坂本龍一自伝『音楽は自由にする』を読む YMOさえ「誘われて」始めた男が傾倒した「映画」への思い

 坂本龍一とは何者だったのか。むろん、優れた音楽家であったことは間違いないだろう。だが、その一方で、数々の映画やCMに出演したり、本本堂というユニークな出版社を起こしたり、また、近年ではインスタレーション作品を発表するなど、さまざまなジャンルを横断する表現者としての顔も併せ持っていた。そして、原発、テロ、戦争などの諸問題からも目を逸らさず、壊れゆく世界に警鐘を鳴らす発言と行動を積極的に繰り返してきた(闘病中にもかかわらず、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求めて、小池都知事らへ送った手紙も話題になった)。

 そんな坂本が3月28日に逝去したのは周知のことと思うが、彼の自伝、『音楽は自由にする』が、先ごろ文庫化された。

何者にもなろうとしないことの強み

 『音楽は自由にする』は、月刊誌「エンジン」にて、27回に渡り連載された企画をまとめたもので、1952年(生年)から2008年あたりまでの坂本の人生を振り返る内容になっている(聞き手は「エンジン」編集長の鈴木正文)。

 これがなんというか、ある種のサクセスストーリーとして、とても面白く読めた。とりわけ興味深かったのは、どうやら子供時代の坂本は、将来プロのミュージシャンに、ましてや世界的なスターになりたいなどとはまったく考えていなかったということだった。

 現在ぼくは、音楽を職業としています。でも、どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。音楽家になろうと思ってなったわけではないし、そもそも、ぼくは子どものころから、何かになるとか、何かになろうとするとか、そういうことをとても不思議に感じていました。(中略)(引用者注/この先)自分が何かになるということが想像できなかったし、職業に就くということも、なんだか不思議なことに思えた。そういう感覚は、今でも残っているかもしれない。〜坂本龍一『音楽は自由にする』新潮文庫より〜

 そもそも坂本の音楽家としての出発点は、バンドのサポートメンバーやスタジオミュージシャンという、いわば“裏方”の存在であり、そうした趣向(?)は、父親(坂本一亀)の職業が編集者であったことも少なからず関係しているかもしれない。また、「何かになるとか、何かになろうとする」ことに対する違和感は、彼が生涯、1つの音楽のジャンルに(いや、音楽というジャンルにすら)囚われなかったことにも繋がっているだろう。

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