大槻ケンヂの音楽が、小説家のクリエイティブを刺激するーーオーケンと、筋少どっぷりの小説家による『筋肉少女帯小説化計画』座談会
筋少の世界が小説家たちにインスピレーションを与えた
――それぞれの作家が、筋少の曲をどれか選んで小説を書いたわけですけど、大槻さんは最初から「香菜、頭をよくしてあげよう」で書こうと思っていたんですか。
大槻:本当は、『筋肉少女帯小説化計画』というタイトルではなく、筋少がかかわる新しい小説を書いて、そこから本のタイトルをつけ、春の筋少のツアータイトルにしてと、真剣に考えていたんです。でも、上手くいかなかった。小説を書くって、やっぱり僕にはつらくて……。
全員:(笑)。
空木:でも、ここにいるなかで、作家のキャリアは一番長いですよ。
柴田:星雲賞連続受賞ですし(SFの賞。大槻は1994年に「くるぐる使い」、1995年に「のの子の復讐ジグジグ」で受賞)。
大槻:僕の心のなかでは今でも、作家というのはとても特別で、圧倒的な存在だったから。今から数十年前にミュージシャンに本を書かせるブームがKADOKAWAさんにあって、みんな書く流れになったんですよ。まんまと僕も書くはめに(笑)、という感じです。
――「月刊カドカワ」に連載された『新興宗教オモイデ教』ですね(1992年書籍化)。
滝本:『新興宗教オモイデ教』はライトノベルへの影響が大きいんです。パソコンのビジュアルノベルゲームというのがあって、そのブームを作ったのが『新興宗教オモイデ教』から着想を得て作られた『雫』(1996年)でした。
大槻:まあ、もっと昔にもラノベ的な小説はなくはなかった。この前、平井和正先生あたりがラノベの元祖なんじゃないかと山田玲司さんがYouTubeで語っているのを見たけど、僕も平井先生はよく読んでいたので影響はあったでしょうね。『オモイデ教』の連載はひどい話で、「25枚くらいの短編を書いてくれ」といわれて書いたら、「面白いから2回目書いて」って。
滝本:素晴らしい編集者。
大槻:えっ? てなったけど若かったから、よくわかんないまま書けちゃって本になった。次に「また短編書いて」っていわれて『グミ・チョコレート・パイン』を25枚だけ書いて渡したら、同じ編集者さんが「オーケン、面白いから2回目も書いて」って。みなさんは、どういうきっかけで小説を書くようになったんですか。
柴田:ワシは大学で文芸部に入っていまして、「君の作品よかったね、ここはダメだったね」みたいに意見を交わすことを繰り返していたんです。その頃はハヤカワSFコンテストがあったので、大学を卒業するタイミングで1作だけ記念に送ったら、それで2014年にデビューしました。10数年前ですけど、その時、部室とかで筋肉少女帯を聴いていました。
大槻:文芸部ってSF系が多かったんですか。
柴田:多かったですね。うちの大学はSF研がなかったので、文芸部内に作って勝手に名乗っていました。新入部員にグレッグ・イーガンを配って、読み終えた人にだけ「面白かったかい? 君には才能がある」といって秘密裏にSF研を襲名する(笑)。
大槻:僕は学校をちょっと抜け出して、下赤塚駅のヒュッテっていう喫茶店で本を読むのが習慣だったので、部室っていいなぁって思うんですよ。
――空木さんは2011年に創元SF短編賞でデビューされて。
空木:その時はまだ在学中で、これで就職しなくていいやという気持ちになってしまって、えらいことになりました。
――編集者は普通、「就職してください」っていうでしょう。作家ではそんなに簡単に食えないから。
空木:いいますね。
大槻:あー、そういうアドバイスがあるんだ。
滝本:作家とバンドとどっちが食えるんだろう。
大槻:グッズがあるからバンドだと思う。あと、チェキもある。作家さんもチェキをやればいいんですよ。
空木:そういえば最近、大ベテランの皆川博子先生がアクスタを作られたとか。机に置いておいたら、書かなきゃっていう気になるかもしれない。
大槻:滝本さんのデビューは。
滝本:2001年に『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』でデビューして、その小説のチェーンソー男が、筋肉少女帯の「風車男ルリヲ」みたいなキャラクターでした。筋少が好きすぎて、影響がにじみ出てしまった。
大槻:あの小説は新人賞……。
滝本:……には落ちまして、出版エージェントのボイルドエッグズに拾ってもらって、「最初の30枚を残して、あとの300枚は捨てましょう」といわれ、そうしたら本当によくなった。
大槻:そんなことあるんだ。
滝本:捨てるのが普通だと思いながらやらないと、きついです。そのエージェントさんから角川学園小説大賞に送ってみようとなって、特別賞をいただいて本になったんですけど、二作目の『NHKにようこそ!』も筋肉少女帯の強い影響下にあった。
大槻:そのアニメのエンディング・テーマを僕たちが担当することになるなんて、すごいめぐりあわせだな。
――大槻さんの小説にその曲を作った時の話も書かれていますね。筋肉少女帯の活動休止以降、大槻さんと橘高さんが久しぶりに共作して2人の名義でシングルをリリースした。
大槻:筋肉少女帯が復活する直前に作ったんですよね。
空木:エンディング・テーマの話がなかったら復活もなかったんですか。
大槻:いや、そのへんはもう記憶が曖昧で……。『踊る赤ちゃん人間』は、今海外で小バズりしていて、僕でさえ歌詞を覚えていないのに、ネットで黒人の女の人が完璧な日本語で「あばばあばば」って歌っているのを見たし、ヨーロッパ系の女の人がクラシック調にピアノで弾くのがあったり、嬉しいなぁと思った。