専門誌が相次いで休刊、インタビュー激減  濃密な記事の受け皿はどこになる?

アニメ雑誌の状況はどうなのか

  アニメ雑誌も同様である。例えば、1980年~90年代の『アニメージュ』には宮﨑駿や富野由悠季の奔放なインタビューが掲載されていた。本筋からずれる話も多く、今では掲載できない失言レベルの発言もあったものだが、それも含めて「宮崎さんらしい」「富野さんはさすがだなあ」などとファンは楽しんだものだった。クリエイターの思想や内面まで知ることが、かつてのオタクの教養の一つでもあった。

  ところで、記者は近年、様々なヒット作に関わった高名なアニメーターを立て続けに取材した。さぞや、インタビューが舞い込みまくっているのではないかと想像していたが、インタビュー依頼は来ないという。

  記者はこうした実情を知って、信じられないと思った。繰り返すようだが、30~40年前のアニメ雑誌を見ると、監督は言うまでもなく作画監督やキャラクターデザイナーのインタビューが多数掲載され、設定資料を関係者が解説するなど、これぞまさに専門誌というべきマニアックな誌面が構成されていたのだ。しかし、現在のアニメ雑誌からそうしたインタビューはほとんどなくなった。載っていてもわずかなスペースである。

  かわりに増えたのは、声優のインタビューだ。昨今のアニメ雑誌はどこも事実上の声優雑誌のような趣になっている。それはそれで声優ファンからは歓迎すべきことなのだが、監督のインタビューでは部数増に結びつかないということなのだろうか。オタクの関心の対象が変化し、制作関係者にまで関心をもつ層が減少しているようだ。

ライターはコタツ記事よりインタビューをすべきだ

  最近のライターはインタビューを積極的に行わなくなったと聞く。テレビ番組やTwitterをまとめれば、ニュースが作成できるためだ。しかもそういったお手軽な“コタツ記事”の方が、アクセス数が稼げたりするのであるし、コタツ記事はほぼ制作費がかからない。

  しかし、それでも記者がインタビューを積極的に行うのは、歴史を後世に伝えたいという思いが強いためだ。インタビューは後世の研究者がその時代や文化を研究するうえで役に立つ、貴重な証言である。記者はこれまで膨大な回数のインタビューを行ってきたが、確実に、後世の研究者が引用する証言があると自負している。

  ライターに必要なのは好奇心である。アニメや漫画を見て感動し、「この人の考えを知りたい」と思えば、アニメーターや漫画家と対面できる仕事なのだ。そして、インタビューを作成することでその感動を分かち合うことができる。なんと魅力的な仕事であろうか。意欲あるライターはぜひとも、インタビューをどんどん行って欲しいものだ。

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