生成AI活用の芥川賞受賞作『東京都同情塔』で考える、AIと人間と「大独り言時代」到来の可能性
たとえば沙羅にとって拓人は、彼が持つ美しいフォルムを眺めながら会話をしているだけで、喜びを感じられる存在である。そして自分を見つめ直すきっかけにも、力やアイデアの源泉にもなる。知り合ったきっかけは「ナンパ」ではなく、〈たゆまぬ努力によって、後天的に自信のようなものを身につけた建築家は、色々なことを気にしながら生きているが、勇気を出して素敵なショップスタッフにデートを申し込んだ〉であること。タワー建設予定地の近くに建つ競技場がメインスタジアムとなった、オリンピック開催の意義。建物に名前が及ぼす影響。自分たち37歳女性と22歳男性の収入差・年齢差のある付き合いが、「ママ活」に当てはまるのかなど。二人のデートは、滞在するホテルから深夜の新宿御苑へと場所を変えつつ、ひたすら会話が続いていく。
文章構築AIも沙羅にとっては、対話をする相手の一人となる。思考に限界を感じると、〈「ホモ・ミゼラビリス」とは〉などと質問を投げかけ、〈体言止めで話しかけてもスルーしないのが文章構築AIの好きなところだ〉〈彼はいじらしいほど懸命に、文章を積み上げていく〉と愛でることもあれば、〈訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ〉〈彼が一刻も早く質問文を思い出し、回答を軌道修正してくれることを信じて待ったが、傲慢なその態度に私は堪えきれず、文章の完成を見ずに画面を閉じかける〉と突き放したりもする。そのツンデレ気味な態度は可笑しくもあるが批評的でもあり、AIを物を教えてくれる人間と見立てた時に、どこまで信ずるに足るのだろうと考えさせられたりもする。
沙羅の認識によると、人間は「思考する建築」「自立走行式の塔」であるらしい。自分たち読者も沙羅たちの思索や対話に想像で参加し、次々と出てくる新しい言葉を無自覚に受け入れてはいないかであるとか、AIとの距離感についてなど今から思考を続ける。そうすることで、現実に起こりそうな「大独り言時代の到来」とは、別の未来に世界を導く建築物となれるのではないか? 本作はそもそも、それを見越して設計のされた小説なのではないか? そんな可能性をAIではなく、他の読者に問いかけ話し合ってみたくなる。