民俗学の聖地・遠野で、いま何が起きている? 話題書『シシになる。ー遠野異界探訪記ー』著者・富川岳に大石始が聞く
柳田国男が岩手県遠野市に伝わる物語や伝承をまとめて刊行した書籍『遠野物語』。後に民俗学の出発点とされるその名著は、数多の研究者たちを魅了し、かれらを遠野の地へと誘ってきた。いまも河童や座敷童子などの民話が息づく民俗学の聖地は、近年あらたなクリエイティヴの場として注目され、アーティストやクリエイターが集うようになっている。その中心にいるのが、作家・プロデューサーの富川岳である。
東京の広告代理店で働いていた富川は、移住した遠野の地で、伝統芸能・シシ踊りと出会う。やがてその担い手となった彼は、「Reboot Folklore」を掲げ、伝統文化を現代に深く接続させるプロジェクトを多数企画してきた。なかでも『遠野巡灯篭木(トオノメグリトロゲ)』は、コムアイをはじめとする多彩な現代のアーティストたちと、シシ踊りとのコラボレーションを含む意欲的なイベントで、県内外で大きな注目を集めている。
富川の新刊『シシになる。 ー遠野異界探訪記ー』(亜紀書房)には、遠野の文化/物語に深く魅了され揺さぶられながら、シシ踊りの担い手として、そして地元とヨソモノの結節点として、伝統を受け継ぎながら新しい文化を共に創造していく過程が描かれている。
いま遠野で何が起きているのか──文筆家・大石始がその核心に迫るべく、インタビューを試みた。
遠野に“クリエイティヴな才能”が集まる理由
──富川さんがはじめて遠野を訪れたのは2015年12月ですね。この10年ほどで、遠野を訪れる人々に変化を感じることはありますか?
富川岳(以下、富川):僕がはじめて遠野を訪れたころ、ちょうど地方創生の動きが活発になって、たくさんの人たちが遠野に入ってきたんですよ。地域おこし協力隊の制度を活用してブルワリーやカフェを作る人がいたり、デジタルを使って何かやったり、そういう動きが始まったタイミングだったんです。それから10年経って、当然離れていった人もいますが、コロナ以降の生き方のひとつとして、都心以外の場所で生きることを選ぶ方も増えている気がします。
あと、ここ数年の呪術ブームの影響も感じますね。遠野市立博物館はXで妖怪や呪術について積極的に発信していて、フォロワーもかなり多いんですよ。オカルトや怪談の人気も根強いですし、そのような興味から遠野にいらっしゃる方も多いようです。
──遠野はさまざまなベクトルから注目を集めているということですよね。妖怪や呪術の舞台であり、民俗芸能愛好家にとって憧れの土地であり……。
富川:加えて、最近遠野のホップが注目を集めていて、ビール好きの聖地にもなってますね。キリンビールが遠野のホップを守ろうという活動をしていることもあって、遠野は国産ホップの栽培面積が1位なんですよ。
──アートやクリエイティヴ関係はいかがですか?
富川:僕が関わっている「遠野巡灯篭木」をきっかけに遠野に来てくださるアーティストやクリエイターの方は明らかに増えましたし、一緒に仕事をする機会も飛躍的に増えました。遠野という場所を研究のフィールドとして見てきた研究者の方、たとえば民俗学者の赤坂憲雄先生などはその変化を感じていらっしゃるようです。赤坂先生は「遠野が研究をする場所からクリエーションをする場所になった」とおっしゃっています。
──なぜ遠野に関心を持つアーティストやクリエイターが増えているのでしょうか。
富川:遠野の“死生観”に関心を持つ方が多いという印象があります。「遠野巡灯篭木」のプロデューサーを務めた塚田有那さんも最初はそうでした。有那さんがキュレーションした「END展 死から問うあなたの人生の物語」(iTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズ[東京]、2022年)という展覧会には、20代女性が数多く訪れたそうです。死に対して関心を持っている方が増えているというんですね。
遠野は魂というものに向き合ってきた土地です。柳田国男の『遠野物語』に魂の行方の話が出てきますし、遠野ではお盆にさまざまな風習が行われています。遠野にやってきて「死」に関するヒントを探ろうとする人が増えているのではないでしょうか。
──実際に遠野を訪れたアーティストの反応はいかがですか?
富川:僕がガイドをするときは、もちろん『遠野物語』の舞台へも案内します。『遠野物語』に触れてから遠野に来られる方も多いので、「ここが河童が出た場所なんです!」と言うとおもしろがってくれますね。一方で、まず遠野の死生観に触れることのできる場所、お寺や神社に連れていくことも多いんです。
獣も含めた死者供養のために始まった「シシ踊り(鹿踊・獅子踊)」を実際に観ていただくこともあります。シシ踊りは、約400年前に遠野に伝わった芸能で、現在も(休止中を含め)17の団体が遠野で活動しています。僕はその中でも、柳田国男が出会い『遠野物語』序文にも登場する「張山しし踊り」という団体に所属しています。信仰や土地とのつながりをとどめたシシ踊りという芸能が、いまも受け継がれているさまを目の当たりにし、みなさん衝撃を受けるようです。なかには涙を流す方もいます。
遠野は“芸能の街”「ここで暮らしていると、『遠野物語』より芸能の方が身近に感じることが多いです」
──僕も富川さんのガイドで遠野の「板澤しし踊り」を拝見したことがありますが、本当に衝撃的でした。『シシになる。 ー遠野異界探訪記ー』にも書いてありますが、遠野は芸能の街で、人口の半数が郷土芸能に関わっているそうですね。
富川:そうなんですよ。岩手県自体、日本屈指の芸能団体の多さを誇っていて、遠野だけじゃなく近隣の町にもたくさんの芸能団体があるんです。そのなかでも遠野はシシ踊りや神楽、さんさ踊り、南部囃子などさまざまな芸能が伝わっています。僕も含めて地元の方々にとっては、『遠野物語』よりも芸能の方が暮らしに身近な存在かもしれません。
広告代理店を退職、遠野へ移住した決意
──先ほど触れたように、富川さんが初めて遠野を訪れたのは2015年12月。翌年4月から遠野で始まる地域活性化プロジェクトの視察で遠野を訪れたわけですが、熱意をもって遠野を訪れたというより、流れで足を運ぶことになったそうですね。
富川:そう、完全に流れでしたね。そのころは広告代理店を退社しようと思っていて、地域おこし協力隊としてその地域活性化プロジェクトに参加しようと考えていました。でも、いざ遠野に行ってみたらあまりにも寒くて。
──12月の遠野は本当に寒いですよね。
富川:そうなんです。遠野視察後、辞退しようと思って誘ってくれた方に連絡をしたら、「うじうじ言ってんじゃねえ」と説教されまして(笑)。 「ローカルで何かやりたいのであれば、3年だけでもいいから遠野にいたほうがいい」と強く言われて、結局遠野に住むことになりました。
──広告代理店にいた当時は、時代の流れに応じた、瞬間的に消費されるコンテンツを作るのが仕事だったわけですよね。そうした仕事のあり方に違和感を感じるようになっていたのでしょうか?
富川:当時働いていた大手広告代理店には、アイデアが無限に出てくるお化けみたいなプランナーがいくらでもいたんですよ。もともと瞬間的に何かを企画することに苦手意識があって、真面目にコツコツやる方が得意ではあるんですね。最新のテクノロジーをウォッチすることにも興味が湧かなかったですし。時代を超えて残るような仕事をしたいという思いもありました。
──最初は戸惑いながら遠野に入っていくわけですが、徐々に関心がその戸惑いを上回っていきます。なかでも師匠となる地域史研究家、大橋進先生との出会いが大きかった?
富川:大橋先生との出会いは一番大きいと思います。『遠野物語』は視界に入っていたんですけど、民俗学を学んできたわけじゃないので、そのおもしろさが全然分からなくて。大橋先生に教えてもらうなかで、完全にそっちの興味が爆発してしまったんです。
遠野には河童や座敷童子が出現した場所が今でも残っているんですよ。毎日3時に僕の事務所にやってくるおじさんがいるんですけど、その人の先祖は天狗と仲良くなった人なんです。これだけ陽気なおじさんの先祖だったら天狗とも仲良くなるよなという方で(笑)。
僕らが住んでいる現世と異界って限りなく繋がっていて、そのレイヤーが重なるところに自分はいるんだと思うようになってからは、『遠野物語』の構造を理解できるようになりました。大橋先生自体、今も遠野という場所を一番おもしろがっているし、こういうおもしろがり方をすればいいんだと。
──そうやって生き生きと地元のことを語れる方がいるということは大きいですよね。学校の先生がつまらなそうに郷土の物語を説明しても子供には響かない。
富川:そうなんですよ。本当にいい先生に出会ったと思います。
「最初は『絶対に自分は踊りたくない』と思っていたのに……」
──富川さんはやがてシシ踊りという民俗芸能の踊り手となり、地域文化の担い手となっていきますね。シシ踊りの団体に所属することではじめて「この土地に本当に受け入れられた、土地と強く接続できた感覚があった」と書かれています。
富川:シシ踊りを始めて気づいたんですけど、どこかのチームに所属しているということはすごく大きかったんですよね。チームの一員として認められるようになるし、土地に受け入れられた感じがしました。僕は小中高と野球部で、しかもキャプテンだったんです。「みんなで練習して甲子園を目指す」という野球部の活動とちょっと似てたんでしょうね。
もしも『遠野物語』だけをテーマにしていたら、本を出しただけで満足して東京に帰っていたかもしれない。でも、シシ踊りは夏になったらさまざまな行事がありますし、踊り始めたら「もっとうまくなりたい」という向上心が出てくるんです。結果、継続して土地と関わることになるんですよね。
──『シシになる。』で描かれるシシ踊りの演舞のシーンは、まるでライヴレポートを読んでいるかのような臨場感があります。祭りや民俗芸能を観客の視点から記したものは多いですが、踊り手側からのレポートは大変貴重だと思います。
富川:シシ踊りを踊り始めてから8年ほど経つんですが、最初のころのことはすべての体験を克明に覚えているんです。僕にとってもシシ踊りを踊るというのは得異な体験すぎて、インパクトがすごかったんです。今回の本ではその驚きや混乱、絶望についてできるだけ細かく書こうと考えていました。
最初は「絶対に自分は踊りたくない」と思っていたのに、いつの間にか踊ることがめちゃくちゃ楽しくなってしまった。その感情の変化もすごく大きかったと思いますね。
コムアイらアーティストとコラボ……地方の芸能を広げる戦略とは?
──富川さんの活動でも重要な軸となるのが「民俗・芸能・食・音楽 異界をめぐる巡礼の3日間」をテーマとする『遠野巡灯篭木』というプロジェクトです。このプロジェクトではさまざまなアーティストを遠野に招き、シシ踊りとのコラボレーションを繰り広げています。民俗芸能の領域でのクリエイティヴを続けているわけですが、こうしたクリエイションの動機となっているものは何なのでしょうか。
富川:シンプルな動機としては「遠野という土地のおもしろさがなぜ東京の人たちに伝わってないんだろう?」というもどかしさがありました。そもそも「魅力あるものをもっといろんな人に知ってほしい」という気持ちは、広告代理店時代から変わらないんです。シシ踊りも郷土芸能や祭りが好きな人には届いているかもしれないけれど、東京時代の友人たちは誰も知らなかった。これを郷土芸能という枠のなかに閉じ込めておくのは、すごくもったいないと感じていたんです。
僕が遠野にいる存在意義についても考えていたんですね。5歳からシシ踊りをやっているネイティヴの人たちには当然敵わないわけですが、芸能を外に伝えていくという点では僕にも存在意義があるんじゃないかと思っていて。自分はもともと広告のプロデューサーをやっていたので、人と人をどのように繋げていくのか、今のカルチャーが好きな人たちにどう伝えることができるのか、そこは考えられるんじゃないかと思っていました。
──そのためには従来のシシ踊りをそのままやるのではなく、現代のアーティストやクリエイターと組んだ方がいいんじゃないかと?
富川:もちろん従来のシシ踊りもすごくカッコいいですし、最初はそこまでイメージできていなかったんですが、「遠野巡灯篭木」のプロデューサーである塚田有那さんとの出会いから具現化するフェーズに入っていきました。有那さんに加えて、演出や映像制作などクリエイティヴ・ディレクションを担当する坂本麻人さんはクリエイターやアーティストと繋がっていたので、コムアイさんやYosi Horikawaさん、Daisuke Tanabeさん、Kuniyuki Takahashiさんといった方々と出会うことになるんですね。
僕自身、もともと音楽が好きで、東京時代はいろんなライヴに行ってたので、現代の音楽家たちとのコラボレーションにも関心がありました。ただ、いくらそういうことをやりたくても、どうやればいいのかわからなかったんですよ。遠野に軸足を置いているので、東京でネットワークを作ることもできなくて。そんな時期に有那さんたちと出会ったんです。
プロデューサーでありながら「プレイヤーとしてもなめられたくない」
──地域の内部と外部が結びついたことで、『遠野巡灯篭木』という新しい動きが始まったということですよね。ただ、地元の方と外部の人間は価値観や目的意識が大きく異なるので、地域で何かプロジェクトを立ち上げようとすると常に困難が伴います。だからこそ、富川さんのようにあいだを繋ぐ人の存在が重要になってくるのではないかと思います。
富川:たとえば僕が遠野在住だとしても、シシ踊りを踊っていなければ、『遠野巡灯篭木』のようなプロジェクトをやろうとしても企画段階で怒られていたと思うんです。「そんな派手なことをやりたいわけじゃない」と。ただ、僕が神社の奉納やお盆の地域行事など、日々地道な活動にも関わって関係性を育み、地域や団体の様々な課題や魅力を内側から理解しているからこそ提案できることもあると思っていました。
──そのなかで富川さんはシシ踊りのなかでも難度の高い「雌じし狂い」という演目にチャレンジしていくわけですね。
富川:『遠野巡灯篭木』という一見派手なことをやる以上、踊り手として伝統的な芸能のほうも深めていかないと、それこそ地域を消費するだけのプロデューサーになっちゃう気がしたんですよね。地域プロデューサーとかデザイナーさんのなかには地域の祭りや芸能に関わっている方もいるとは思うんですけど、団体を代表する奥義をちゃんとできるようになるという意地みたいなものがあって。「なめられたくない」という気持ちもありました。
──富川さんは活動の中心に「Reboot Folklore」という言葉を置いているそうですね。直訳すると「地域文化の再起動」。とても興味深い視点だと思いました。
富川:自分がやりたいことって、ノスタルジックな田舎暮らしにフォーカスしたものではないし、社会実装するためのプロトタイピングとかラボ的な動きをやりたいわけでもないんですね。じゃあ、どういう立ち位置で自分は遠野と向き合っているのかな?と考えたときに「Reboot Folklore」という言葉がしっくりきたんです。地域に眠っているものを再起動し、今の時代に提示するということなんですね。僕自身、アップデートという言葉を使うこともあるんですが、もう少し深いところから文化を掘り起こし、今の時代と接続させる。テクノロジー全盛の時代に、もっと本質的で強度の高いものを眼前に提示していきたいんです。そこには「奮い起こす」という感覚もあるのかもしれません。
「人間とはそもそも『内なる野生』が宿った生き物だと思う」
──この本は富川さんがここ10年間に体験した出来事を綴ったノンフィクションでもあるわけですが、どのように読まれることを期待していますか?
富川:人間とはそもそも「内なる野生」が宿った生き物だと思うんですね。本の中にも登場する文化人類学者の石倉敏明先生から、「動物」という言葉ができたのもつい最近のことだと教えてもらったのですが、人も獣も区別していなかったころの動物的な感覚をもう一度インストールできると良いなと思います。日頃そうした感覚を持つことは簡単ではないですが、テクノロジー偏重時代の今、自分の身体を動かして野生や魂というものの存在を呼び覚ますような体験の重要度が増している気がするんです。僕自身が遠野でシシ踊りと出会うことでそのことに気づいたように、読んだ方が自分の中の「内なる野生」を思い出し、取り戻すきっかけにしていただけると嬉しいですね。
本の最後に「他人行儀はいらない。批評家もいらない。まだ見ぬ明日のシシよ、今日まず踊り、太鼓を叩き、笛を吹くのだ。そして、そのわけの分からなさに大いに混乱し、絶望すればいい」と書いたんですが、僕にとってはここが一番体重を乗っけてるところなんです。
僕は最初、シシ踊りのわけの分からなさに絶望して、「こんなの絶対踊れない!」と思ったわけですけど、分かりやすさや効率が重視される時代、思いっきり絶望する体験やわけの分からなさに混乱する瞬間って、実は一番幸福なことなんじゃないかなと思うんです。安全なシェルターの中だとそういう経験をすることはないと思うんですけど、勇気を持ってわけの分からないものに飛び込んでみると、僕にとっての「シシになる」ような体験が待っていると思うんですね。一言でいえば、みなさんにもシシになってほしいんです。
──「それぞれのシシになってほしい」ということですね。
富川:そうですね。異界は自分のなかにあるかもしれないし、そこに飛び込まなくてはいけないタイミングがあると思うんです。この本を読んで自分を奮い立たせ、チャレンジするきっかけになってくれたら、僕の10年にも意味が出てくるのかなと思います。
──「Reboot Folklore」とは「内なる野生の再起動」でもあるわけですね。
富川:そういうことだと思います。僕、BRAHMANが好きなんですけど、ライヴの始まる前の幕に「心眼を取り戻せ」という言葉が映し出されていたんですよ。10年以上前からその言葉が残っていて。内側にあるものをもう一回取り戻すという意味では、「Reboot Folklore」ってBRAHMANのオマージュでもあるんです。
【イベント情報】
9/27(土)18時~@青山ブックセンター本店
「Reboot Folklore —世界で起きるフォークロアの復権—」
富川岳×大石始×桜井祐 トークイベント
お申し込みは以下より
https://aoyamabc.jp/products/2025-9-27
【書誌情報】
『シシになる。—遠野異界探訪記—』
著者:富川 岳
価格:2,530円(税込)
発売日:2025年6月23日
出版社:亜紀書房