日本の歴史上、最も有名な武家法「御成敗式目」はなにが画期的だったのか? 気鋭の歴史学者・佐藤雄基に訊く

北条泰時はどんな人物だったのか?

――今、泰時の名前が出てきましたが、北条泰時(1183年‐1242年)は、第2代執権・北条義時の長男で、承久の乱では総大将として京に攻め込むなど、武人としての評価を上げながら、義時の死後、第3代執権となり、御成敗式目を制定します。やはり、文武の両面にわたって、相当すぐれた人物だったのでしょうか?

佐藤:そうですね。『吾妻鏡』という鎌倉幕府の歴史書には、ほとんど聖人君子のように描かれていますけど(笑)、1213年の和田合戦とか、1221年の承久の乱では、自ら戦陣に立っている。もともとは、軍人というか武将ですよね。ただ、執権となってからは、御成敗式目の制定をはじめ、政治家としても手腕を発揮しています。ある意味、ナポレオンみたいな感じかもしれないです。自分で戦場に立つけど、法律も作ってしまうという。

――確かに。そう考えると、相当すごい人物だった気がしてきました(笑)。

佐藤:ただ、やっぱりかなり苦労人だったんじゃないかなとは思います。義時の長男ではあるけれど、正室の子ではない庶子なので、家の中では必ずしも盤石な地位ではなかったはずなんですよね。その中で自ら功績を立てることによって、存在感を増していったという。あと泰時は、承久の乱のあと、京都の六波羅に3年ほど赴任しています。北条氏の歴代当主を見ても、京都に赴任したのち、鎌倉に戻って執権となったのは、彼だけなんですよね。

――なるほど。武将でありながら、京都の朝廷や貴族のことも知っていたと。

佐藤:そうですね。『吾妻鏡』には、六波羅から鎌倉に戻ったあと、律令のマニュアル本みたいなものを、毎日読んで勉強していたみたいなことも書いてあります。だから、かなり勉強家というか、努力を怠らない人だったのではないでしょうか。ただ、最近見つかった史料によると、そんな泰時も1225年に北条政子が亡くなったときには、出家したいということを言っていたらしく。要するに、自分の伯母でもある政子という後ろ盾があるからこそ、鎌倉の御家人たちを抑えられていたんだけど、それがなくなったらちょっとまずいんじゃないかっていう。プレッシャーはすごかったと思うんです。ただ、そのあと泰時は、ちゃんと御成敗式目を制定しています。

――先ほど「受容の変化」が本書の肝という話をしましたが、本書の最後の章「現代に生きる式目」では、近代になってから、「象徴天皇制」の起源を御成敗式目に求めるような説も紹介されていて。それには、ちょっと驚きました。

佐藤:そうですよね(笑)。ただ、その大本を辿ると……明治大正ぐらいに、ヨーロッパの情報が、いろいろ日本に入ってくるようになったじゃないですか。そこでイギリスに「マグナ・カルタ(大憲章)」というものがあったことを知るのですが、それと同じ時期に、日本には御成敗式目があったことに気づいて……実際、マグナ・カルタが1215年で、式目が1232年なので、20年ぐらいしか変わらないんですよ。

――そうなんですね。もちろん、そこに直接的な繋がりはないのでしょうが……。

佐藤:マグナ・カルタも最初にできたときは、国王が貴族に対して特権を認めるみたいな感じのものだったのに、近代になってから議会政治や立憲主義のもとになったというふうに、だんだん読み替えられていくんですよね。式目に関しても同じように、戦後になってから、実は日本特有の制度の萌芽がそこにあったという風になっていきます。ヨーロッパをある意味「写し絵」のようにして、式目を再定義していくという。そういう中から、この本でも紹介したように、歴史の研究者以外でも、『「空気」の研究』などで知られる山本七平が『日本的革命の哲学』という本の中で、象徴天皇制の起源を御成敗式目に求めるようなことを書いていたりします。

――そのあたりが、すごく面白いところですよね。本書の中に「歴史は常に生き物のように変化し続け、その時代時代において意味を持たされていく。だから歴史は面白いのだと思う」という一節がありましたが、まさにそういうことですよね。

佐藤:そうですね。「歴史」というと、何年にこういう事件が起きたとか、史実の集積だと思われがちじゃないですか。そうではなくて長いスパンで、ある出来事がその後の社会にどういう影響を与えたのか、どのように変化しながら残っていったのかを捉えることが重要だと思います。御成敗式目のように、色々と読み替えられながら、現代にまでその影響が残っているものがあるということを知ってほしいです。

――本書はどんな読者を想定していましたか。

佐藤:まずは中世、特に鎌倉時代に関心のある人に読んでもらいたいですが、それとは別に、あまり歴史に興味がない人にこそ是非読んでいただきたいと思って書きました。というのも、歴史というのは遠い過去の話で、今の世の中とはあまり関係ないんじゃないかと思えるかもしれないけれど、人間の社会は要所で歴史を参考にしているからです。本書を読むと、それがよくわかるのではないかと思います。

歴史とエンターテインメント

――個人的な所感なのですが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をはじめ、アニメ『平家物語』と『犬王』、漫画『逃げ上手の若君』、そして足利尊氏を描いた『極楽征夷大将軍』が先ごろ直木賞を受賞するなど、近年エンターテインメントの世界で、ちょっとした「中世ブーム」があるように思っていて……それについては、どう思われますか?

佐藤:中世ブーム自体は、私が大学院生ぐらいの頃から、研究者やコアなファンたちの間でずっと盛り上がっていたと思います。私の周辺では、「室町ブーム」もありましたね。ここ数年は確かに、エンターテインメントの世界まで含めて、中世を扱ったものが増えている印象です。

――その要因は、どこにあると思いますか?

佐藤:1980年代から90年代にかけてはかなり大きな「中世ブーム」があったのですが、それを牽引したのはベストセラーとなった網野善彦さんの『日本の歴史をよみなおす』(1991年)だと思います。網野さんは宮崎駿監督の『もののけ姫』(1997年)にも大きなインスピレーションを与えたと言われていて、近代社会が行き詰まる中、それとはまた違う世界を提示したところが画期的だったのだと思います。網野さんは2004年に亡くなりましたが、僕が歴史の勉強を始めた2000年前後には非常に人気がありました。

 ただ、ここ最近の中世ブームがそれと少し違うのは、『もののけ姫』のように中世をある種の「異世界」として捉えるのではなく、もっと等身大の人間の営みを捉えようとしているところです。少し前に大ベストセラーとなった呉座勇一さんの『応仁の乱』(2016年)もそうでしたが、歴史の渦中にいた生身の人間を描こうとしている。「近代」といっても一枚皮をはがせば、いつの時代も変わらないプリミティブ(原始的)な何かがある、そこに目が向いているんじゃないでしょうか。

――なんとなくわかります。『鎌倉殿の13人』も、「異世界」ではなく、今と「地続きの世界」として、感情移入しながら観られていたような気がします。

佐藤:あと、私は1981年の生まれで、子どもの頃からゲームが身近にあったんです。そのため、私の世代では『信長の野望』というゲームをきっかけに歴史に興味を持った人が結構多いんですよ。漫画やアニメも普通に読んだり観たりしている世代なので、そのあたりが上の世代とは視点が違うポイントなのかもしれません。エンターテインメントとの距離感が近いというか。もしかしたら、我々のそういう歴史の捉え方が、昨今のエンターテインメントにも表れているのかもしれませんね。

――最近では、それこそゲームの『刀剣乱舞』とかも無視できない存在ですよね。

佐藤:そうですね。ただ、『刀剣乱舞』だけではなく、歌舞伎などの伝統芸能にしても、本来そういうエンタメ的な側面がある気がします。歴史的な出来事の痕跡を手掛かりにしながら、人々が想像力を膨らませて、広がっていったところがあるわけで。歴史エンターテインメントというのは、いつの時代もそういうものなのかもしれませんね。

■書籍情報
『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』
著者:佐藤雄基
発売日:2023年7月20日
価格:1012円
出版社:中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/07/102761.html

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