初の単著で即重版! 『その謎を解いてはいけない』の新鋭作家・大滝瓶太にミステリ評論家、千街晶之が迫る

「思弁」を一番の見せ所に持っていくSFとミステリの類似性

 ーー大滝さんは『ミステリマガジン』2021年5月号に「作家たちの犯行の記録 特殊設定ミステリ試論」を寄稿されています。その時に「ミステリを読みはじめておよそ半年」と書かれていますが、半年にしてはずいぶんポイントを押さえた読書をされているという印象で驚きました。SFやミステリに関する読書歴に関してはいかがでしょうか。

 大滝:あの原稿を書いた当時「特集設定ミステリ」がすごい流行っていたんです。なので僕自身、話題になっているものをチェックしたり、ミステリ作家の方やTwitterでおすすめを聞いて読み漁ったという感じです。その時に感じたのが、ミステリとSFって結構近いものがあるなということです。それは「思弁」っていうものを一番の見せ所に持っていくっていうところです。ミステリならば、推理っていう圧倒的な思弁が大きな見せ所になるし、SFだとその広大な世界観を思弁的な説明によって開示していくことがあると気づき、ここを接続する感覚をつきつめていけば、自分にもミステリが書ける! という確信がありました。

   ミステリ作品を読んでいくなかで特に感銘を受けたのは探偵という装置を巧みに使って世界そのものを思弁で作り替えていくような清涼院流水のJDCシリーズ、その強い影響下にある舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』です。また、いわゆる後期クイーン問題をあざやかに実証した作品である麻耶雄嵩『神様ゲーム』も傑作だと思いました。

ーーそこで初となるミステリ作品『その謎を解いてはいけない』にもつながっていくのですね。

大滝:そうですね。もともと純文学からスタートして、SF、ミステリとジャンルを飛び越えてきたので、今ではジャンルっていう概念が無いものになっています。今では創作を『ガリバー旅行記』みたいなものだと考えるようにしています。純文学島で生まれて、SF島に行ったから今度はミステリ島に行こうかなみたいな感じで、未知のジャンルに飛び込んでいくのがとても楽しいです。

小説を書くときは常に批評家的な視点を持っている

ーー大滝さんは批評も執筆されています。自作を評論家として読んでしまうことはありますか。

大滝:むしろ自分ならどう評するだろうか、を常に念頭におきながら書いています。これは作風にもよるのですが、ぼくは小説で思弁を重視するタイプですので、批評と実作の両輪がうまく機能してはじめて力を出せると考えています。日本だと保坂和志さんはもちろん、阿部和重さんや法月綸太郎さんなどがその方面の強みをもっていると思います。あくまで個人的な意見ですが「自作を評論家として読む」のは良し悪しでなく「特徴」だと考えています。

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