マルキ・ド・サドが遺した世紀の問題作『ソドムの百二十日』に宿る呪いとは? 手稿が辿った数奇な運命

 投資会社の経営者ジェラール・レリティエは、1990年にアリストフィル社を設立。歴史的文書を金融商品として扱い、その共同所有権を複数の顧客に売り、資金を集めるビジネスモデルを生み出す。豊富な資金をもとにアリストフィル社は、暗号で書かれたナポレオンの手紙やアインシュタインの直筆原稿といった、希少な文献をオークションで次々と落札。豪華なギャラリーの創設・美術館への収蔵品の貸出などを通じて、自社のブランド化を図り、社会的な信用を高めていく。我が世の春を謳歌する彼が次なるターゲットとしたのが、盗難に遭いスイスのコレクターの手に渡っていた『ソドムの百二十日』の手稿だった。

 2014年にフランス国内ではサドの没後200年を記念して、伝記の出版や雑誌での大々的な特集が予定されていた。そのような中でアリストフィル社は、同じく購入に動いていたフランス国立図書館を出し抜き、700万ユーロで手稿を買い取ることに成功し、祖国へ持ち帰る。レリティエはマスメディアからは英雄のような扱いを受け、大得意となるのだが……。

 こうした状況は果たして、サドの望むものだったのか? 高貴な家柄の貴族の家に生まれてわがまま放題に育ったサド。彼は啓蒙思想の影響を受け、欲望の解放をためらわない生き方を貫いた。その欲望は自分勝手な放蕩と暴力的で残虐な性行為へと転化され、作家としては死後に評価を得る要素となるも、実人生では逮捕・没落の道へと至る。亡くなる直前になると、さすがのサドも自身のスキャンダルをネガティブに捉えるようになり、遺言状には〈墓が跡形もなく地上から消え去り、私の痕跡もすべて人々の記憶から消えてしまうことを望む〉と記した。

 そこから生まれたサドの呪いについて、伝説・恐怖譚としてだけでなく、読者にとって普遍的かつ現代的な「わかりみ」の深い話としても描いているところが、本書の面白いところだ。たとえば、著者が推測するコレクターたちのレアなアイテムを求める感覚は、スマホゲームのガチャなどで味わったことのある人も多いはず。自分のエゴと欲望に負けてしまう性は、サドと手稿の所有者の多くに共通するものでもある。

 手稿には今後、紙媒体のデジタル化という問題が待ち受けている。すでに研究施設にある『ソドムの百二十日』の関連資料は、スキャンされ電子データの閲覧が可能となっている。巡り巡って国立図書館に収められた手稿もやがてデジタル化され、多くの人の目に触れる未来を示唆しながら、著者は話を閉じていく。

 希少性の薄れたサドの手稿に執着する者もいなくなり、呪いは消えていくのか。それとも、呪いもデジタル化され拡散していくのか。いずれ答え合わせをするのが、楽しみでもあり恐ろしくもあり……。

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