立花もも 新刊レビュー 暑い夏に何を読む? 毒まみれの作品、フィクションと見紛う医療小説など注目4選
いしいしんじ『息のかたち』(講談社)
金属バットが頭に直撃したその日から、人の息のかたちが目に見えるようになった女子高生・夏実。なんと、それは遺伝だという。銀色のハーモニカをくわえたような少女のかがやく息。赤黒い生肉のかけらを周囲にばらまくヤクザものの息。そんなものが四六時中見えてはたまったものではないが、いしいしんじさんの表現があまりに美しく、色とりどり形もちがう息に彩られた世界はどんな情景を見せてくれるのだろうと、夢想してみたりもする。
息が見えるようになって、急にモテはじめるのもおもしろい。「こっちから息がみえてるていうんは、向こうからしたら、みられてるわけやろ。意識しいひんとしても、呼吸の底では、向こうもなんかしら感じたはんのとちゃうか」と祖母は言う。かくいう祖母も、そして男子校で青春を過ごした父も、夏実と同じ年ごろにモテてモテてたまらなかったという。
考えてみれば、一緒にいて心地いいのは「呼吸が合う」と思える相手だ。見えてる、ということはおそらく自然と夏実は相手の呼吸にあわせられる、とまではいかずとも、呼吸を邪魔しない行動とるわけで、それだけでうんと魅力的になってしまうのかもしれない。
息のかたちは、私たちのありようそのものだ。祖母がもらす薔薇のような吐息みたいに、美しい息を吐けているだろうかと、考えたりもする。一方で、コロナ禍を舞台にした小説だからこそ、自分の息がよくないものをはらんでいるかもしれない、その可能性についても考える。でもそれを、ただ忌避するのではなく、それでも美しい情景としてとらえなおしていく、いしいしんじさんの感性と表現に、胸を打たれる。
私たちは、息をしている。それぞれのかたちで、生きている。その瑞々しさをいつまでも失わずにいたいと思える小説だった。
村上雅郁『かなたのif』(フレーベル館)
中学1年生の香奈多(かなた)には友達がいない。空気が読めなくて、クラスメートの名前を覚えるのもへたで、いろんなことがうまくやれない彼に「お世話係」はいるけれど、友達じゃないとはっきり言われている。そんな香奈多が、終業式の日に出会ったのが瑚子(ここ)という少女。同じ学校の同じクラスだと彼女はいうけれど、そんなはずはなくて、もしかしたら香奈多のイマジナリーフレンドかもしれない瑚子と、過ごす日々が香奈多にとって何よりの希望になっていく。
if、というのは願いだ。イマジナリーフレンドも、そう。もしこんな友達が自分にいてくれたら。もしこんな未来があったなら。そんな願いを重ねて、人は生きている。でも現実はときに残酷で、願いをかなえてくれないどころか、最悪のかたちで裏切ったりもする。物語が進み、瑚子が誰なのかがわかってくるにつれ、香奈多も、読者である私たちも、悲しい真実をつきつけられていく。
でも本当に、ただ悲しいだけなんだろうか? 存在していてほしい人が、本当はどこにもいないのだと思い知らされるのは、たしかにとてもつらいことだ。でも、他の誰にもその存在を認めることができないからといって、それは本当に「いない」ということになるんだろうか。この世界のどこかに、「もしも」を重ねたその先に、信じていれば叶う希望もあるんじゃないか。
中学生のときにもしもこの本に出会っていたら、何かが変わっていたかもしれない。でも、大人になった今でもきっと、読み終えたあとには何かが変わっているはずだ。そんなことを信じさせてくれる、ファンタジックな物語。