏まえて、朝鮮半島にルーツを持つ人たちを描くうえで、文化的背景や日常生活などの記述でミスをしてはいけない。自分でできる限り調べたほか、お名前を出すことはできないのですが、北朝鮮、韓国ともに、事情に詳しい方に監修していただいて、描写に注意しました。
ただ、背景となる歴史的事実に間違いがあってはならないのですが、この作品はフィクションですから、当然、登場人物は全部創作です。帰還事業に協力する孔仁学も北朝鮮に帰国する玄勇太も、モデルはいないですけど、こういう人はいただろうと確信を持てる人物像にしたつもりです。そうすると自ずと人物造形も決まってきて、作中でも触れられていますけど、仁学には頭がよさそうな名前を考えてつけました。
――一方の勇太は、名前の通り勇ましいですしね。北朝鮮へ渡ってから勇太が追いつめられていく描写は、凄まじいですね。
月村:いや、あれはだいぶ抑えて書いたんですよ。フィクションを書く一つの作法として、勉強したことを全部書かないというのがあります。つい書きたくなりますけど、作品にとってどこまでが必要でどこを排除するかは、プロとアマチュアを分ける一つの目安になる。今回も、これは書いておきたいということはいっぱいあったんですが、ほぼオミットしました。日本側の人物についてもそうだし、北朝鮮の収容所の実態もこれでかなり抑えている。これ以上書くともっと生々しくなってしまう。そうすると作品として別の方向に流れるので、そこはコントロールしています。
最初は、勇太がひどい目にあいながらも収容所の人たちの心を掌握して親分になっていく展開を考えたんです。それは『パピヨン』(1973年の脱獄映画)のイメージだったんですけど、調べてみたら収容所に入るとすぐ死んでしまうから、そんなことをやっている暇はない。だから、そういう過程は全部なくさざるを得なかったですね。
――帰還事業に協力した孔仁学、北朝鮮へ行った玄勇太、それぞれのパートが書かれた後に再会のパートになりますが、ここは意外に短い。それは意図したことですよね。
月村:もう少し長く書ければよかったかもしれないですけど、どういう風に終わらせるかがギリギリまで決まらなくて、自分のなかで見出した答えがあの展開なんです。必然性があって書くからこそ読みごたえがあるのだし、いたずらに水増ししてもしょうがない。逆に短いなかで登場人物の思いが伝わるならば、言葉を切った方がいいだろうし、それがこの作品を独自のものにしていると思います。
――この作品を書き終えてみて、今どう考えていますか。
月村:真面目な話をすると、作品を執筆した動機として、日本がかつて犯してしまった罪を明らかにしたい、責任をとってもらいたい、そうしないと日本は前に行けないだろうという思いがありました。それは、積極的に隠蔽されたものですらなく、自然に忘れさられてしまったのかもしれない。その意味では、今この悲劇を検証することにより、なにか社会にいい影響を残せたらと思います。
でも、正直にいうと、もう駄目だろうと絶望している自分もいるんです。日本は衰退する一方ですから。この作品を書き終わって、今の世の中がどうなっているか周囲を見回すとなにも変わっていないじゃないかと、そういう思いに陥りがちな今日この頃です。ただ、読者には問題を直視してほしいとは思います。人間は見たいものしか見ないというのが、私の持論です。この作品を読んでどう思うかはそれぞれに任せたいと思いますが、その結果、ちょっとでもよい方に向かってくれると嬉しいですね。
■書誌情報
『地上の楽園』
著者:月村了衛
価格:2,530円
発売日:2025年10月21日
出版社:中央公論新社