プリキュアで知られるトップアニメーター・香川久に聞く、表情豊かなキャラを描く方法「“目線”にはこだわって描いています」

 『フレッシュプリキュア!』でキャラクターデザインを務めるなど、数多くの魅力的なキャラクターを生み出してきたアニメーター・香川久が、『香川久が全力で教える「表情」の描き方』(SBクリエイティブ/刊)を刊行した。

『香川久が全力で教える「表情」の描き方』(香川久/著、SBクリエイティブ/刊)は、香川氏がキャラクターの表情の描き方をとことんレクチャーした一冊。アニメーターから漫画家まで、キャラクターの絵を描く人ならぜひ手にしたい決定版である。

 アニメにおいて、表情を描くことは基礎であるとともに、キャラに魅力的な芝居をさせるための要であるのは間違いない。本書には、これまでに香川氏がアニメーター人生の中で培った、表情を描くノウハウを余すところなく詰め込まれている。アニメーターはもちろんだが、漫画家、イラストレーター必携の一冊になっているのがポイントだ。

 香川氏がアニメーターとして仕事をするうえで、理念としていることは何か。これまでのアニメーターとしての歩みから、仕事の方法論などについても深掘りして話を聞いた。

『香川久×馬越嘉彦 バトルヒロイン作画&デザインテクニック』(香川久・馬越嘉彦/著、玄光社/刊)はアニメーターからイラストレーター、漫画家まで幅広い層から愛用されている名著である。

■絵が上達するコツは、身体で覚えること

――『香川久が全力で教える「表情」の描き方』は、キャラクターを描くうえでの基本となる表情に絞って解説した本です。表情に焦点を当てた本は、今までにありそうでなかったと思います。

香川:表情という基礎を身に着けるためには、自分でもとてもいい一冊だと思っています。一枚の絵に費やす時間は、デジタルもアナログでも同じようにかかりますし、今の時代は漫画もアニメもいろいろな絵柄があります。そんななかでも、表情は絵の基本であり、表情を描く技術は絵柄や時代に左右されないものだと思います。

 自分自身、最初から思ったように絵が描けたわけではありません。いろいろなものから吸収し、学習しながらアニメーターの仕事を続けています。そんな自分が培ってきた技術をこの本に盛り込みました。キャラの絵を普段描いているけれど、表情がうまく描けなくて悩んでいる多くの人の参考になればいいなと思っています。

――この本は“模写を歓迎します”と書かれていますね。やっぱり模写は絵の上達のためには欠かせないのでしょうか。

香川:子どもの頃から絵を描いてきましたが、好きな漫画の絵柄やアニメのキャラなどの模写から入っています。好きなアニメや漫画があって、こんな顔を描きたい、このアングルを描きたいと思うことが絵を描き始めるスタートですから、やはり模写が絵の上達には一番手っ取り早い気がします。

 幸い、今の時代はネット上でいろいろな素晴らしい絵を見られる環境にあります。ですから、この本の絵に限らず、気に入った絵があれば模写を通じて学んでほしいと思います。そして、アナログでもデジタルであっても、模写を繰り返して絵を描く感覚を身体に染み込ませていくことが大事ですね。

――好きなところから始めて、どんどん発展させていくことが大事なのですね。

香川:ちなみに、アニメーターは新人の段階で絵を直される機会が普通にあります。おそらく、あらゆる絵描きの界隈で、アニメーターほど絵にダメ出しされる職業は珍しいかもしれません。自分よりも上手くて絵のことをわかっている人から直されることがあって、新人はそうやって絵の基本を叩き込まれます。

 ただし、直してもらったものをただ見るだけではダメなんですよ。修正された線をなぞってみて、手と頭を使って技術を身に着けていくのです。上手い人の指摘をいかに生かすかどうかが、画力を向上させるためには欠かせません。絵を描いてダメ出しをされる、その繰り返しによって、アニメーターの技術の底上げが図られてきました。

――アニメスタジオでは指導を受けて、技術を研鑽できる機会があるのですね。

香川:ところが、昨今のアニメ製作の現場では、第一原画を描いたアニメーターが、作画監督に修正されたレイアウトをなぞったりして直す機会がなくなっています。大抵、第二原画を担当する別の人がなぞっていたりするのです。

 第一原画を描いたアニメーターにとっては、せっかく絵が上達する機会なのですが、これでは画力の向上に繋がらないのではないかと心配しています。新人を育てることに熱心なアニメスタジオは、しっかり昔ながらのやり方を守っているようですが……。

「表情の作り方」の解説。目は言うまでもなく、眉や口をちょっと変えるだけで表情は大きく変化する。
喜怒哀楽の表情の基本パターンの一つである“喜”も、キャラの性格、年齢、性別などによってさまざまな表現の仕方がある。

■映画などでオーバーな表現を研究する

――“表情豊か”という言葉がありますが、魅力的な絵を描けるようになるためには、何から練習すると良いのでしょうか。

香川:本書の冒頭にもありますが、まずは喜怒哀楽の4つのパターンを練習するのは基本だと思います。画力を向上させるためには、デッサン力やリアル感ももちろん大事ですが、表情はそれだけに縛られないところもあります。漫画的な手法も取り入れながら、自由度を大切にしながら描いていってほしいですね。

 感情を表現するための、漫画的な記号はいろいろ生み出されていますね。例えば、怒ったときに眉を吊り上げる描き方などもそうです。そんな記号をもとにした簡単な顔文字を絵に落とし込んだうえで、さらに表情の強弱や、感情の揺れ動きを描き出せるように練習していくのがいいでしょう。

――絵描きの方には、町を歩いているときや、人と飲んでいるときも表情の観察を欠かさないという方がいらっしゃいます。

香川:もちろん、町を歩く人の観察もいいと思いますが、映画や芝居に見られる表現をいっぱい見たほうがいいかもしれません。現実では人間はそんなにオーバーに感情を出さないじゃないですか(笑)。アニメや漫画では、見る人に伝わりやすいように表情を誇張して描くのが基本ですから、映画などでオーバーな表現を研究したほうが有効だと思います。

――アニメーターにとって、原画で表情を描くこととは、どのような行為なのですか。

香川:原画は絵コンテを参照にしながら、シナリオや演出が求める“最適解”を生み出す作業ですが、実際の現場では求められている以上の表情を描く必要があります。自分は常にカメラアングルやポーズを考え、さらに役者になったつもりで絵を描いています。アニメーターは絵描きと同時にカメラマンでもあり、役者でもあるのです。

“怒り”のレベルによる表現の違い。眉の角度や口の開け方だけでなく、髪の毛の広がりも意識することで、怒りの大きさを表現することができる。

 アニメの原画で効果的な表情を描くためには、“体全体で感情表現をすること”が欠かせません。バストショットであっても、表情にふさわしい肩や首の角度まで考えながら描いていくことによって、魅力的な絵が生み出されるのです。

 自分はいつも、キャラクターの“目線”にはこだわって描いています。あと、輪郭線もものすごく重要視しているかな。作監修正(注:作画監督が原画マンが描いた絵に修正を加えること)で目線と輪郭だけを直すことがありますが、ここを手直しするだけでずいぶんと絵のイメージが変わるんですよ。

キャラクター作りの秘訣もレクチャーされている。数々のアニメでキャラクターデザインに関わってきた香川氏ならではのテクニック。

■キャラクターデザイナーの仕事とは

――香川先生は数々のアニメでキャラクターデザイナーを多数務めておられます。

香川:キャラクターデザインは、原画を担当するアニメーターのために、全身の三面図や表情集などの設定を作る仕事です。しかし、それはあくまでも設計図なのです。本編では、いかにその場面に合った絵を描けるかどうかが、ポイントになります。上がってきたレイアウトの絵が設定の丸写しのようなこともありますが、それではいけません。

香川氏が描く多彩な泣き顔はぜひとも模写し、学習したい。

 感情を爆発させるなど、ここぞという表情を描くためには、何よりもアニメーターが気持ちを込めて絵を描くことが大事です。声優さんは絵に対して声を入れますが(注:現在のアニメの現場では、絵よりも先に声が上がっていることの方が多いという)、我々は絵で芝居をしているわけです。

 キャラクターがそのセリフを叫んでいる姿を思い浮かべながら絵を描き始めて、思い通りか、それ以上のものができあがったら神がかり的ですね。

――漫画と異なり、アニメの絵は第一に、動かすことが求められます。

香川:自分が初めてキャラクターデザインを務めたのは、『劇場版 美少女戦士セーラームーンS』です。このときは、密度が高くなりすぎると作画する際に大変なので、自分が描きやすいことを前提に、シンプルでありながら効果的に絵を見せられるように考えてデザインしました。

 ただ、一昔前の原作付きのアニメは漫画と絵柄が違っていても許されましたが、最近は原作が人気になればなるほど、そのイメージのままアニメ化してほしいという要望が多く、視聴者もそれを望んでいます。したがって、原作のイメージを生かしつつ、動かすことを想定してデザインする技術が求められるのです。

 『トリコ』は自分がキャラクターデザインを務めたアニメです。胸板の厚さとか、かっこいい絵も面白い絵も必要でしたが、このときは『北斗の拳』で原画や動画を担当し、手と脳で覚えていた感覚が役立ちました。一方で、原作の島袋光年さんはギャグ漫画家さんなので、ギャグ的なテイストも必要でしたから、絵の振れ幅は大きかったですね。

――香川先生は「ジャンプ」系の王道の少年漫画に多数参加されている一方で、少女漫画原作のアニメや、女児向けの作品にも関わっておられます。

『香川 久 東映アニメーションプリキュアワークス』(一迅社)

香川:自分には姉がいたのもあって、そんなに少女漫画には抵抗がありませんでした。でも、作画監督を務めた『美少女戦士セーラームーン』はバトルの要素もありますし、キャラクターデザインを担当した『神風怪盗ジャンヌ』や『フレッシュプリキュア!』もいわゆる恋愛物の少女漫画とはちょっと違うテイストがあるかなと思います。

 一方で、原作がないオリジナルの場合は、世界観を考えつつ、今までのそれまでのあらゆる絵の引き出しのなかから、使えるものを引っ張り出してきてキャラクターをデザインしています。

■創作する若い人たちをサポートしたい

――アニメ業界では様々な問題が危惧されていますが、その一方で、イラストやアニメに対する関心がこれまでにないほど高まり、絵を描くことを楽しむ人が増えています。

香川:絵に親しむ人が増えたことはとてもいいことだと思います。それに、自分がアニメーターになったころよりも、現代はいろいろなツールが登場していますよね。紙とペンだけでなく、タブレットで描いたり、さらにアプリを使ってアニメも作ることもできますから。生成AIなどいろいろ新しいツールが出てきているようですが、自分はあくまでも手を動かして、自分の手で描くことを大事にしたいと思っています。

 これから描く人は、ネットでちょっと検索すればいろいろな絵を見ることができますし、得られるものもいっぱいあるでしょう。逆に、物が多すぎて、取捨選択が難しい気もしています。そんななかで、キャッチーなものを描ける人はすごいなあと思っています。

――香川先生が、今後手掛けていきたい仕事はどんなことでしょうか。

香川:ベテランと呼ばれる年齢になってしまったので……キャラクターデザインの依頼がある限りは、もちろんその機会を生かしたいと思っていますが、アニメは若いスタッフたちが先頭に立って、何か新しいものを作る方が健全な気もします。自分ができることをやりつつ、若い人たちが生み出そうとする作品を、サポートできるような立場にもなりたいですね。

 アニメの現場では、まだ技術が伴っていないアニメーターに無理な仕事を丸投げしてしまって、それを全部描き直すことも多いと思います。そうならないためにも、これからのアニメ業界を担う人たちに向けて、直接指導できるチャンスがもっとあればと思っています。

――素晴らしいですね。

香川:自分の父親は建築物の設計技師でした。自分は定規で引く線より手描きの微妙な曲線を引きたいというちょっとした反発もありましたが、何かを作るという技術者的なところは受け継げたのかなと思っています。今回の本でも、自分がアニメーターとして培ってきた技術を継承したいという狙いもあります。

 絵柄はその時々の流行などもありますが、普遍的なところは継承されていくべきと思います。この本を手にした読者の方が、どんなことでもいいので、何か気づきがあったらありがたいなと思っています。そして、プロとして絵を生業にするにあたっては、気づきだけで終わらずに、その気づきを自分の技にする必要があります。ぜひ、次の世代の皆さんには頑張っていただきたいと思います。自分もまだまだ頑張ります。

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