速水健朗のこれはニュースではない
宅配ピザ「30分で届かなければ無料」とシリコンバレーのビジネスモデル、モンゴル帝国の共通点とは?
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。
第25回は、宅配ピザビジネスとシリコンバレーのビジネスモデルとモンゴル帝国の共通点について。
宅配ピザのビジネスはシリコンバレー的な発想を先取りしていた
日本で宅配ピザのビジネスが始まったのは、1985年。おそらくその誕生から1年ほどで全国にまで広がっている。なぜなら僕が人生で宅配ピザを最初に頼んだ記憶が、1986年だったからだ。多分。『E.T.』公開の3年後。映画の序盤で子どもたちが宅配ピザを頼んでいる。これを見た人が日本にそのビジネスを持ちこんだという話を聞いたことがある。
当時の日本で宅配ピザが成功した理由はいくつかある。まず、住宅が密集していること。配達圏内の2〜3キロに家屋が集まっていれば、配達効率がいい。配達はアルバイトが担ったが、80年代後半は大学生の数が増え始めた時期。人材確保には困らなかったはずだ。さらにライバルもいなかった。そばの出前は文化として別枠。お腹が空いたときにすぐに食料を買う場所として、むしろコンビニはライバルだったが、当時はまだ普及途上で、どこにでもあったわけではない。そう考えると、宅配ピザが日本で成功したのは、必然だった。とはいえ、当時の日本人はピザがそんなに好きじゃなかったのでそもそも無謀という話もあったとはいえ。
この宅配ピザのビジネスは、のちのシリコンバレー的な発想を先取りしていたとも言える。「ベストエフォート型」、たとえば通信プロバイダーが「最大1Gbps」と謳うようなやり方。実際の速度は環境次第だが、空いていれば1Gbpsが出るというサービスの形。ある意味、テスラも「ベストエフォート型」である。イーロン・マスクは自動操縦の技術が安全基準に満たない内から新車を市場に投入した。あとから性能やコストは追いついていく。これは、従来の自動車メーカーでは絶対にやれない方式。
当初の宅配ピザの当時の売り文句は「30分で届かなければ無料」だった。実際は、当初のピザは、時間内に届かないことも多かったという。ある程度のノウハウや経験が付いてきて達成できる数字を先に打ち出したのだ。一方、このギリギリを楽しむゲーム性がビジネスの肝だったはず。「30分で届かなければ無料」の口コミは、宣伝費代わりにも有効だった。
今思えば、宅配ピザで本当に重要だったのはデータだったのだろう。30分で届く範囲は、半径2キロなのか3キロなのか。都市部と郊外での利用率の差は? バイトの熟練度とピザ調理時間との関係性は? こうした情報をもとに、出店エリアを調整できれば、大きな差が出る。
シリコンバレーのビジネスモデルに「先出しジャンケン型」というものがある。これは僕が勝手に名付けたもの。ちなみにジャンケンに確実に勝つ方法は2つある。1つは相手の出方を見てからグーチョキパーを決める、後出しジャンケン。もう1つが、「先出し式ジャンケンだ」。こちらは、自分が先にグーを出しておいて、パーを出す奴を全部買収してしまう。その資金は「これからの時代はグーである」と投資家を説得するのだ。
一般には「Amazon型」と呼ばれる方式。AmazonがEコマースで成功したのは、画期的なアイデアのおかげではなく、最初に本という分野を選んだところにある。まずその分野を独占したことで別分野に進出できた。『信長の野望』で尾張の織田でゲームをスタートすると序盤が有利なのと似ている。もし、越後上杉でゲームを始めると、甲斐武田が邪魔をして序盤の拡大期を逃す。
ピザ配達の歴史にも、先出しジャンケンのところがある。チェーン店ビジネスは、規模の経済なので、早く店舗を増やした方が有利だ。すぐにそれが広がったのは、冒頭の話の通り。特に、先にそのエリアに拠点を作れば、ライバルは進出しづらくなる。この辺がどのように行われたのかは、とても興味のある話だが、満足できる資料がみつからない。