立花もも新刊レビュー 金原ひとみ・村田沙耶香 傑作の呼び声高い小説が同時期刊行 比較して見える共通点

村田沙耶香『世界99』(集英社)

村田沙耶香『世界99』(集英社)

  正しさなんてものは、簡単にひっくりかえされてしまうのだという現実は、『世界99』を読むとよりいっそう、おそろしいものとして迫ってくる。『ヤブノナカ』で描かれた木戸の性加害は、その当時の価値観ではさほど非難されるようなものでもなかった、というような背景もある。ゆえに、木戸よりも現代の価値観をインストールしているはずの五松という男が、雑に扱ってもいいと勝手に決めた女性を加害することのえげつなさが際立つのだが……。

 『世界99』では、状況さえ用意されれば、女性だって容易に同じ行動に出る、ということが描かれる。主人公の空子は、幼いころから感情を理解せず、人の言動をトレースすることで生き延びてきた。コミュニティによってまるで違う人格を駆使しているのがバレて、揉めることはあるけれど、その理由も相手が勝手に想像して、「傷を抱えているんだ」などと物語をつくってくれるから、あまり問題にはならない(『生命式』に収録された「孵化」という短編に登場する主人公と通じるので、あわせて読んでみてほしい)。

  主人公たちは、その社会で特殊な存在のように描かれるけれど、相手によってそれなりに人格を変え、価値観が似通っているように見せかけることは、私たちだって日常から行っていることである。自分の意志も、善悪の基準も、倫理観も、コミュニティによって容易に変動する。マジョリティは数の多さから自分たちが正しいと思い込むし、マイノリティはその傲慢さを批判的にまなざすことで自分たちの正当性を得る。「気づいてしまった」人たちは、数が多かろうと少なかろうと、自分たちだけは真理にたどり着いていると信じることで、揺らがない。自分にもなんだかんだ問題はあるけどおおむね間違ってはいないはずだし、少なくとも悪ではないと、自覚している人がほとんどだろう。そのグロテスクさを、本作では、ピョコルンという人工生物とラロロリン人と呼ばれる特定遺伝子を持った人たちを通じて浮かび上がらせる。

  ピョコルンは、人がかわいいと思う要素を詰め込んだ人工生物だ。女性が家事労働を一手に引き受け、性的に搾取されることが当たり前だった空子の幼少期、母親は奴隷のように家族に尽くし、ピョコルンの世話もしていた。やがてピョコルンが、家事だけでなく、男女問わず性交渉もできるように改良されると、かつて自分たちがされていたような扱いを、ピョコルンにするようになっていく。

  ラロロリン人に対する扱いも変動し続け、優秀であるがゆえにもてはやされたかと思えば、妬みの反動で差別され、恵まれない人たちに奉仕すること前提で存在を許されるようになっていく。周囲の思考をトレースし続ける空子は、自覚的に価値観を変容し続けるけれど、自覚がないだけで、誰もがいつのまにか「だってそういうものだから」で矛盾や理不尽を受け入れ、適応していく。その節操のなさは、今を生きる私たちとまるっきり同じであるし、それゆえにひび割れていく世界のあり様も、他人ごとではなくてぞっとする。

 『ヤブノナカ』と『世界99』。それぞれ読み心地はまるで違うし、題材も異なるように見えるけれど、根底にある性加害への怒りや、弱者を搾取する構造、そしてうつろい続ける価値観に対する人々のおそれと戸惑いは、共通しているように感じられる。日本を代表する二人の作家が、それぞれの集大成とも呼べる作品を、このような形で同時期に刊行したことに、何か意味があるのではないかとも。

  一気に読むと、どちらも「食らいすぎて」しまうので要注意なのだけど、ぜひあわせて手にとってみることをおすすめする。

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