速水健朗のこれはニュースではない
28年を経た崩壊後社会と、49年の逃亡生活……映画『28年後…』と『「桐島です」』の共通点とは
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。
第32回は、映画『28年後…』と『「桐島です」』について。
“ゾンビ渦”によってイギリス社会が崩壊してから「28年後」
主人公のスパイクは12歳。電気もテレビもインターネットもない小さな島で、自給自足の生活を送っている。「28年後」とは、ウイルスの蔓延、いわば“ゾンビ渦”によってイギリス社会が崩壊してからの年数であり、スパイクはその後に生まれた世代だ。両親ですら都市的な生活や近代的なインフラのある日常を子どもの頃に経験しただけである。
スパイクは、父親とともに感染者が徘徊する本土(つまりグレートブリテン島)へ旅立つ。『ウォーキング・デッド』のような歩いているゾンビたちと違い、このシリーズ(『28日後』の続編にあたる作品。ただ前作の知識はなくとも大丈夫)の"ゾンビ"たちの中には、素早く動き、巨体で俊敏で戦闘力の高い個体もいるため、まるで油断ができない。ちなみにこの映画が「ゾンビ映画」に分類されるかどうかは議論が分かれる。感染者たちは「死者の復活」ではないからだ。まあ、その点は脇に置いておこう。
スパイクが暮らす島では、ときおり本土で資源を補充しながら、かろうじての生活が成り立っている。兵士としての訓練を幼少期から施され、12歳で一人前。共同体の一員としての役割を担わなければならない。そのための通過儀礼としての父親との旅。この島での生活は、現代の社会では当たり前とされる個人の自由などの前提は、制限されている。
自分だけが社会から取り残されていく男の49年間『「桐島です」』
『28年後…』は、文明社会が崩壊してから28年が経過した世界を描く。一方『「桐島です」』は、自分だけが社会から取り残されていく男の49年間を描いている。
序盤、桐島が彼女と別れる場面がある。レトロな喫茶店で撮影されたシーンだが、背景に「3代目鳥メロ」の看板が映っていた。これは意地悪な揚げ足取りではなく、「1974年、75年の時点で3代目鳥メロが存在する世界線」なのでは? と深読みしてしまった。自分が「考察系」の映画の見方に毒されているのだろう。
ちなみにこの場面で、桐島は彼女に振られてしまう。彼女から突きつけられるのは、反体制運動が『時代遅れ』であるという現実だ。左派の運動全体が、急速に見放されていった直後のこと。一部の過激派がより過激化せざるを得なかったのは、世間との距離が離れすぎたからだ。さらに過激な連中の活動場所は中東など海外に移っていた。
桐島だけが国内にいながら逃げ延びられた理由は、彼がテロリスト然とした見た目ではなかったこと、そして身分証の提示を求められない職場に入り込めたこと、この2つだったのだろう。