【山岸凉子を読むVol.3】津山事件、ロス疑惑、マリー・ベル事件……実際の事件をモチーフにしたフィクション3選

 従来の少女漫画にないテーマの作品を発表し続け、漫画界に激震を走らせ今も活躍している山岸凉子。彼女は神話や歴史をもとにした漫画やバレエ漫画ももちろん読み応えがあるが、数々の短編ホラーも見逃せない。その中には実際の事件を題材にした漫画もあり、それらは綿密なリサーチのうえに成り立っているが、事実のほかにフィクションも取り入れている。漫画家としての手腕をいかんなく発揮した名作ぞろいである。

 横溝正史が小説『八つ墓村』のモチーフにしたことで有名な津山事件をもとにした漫画『負の暗示』によって私は昭和初期の凄惨な事件を知って衝撃を受けたが、ロス疑惑から構想を得たという『雨女』は、完全なフィクションとして読んでいたので驚いた。また、フィクションの要素を大いに取り入れた『悪夢』のマリー・ベル事件は、その後マリー・ベルがどうなったのかも含めて書きたいと思う。

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『負の暗示』(津山事件)

 山岸凉子が津山事件を題材に漫画を描いたことは有名だろう。

 まず津山事件の説明をすると、戦前の1938年(昭和13年)、岡山県の現・津山市で深夜に起こった大量殺人事件のことで、津山三十人殺しとも呼ばれる。約1時間半で30人の犠牲者を出し、犯行直後に犯人の都井睦雄は自殺した。

 山岸凉子がフィクションを交えたのは、恐らく都井とその周囲の会話ではないかと思われる。姉と共に祖母に育てられた都井はさまざまな女性と関係を結んでいたが、引きこもって農作業を手伝わないようになり、徴兵検査で実質不合格となったことで近所の女性たちからも冷たい扱いを受ける。21歳のとき、とうとう昭和では被害者最多となる津山事件を起こす。

 山岸凉子は培ったホラーの手腕をいかんなく発揮する。少年時代に祖母に甘やかされたことによる身勝手さ、姉が嫁いだことによる影響……事件の最中も、都井が浴びた返り血をまざまざと描き、抵抗する人々の姿も生々しい。「自分の悪口を言わなかった」などの理由で命を奪わなかった者もいたこと等も調べると事実に基づいている。

 しかし、その場にいて命を失わなかった者たちの証言すべてが事実とは限らない。小さな村落では村八分に遭わないための配慮もあっただろうし、都井と関係した女性たちがそれを述べたとは思えないからだ。

 折しも日中戦争の最中で当時の資料は少なかったが、山岸凉子はその資料を読み込んで犯人の生い立ちから事件後死に至るまでを描き切った。都井の名前は土井春雄に変わっていることからも、ノンフィクションとして描いたのではないことは示されている。土井(都井)に対してはもちろん厳しい目で見ているが、それ以外の一部の住民に罪がなかったとも断言せず、山岸凉子の視点は最初から最後までフラットであるからこそ、また同じような事件が起きそうな恐ろしさも感じさせる。

『雨女』(ロス疑惑)

 津山事件と異なり、事実をそのまま描くのではなく、亡くなった被害者の断ち切れない怨念が描かれたのが『雨女』である。

 ロス疑惑の詳細を知らなかった私は、この漫画を、保険金殺人を題材にした完全なフィクションとして読んでいた。近年、完全なるフィクションではないと知って、この題材になった事件の概要をあらためて調べてみると、この事件は1981年にロサンゼルスで起こったが加害者とされたのは日本人男性の三浦和義氏だった。『雨女』発表の1994年には三浦氏は存命で、2003年には日本で無罪が確定している。ところが米国では逮捕され、2008年に自死している。

 1984年以降、彼に対する過熱報道も問題になったという。現在であれば個人情報の観点から、プライバシーを追及することは問題視されたはずだが、当時はそうではなかった。

 三浦氏が存命中に描いた『雨女』では名前は「数良」になっていて、名前の読みが本人と同じである。彼に騙された多くの女性の霊が数良にまとわりつく描写があり、三浦氏のことを描いたのであれば、これもマスコミの過熱報道が影響を及ぼしたのだろうか。『雨女』発表から14年後の死をほうふつとさせる終わり方であり、これが実際の事件をもとにしたと知った読者は、誰しも私のようにロス疑惑について調べ始めるのではないだろうか。

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