ヒップホップ的文章技法と黒人・パレスチナ問題のアナロジー 後藤護のタナハシ・コーツ『なぜ書くのか』評

■黒人問題とパレスチナ問題は重なるようで重ならない?

 原題「The Message」に思わずグッときてしまった。というのも『世界と僕のあいだに』でN.W.A.やアイス・キューブといったギャングスタ・ラップに盛んに言及してみせ、Nasの「N. Y. State of Mind」のリリック “see with the pen I’m extreme”(ペンを持ったら俺が最強)を座右の銘とするカリスマ的黒人ライターのタナハシ・コーツであるから、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴのヒップホップ・クラシック「The Message」(1982年)をタイトルに響かせていることはほぼ明らかだからだ(日本人ヒップホップ・ヘッズならば、いとうせいこう『MESS/AGE』まで連想の翼が広がる)。

 とはいえ邦題は『なぜ書くのか』と、ヒップホップというよりは凛とした文士スタイルになっている。これは本書全体のエピグラフにもなっているジョージ・オーウェルによる同名タイトルのエッセーからの引用で、そこでオーウェルは書く動機には①単純なエゴイズム、②美的な情熱、➂歴史への衝動、④政治的な目的、の四つがあるとした。とりわけ四つ目の「政治的な目的」が重要だとし、「私はある種のパンフレティアにならざるをえなかった」とオーウェルは述べた。本書はブラックパンサー党員の息子としてボルチモアに黒人として生を受けたコーツが、オーウェルの抜き差しならない政治性にシンパシーを寄せるところからはじまるのだ。

■ヒップホップ的文章講座

 2022年夏に母校ハワード大学で行ったライティング講座をベースにした第一章「ジャーナリズムは贅沢品ではない」から早速ヒップホップ・マインドが炸裂している! まずサンプリングされるのはエリック・B&ラキム「Lyrics of Fury」のリリック「お前が望むならとりついてやるぜ、俺の持ってるこのスタイルでな」であり、ここに出てくる「とりつく(haunt)」という言葉のパワーにとりわけ注目する。寝ても覚めても自分の言葉が「とりつく」くらい読者を揺さぶるパンチライン(決めゼリフ)をスピットしなければ一流ではない、という何ともヒップホップな書き方講座が展開される。

 さらにエリック・B&ラキム「Let the Rhythm Hit’Em」のリリックにシェイクスピアの韻律に似た「魔法」があるとし、さらにはシェイクスピアの政治劇『マクベス』の刺客が放つセリフを読んで「クール・G・ラップなみにぶっ飛んだ!」とハイブローとローブローの垣根をぶっ壊すような記述をしている。これはナチスへのレジスタンス運動に参加したポーランド人ヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』の精神で、コーツが沙翁をヒップホップ的に現代に蘇らせたようで、読ませる。

 「部分的に回想録、部分的に旅行記、そして部分的に執筆入門書」である本書は、第二章の「ファラオについて——セネガルを歩く」でいよいよアメリカ大陸から黒人たちのホームランドであるアフリカ大陸へと向かう。旅行前にコーツはとりわけエジプトに思いをはせる。「古代に知られていたすべての芸術と科学の源」であったエジプトはアフリカ大陸に位置し、それゆえアフロ・アメリカンたちが自らの故郷にしてユートピアだとして夢見た地であることは有名だ。じつはタナハシ・コーツの「タナハシ(Ta-Nehisi)」という聞きなれない名前も、古代エジプト語でヌビア王国を指し、「黒人の地」と訳されるというが、これなどはコーツの父がエジプト黒人起源説に立って命名したことを意味している。本人いわく、「私の名前は、忘れ去られた世界の遺物であり、まだ来ぬ世界への願望でもあった」。とはいえ、こうした黒人たちの希望を打ち砕くような人種差別主義者ジョサイア・ノットという白人が19世紀にはいて、「古代エジプトに「黒人性」の欠片も残すまい」と尽力した顛末が語られ、本書最大の敵役(?)としてすさまじい存在感を放っている。ほとんどホラーなので、猛暑に読んで背筋を凍らせてみてほしい。

タナハシ・コーツ Eduardo Montes-Bradley, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

 この第二章でもっとも衝撃的なのは、セネガルの黒人から、れっきとしたアメリカ黒人であるはずのコーツが「あなたは混血よ、タナハシ」と言われるくだりだろう。セネガルでは「混血」の見た目に対するあこがれが存在するといい、ほとんどのアメリカ黒人をそのように見ているという。つまり、良くも悪くも白人っぽさがアメリカ黒人にはあるのであり、彼らに憧れてセネガル人は直毛にしたり、肌を明るくするという。しかしコーツは困惑を隠せない。というのも、その白さはアメリカ黒人が「被った試練のしるし」すなわち奴隷制時代からの「集団的なレイプの遺産」でもあるからだ。コーツがトニ・モリソン『青い目が欲しい』から引用する箇所は悲痛なアイロニーに満ちていて、人種問題は迷宮のように入り組んでいると感じずにはいられない。「小さな黒人の女の子が小さな白人の女の子の青い目にとても憧れる。この憧憬の核心部にあるおぞましさを凌ぐのは、その成就の罪深さだけだ」。

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