『岸辺露伴は動かない 懺悔室』露伴はなぜ“動き出した”のか? ノベライズから読み解く、漫画家の“誇り”
※本記事は『岸辺露伴は動かない 懺悔室』の漫画・映画・ノベライズの内容に触れる部分があります。未読・未鑑賞の方はご注意ください。
荒木飛呂彦の漫画『岸辺露伴は動かない』シリーズの「エピソード#16 懺悔室」を原作にした実写映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』が公開となって、美しいヴェネツィアを舞台にして起こる戦慄の事態に観客を引きずり込んでいる。北國ばらっどによる『映画ノベライズ 岸辺露伴は動かない 懺悔室』(原作・荒木飛呂彦/脚本・小林靖子/集英社オレンジ文庫)は、そんな映画の面白さに触れられる小説だ。漫画のストーリーをふくらませ、岸辺露伴も巻き込んで繰り広げられる運命との闘いに近づける。
『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場する漫画家の岸辺露伴を主人公に、彼が見聞きしたり巻き込まれたりする不思議な事件を描いていく連作シリーズが『岸辺露伴は動かない』。その記念すべき第1作として描かれた「エピソード#16 懺悔室」を元に、映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』は作られた。
映画は前作の『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』と同様に、TVドラマの『岸辺露伴は動かない』シリーズと同じ世界観で作られている。漫画やアニメの『ジョジョの奇妙な冒険』を知らなくても、ある不思議な能力を持った露伴という漫画家の物語だと思って見ていける。
その能力〈ヘブンズ・ドアー〉とは、人を本に変えてその記憶や経験を読むことができるというもの。ペンで言葉を書き加えることでその人の行動に介入することもできる。映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』でも〈ヘブンズ・ドアー〉は、岸辺露伴が文化交流として現地の大学から招待されたイタリアのヴェネツィアで、取材をしていた最中に近づいてきたスリたちに対して発揮される。
本のように開いた顔のページをめくって、そこに書かれているスリたちの人生からどのような心境でスリをしているのかを読み取っていく。漫画の参考にするためだが、こうなるまでのスリたちとのやりとりで、露伴が自分の漫画をイタリア人のスリたちから芸術だと言われたことに激昂するところがポイントだ。漫画を芸術の下に見るような物言いに、漫画家として侮辱されたと感じてキレる露伴の性格がよく分かる。
実は、漫画の「エピソード#16 懺悔室」や、アニメ『岸辺露伴は動かない』の同じエピソードには、こうしたやりとりはない。露伴が「ダイヤモンドは砕けない」の中で東方仗助にボコボコにされ、しばらく漫画を休載していた時に訪れていたヴェネツィアでの経験を話した形になっている。映画でのスリとのやりとりは、露伴が漫画家として自分の漫画に高い誇りを持っていて、他の要素によって左右されることを徹底的に嫌う人間だと最初に示して、後のある行動に含みを持たせる。長い映画ならではの伏線と言えるだろう。
映画で露伴がスリから売りつけられようとしていたヴェネツィアン・カーニバルのための仮面が盗まれたもので、それを店へと返しに行って職人の女性を出会う展開も、漫画やアニメには描かれていない。これが、映画のストーリーにとって重要な出会いとなる。
露伴は女性に仮面を返した後、再び取材に出てある教会に入りこむ。そこで信者が神父に自分の犯した過ちを告白する〈懺悔室〉を見つけて中に入る。これが、露伴を奇妙で恐ろしい事態へと引きずり込む。原作の漫画「エピソード#16 懺悔室」やアニメで中心となるのが、この〈懺悔室〉でのやりとりだ。
間違えて神父が座る部屋に入ってしまった岸辺露伴に、誰か信者らしい男が自分の犯した過ちが元となったある体験を話し出す。この体験の異常さが漫画を読む人を驚かせアニメを観る人を戦慄させ、そして映画を観る人を恐怖させる。
詳細は、原作やアニメ、そして映画やノベライズを読んで確かめてもらうとして、ここで懺悔する男から明かされるあるゲームのような体験が、スリリングなバトルの多い『ジョジョ』を始めとした荒木飛呂彦の漫画でも、屈指の緊張感を与えてくれるということは指摘しておく。