連載:道玄坂上ミステリ監視塔 書評家たちが選ぶ、2025年9月のベスト国内ミステリ小説
今のミステリー界は幹線道路沿いのメガ・ドンキ並みになんでもあり。そこで最先端の情報を提供するためのレビューを毎月ご用意しました。
事前打ち合わせなし、前月に出た新刊(奥付準拠)を一人一冊ずつ挙げて書評するという方式はあの「七福神の今月の一冊」(翻訳ミステリー大賞シンジケート)と一緒。原稿の掲載が到着順というのも同じです。今回は九月刊の作品から。
千街晶之の一冊:北山猛邦『神の光』(東京創元社)
人間が消えたり建物が消えたり列車が消えたり、ミステリの世界には「消失もの」とも呼ぶべき系譜の作品があるが、北山猛邦『神の光』は、収録作五篇すべてを消失テーマで揃えてみせた、恐るべき意欲的な試みだ。一九四一年のソ連で赤軍兵士が見守る前で消えた屋敷、一九五五年のアメリカで一晩にして消えた街、E・A・ポオの未発表原稿の中に記された山小屋の消失……等々、凝ったシチュエーションと精緻な伏線、大胆なトリックと納得のロジック、そして豊饒なロマンが融合した逸品ばかりだが、特に表題作は消失ものの歴史に残る傑作だ。
若林踏の一冊:北山猛邦『神の光』(東京創元社)
奇想天外な物理トリックで読者を驚嘆させる北山猛邦が、消失の謎を扱う短編ばかりを集めた本を出した。この情報だけでも謎解き小説ファンは心が躍るだろう。砂漠の中の街がまるごと消えるという途方もないスケールの謎が描かれる表題作、レニングラード包囲戦という史実を背景に幻想的な謎が際立つ「一九四一年のモーゼル」、消失劇にビブリオ小説の興趣を組み合わせた「未完成月光 Unfinished moonshine」など舞台と物語の興趣を様々に変えながら、北山作品の中でも指折りの神秘的な謎と流麗な推理で魅せる五編が揃う。高水準の謎解き短編集だ。
梅原いずみの一冊:北山猛邦『神の光』(東京創元社)
九月と言わず、今年ベストの傑作短編集が出た。収録作五編すべてが消失トリックを扱う驚きの一作である。北山猛邦が今回消失させるのは、監視下の屋敷、砂漠の街、ポー直筆原稿に登場する小屋、鳥居、夢の中の館。どの作品も、世界観とハウダニットの絡め方が大変に冴え渡っている。不可解で魅力的な謎が解かれることで、〝人間〟の姿を描く手法も鮮やか。マイベストは一夜にして消えた砂漠の街の真相が語られる推協賞候補作の表題作と、千年の時を超える消失劇を描く「藤色の鶴」。壮大な物理トリックとロマン漂う物語がたまらない。
酒井貞道の一冊:紺野天龍『聖女の論理、探偵の原罪』(ハヤカワ文庫NV)
名探偵は、物語/作者の都合に合わせて推理し、その推理を周囲の人物がなぜか信じる架空の存在でしかない。誤解なきよう、私はそんな名探偵が大好きです。しかし、そんなご都合主義の塊が、自らが名探偵であることを理由にグチグチ悩む姿には、正直萎えます。迫真性が全く感じられない。しかし紺野天龍はここら辺の小説作りが上手い。『聖女の論理、探偵の原罪』はその最高峰で、名探偵ならではの苦悩と克服には、確かな手応えがある。しかも名探偵ばかりに頼っていない。トリック、推理ロジック、ストーリーテリングいずれも圧巻の出来だ。
藤田香織の一冊:まさきとしか『スピーチ』(幻冬舎)
札幌。繁華街すすきのからもほど近い豊平川の川岸で、女性の他殺遺体が見つかった。両目に黒い粘着テープが貼られ、首に紐のようなもので絞められた跡があるのは、8年前隣接する江別市で起きた未解決殺人事件と同じだった。同一犯か、それとも。事件を追う36歳と50歳の女性刑事コンビ。息子が連続殺人事件の犯人であると綴る切実な<ある母親の手記>。語られていく物事をぼんやり読み進めていくと、とんでもない場所に連れて行かれる衝撃が凄まじい! 人はそれぞれ見ているものが違い「正義」が違い、そこには「言い分」があるのだと改めて。いやそれなあ!
橋本輝幸の一冊:北山猛邦『神の光』(東京創元社)
収録された五つの短編はすべて建造物や町など大きなものの消失トリックを扱っている。舞台となる時代と場所は、ソビエト連邦のレニングラード、二十世紀のアメリカ、二〇五五年のカスピ海沿岸にある共和国、平安時代の日本などバラエティ豊かだ。特に、巻頭の二篇「一九四一年のモーゼル」「神の光」は史実とのからめかたも見事で、人から語り聞かされる体裁も相まって深い余韻を残す。ミステリ、人間ドラマ、そして短編一本で使いきるのが惜しいほど作りこまれた世界観が三位一体となった、著者の魅力が堪能できるハイレベルな作品集。
杉江松恋の一冊:三津田信三『妖怪怪談』(光文社)
三津田信三っぽい作家が最近体験したことを語るうちに、別の誰かが巻き込まれた怪異の話になるという、おなじみの構成の短篇集である。題名にある通り主題は妖怪なのだが、単にモチーフとして消費するだけではない点が素晴らしい。その妖怪にどのような民俗学的背景があるかがまず分析され、それを踏まえた形で現代の物語が構築されていく。本全体で一冊の妖怪学入門になっているのである。それぞれのエピソードも多彩で、この作家が持つプロットのレパートリーが豊富であることを窺わせる。ミステリー的な技巧も尽くされ、充実の一冊だ。
一冊に人気が集中しました。ミステリーの短篇集としては今年ベスト級の出来ゆえ、これはやむを得ないことかと思います。しかしその他の作品もおもしろいものばかり。来月に向けて、またどんどん読んでまいります。