ブレイディみかこが振り返る、三年間のコロナ禍での日々「なんとかなると信じて、もがいていくしかない」
ブレイディみかこ氏の新刊『転がる珠玉のように』(中央公論新社)は、イギリス在住の著者がコロナ禍に体験した日々の出来事を綴った約3年ぶりとなるエッセイ集だ。日本に住む父とのスカイプでのコミュニケーション、ロックダウン鬱、イギリスならではの言葉のハプニング、そして末期癌の母との別れ……予想外の出来事に翻弄されながらも、ガッツで乗り越えようとする著者の姿勢に、改めてコロナ禍の苦労を分かち合うような感覚が得られる一冊だろう。ブレイディみかこ氏に、当時のことを振り返りつつ、現在の社会に対する思いなどを語ってもらった。(編集部)
常識だと思っていたことがどんどん覆されていった
――『婦人公論』で2021年から連載されていたエッセイをまとめた本作は、コロナ禍のイギリスで過ごした日々が綴られていて、改めて、世界中が混沌のなかにいたんだなと実感させられました。
ブレイディみかこ(以下、ブレイディ):本当にそうですよね。ロックダウン中に、公園のベンチでひとりゲラを読んでいたら、ポリスに声をかけられて泣きだしてしまったというエピソードを書きましたが、自分でも読み返して、ずいぶんとメンタルをやられていたんだなあと思います。もともと、めったに泣かない人間なんですけどね。
――日本の緊急事態宣言と違って、イギリスのロックダウンはかなり厳格に外出を取り締まられていた、その緊張感が読んでいても伝わってきました。
ブレイディ:大切な人の看取りも、タブレット越しで行わなくてはいけなかったり。あれからまだ三年程度しか経っていない、ということにも改めて驚きます。エッセイを書いているあいだ、世界情勢的にもいろんなことが起きて、常識だと思っていたことがどんどん覆されていった。これもまた作中に書きましたが、ウクライナ戦争が始まって以来、日本からの航空郵便が届かなくなったんです。そんなのはイギリスで暮らして28年になる私にとっても初めてのこと。日常はこんなにも脆く崩れ去るのかと衝撃を受けました。
――でもその大変なことも「そんなものだ」とだんだん慣れてしまう怖さについても、本作では描かれていました。
ブレイディ:本当におそろしいですよね。作中に書いたように、私の連合いは癌の闘病中なので、先日、手術を受けることになっていたんです。ところがロシアのハッカー集団から国の医療システムがサイバー攻撃されて、ロンドンの主要な病院の機能が麻痺してしまった。その影響で、連合いだけでなく、多くの人が手術や検査をキャンセルせざるを得なくなりました。そういうことの積み重ねで人々の不安は募っていて、「YouGov」という有名なイギリスの世論調査会社によると、実に53パーセントの人が今後5~10年で第三次世界大戦が起こりうると感じているそうです。「そんなものだ」「そういうものだ」と勝手に納得しているうちに、とりかえしのつかない脅威が近づいているのかもしれない、と思うとぞっとしてしまいます。
――だから常に、私たちは考え続けなくちゃいけないんだと……目の前にあるものを疑うことを忘れてはいけないということも、本書を読んでいると感じます。
ブレイディ:けっきょく私たちは上が決めたことに従わせられてしまうのだと、緊急時には他に選択肢はないと抑えつけられてしまうということを、私たちはこのコロナ禍で思い知りました。決まったことに「そういうものだから」と従い、従わない人のことは糾弾し、庶民の間で勝手に分断を起こして揉めて、本当に責任を負わなくてはいけない人たちを放置してしまう。そんな「独裁者のいない全体主義」に向かう流れが、なんとなく日本には生まれつつある気がしています。
――それは、イギリスとはまた違う流れなのでしょうか。
ブレイディ:イギリスでは良くも悪くも一人ひとりの自己主張が強くて、誰もが好き勝手に向きたい方を向きがちですから、一つにまとまりにくいんですよ。だから逆に「分断社会」とも呼ばれますけど。そもそも学校の先生からして、生徒が出した答えに対して「本当にそうか?」「こういう視点もあるぞ」と挑発して、反証を求めてくるところがある。そのくりかえしでみんな「自分はこう考えているけれど、実はそうでもないらしい」とか「こういう意見も確かにあるけれど、そのうえで自分はこう考える」という思考を養っていきますから。
議論することを避けていくうちに、衰退していくものもあるんじゃないか
――日本だと、意見を対立させることがそもそも得意じゃない人が多いですよね。
ブレイディ:協調性を重んじますし、一つの答えに着地させることができるのをよしとする風潮があるので、「まとめる」ことが重視されますよね。だから、「これはあんまりよくないんじゃないか」と思ったことを、口に出せない人も増えてくる。活発に議論することを避けていくうちに、衰退していくものもあるんじゃないかと、日本文化の外側にいる身としては感じることも多いです。もうちょっと、一見正しい答えとされていることを、みんなで疑ってみてもいいんじゃないのかな、って。
――たしかに、企業の広告などでも「どうしてそれだけの人数がいて、これをよしとしてしまったんだ?」というものは多いですね。
ブレイディ:逆張り、って言葉があるじゃないですか。反対するのが目的になるのはよくないけれど、逆だけじゃなく、斜め上からも斜め下からも、いろんな方向から張ってくる人たちがいれば議論も深まるし、そのなかでバランスをとってどこに着地させるかを考えることで折衝能力も養われる。自分とは違う立場の人たちがどんな考え方をするのかを学ぶことで、自分自身の考えも深まりますよね。時間はかかるかもしれないけれど、そんなふうに議論しながら前進していくことが、必要なんじゃないかと私は思います。
――ブレイディさんは常に、一つの物事に対していろんな方向から検証していますよね。言葉の意味ひとつとっても、いろんな角度から検証し直して「こういう意味だったのか!」と学び直しているのが、読んでいてとても興味深いです。
ブレイディ:英語圏で暮らしているため、日本語がどんどんおぼつかなくなり、実際に辞書を引いて学ぶしかないだけなんですが(笑)。言葉と出会い直している、と京都大学の藤原辰史さんには言っていただきました。英語も日本語も堪能とはいいきれないのが心もとなくて、私は言葉をもたない生き物なんじゃないかと不安になることがあるんですよ。でもだからこそ、「そんなものだ」に流されず、「これは本当に正しい使い方なんだろうか?」と立ち止まざるを得ない。そうすると、言葉の裏に文化が見えてくることもあって、非常に興味深いです。
――野暮、という言葉のニュアンスは、英語では表現しきれないという実感など、ブレイディさんの発見を通じて、私たちも学び直させてもらえるおもしろさがあります。
ブレイディ:ありがとうございます。連載を始める前は「自伝的なものを書いてほしい」と言われていたのですが、困ったことに、学生時代のことを何も覚えていなくて。書くとしたら、今覚えている限りの身辺雑記になってしまう。でも媒体は、『婦人公論』という女性誌で著名人のエッセイがすでにたくさん掲載されている。だったらあえて、誰も知らない人間が誰も知らない社会の片隅のことを語る地べたエッセイがあったら、そういうのをおもしろがる人もいるんじゃないかな、と思ったんです。
――地べたエッセイ(笑)。エリザベス女王が亡くなった際に献花の列ができて「The Queue(あの列)」という言葉で語られていた、というイギリスで暮らしているからこそのエピソードも興味深かったです。
ブレイディ:エリザベス女王が亡くなったことじたいは、世界中で大々的に報じられましたが、庶民がそれに対してどんな反応だったのかについては、新聞やテレビの報道では画一的だったように思います。三年間のコロナ禍で私たちがどんなふうに生きてきたのか、庶民の暮らしが垣間見えるような時事問題のエッセイを書きたいと思いました。
――シリアルキラーが逮捕される現場にいあわせるなんて、庶民でもなかなか遭遇しないエピソードもありましたが(笑)。
ブレイディ:あれは、びっくりした!(笑)さらっと書きましたけど、世間をにぎわせていたシリアルキラーが宿泊先のホテルのトイレで逮捕されたなんて、笑い事じゃないけど、笑ってしまう。しかも連合いはインタビューまでされていて、ほんの十秒程度、ニュース番組のサイトに動画が上がっていて、本人はご機嫌で友人たちに見せていましたよ。