『東京卍リベンジャーズ』タケミチとマイキーが背負ったものとは? 賛否両論の「結末」を考察


※本稿は、『東京卍リベンジャーズ』(和久井健/講談社)のネタバレを含みます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 先ごろ刊行された『東京卍リベンジャーズ』最終巻(31巻)の売れ行きが好調である(1月24日トーハン調べの週間ベストセラーランキングで、コミックス部門の第1位)。また、現在テレビアニメシリーズの第2期(「聖夜決戦編」)が放送中のほか、4月・6月には実写映画の2作目(「血のハロウィン編」)も2部構成で公開予定であり、当分の間、「東リベ」ブームが収まることはないだろう。

 とはいえ、この『東京卍リベンジャーズ』、その最終話で描かれた“結末”については、コアなファンの間でも賛否両論あるようだ。そもそも(最終話どころか)最終章の展開自体が、「タイムリーパーである主人公が、恋人の死を回避するために繰り返し過去に戻って戦う」という本来のテーマからは大きく外れたものになっていたし(最終章で主人公が救おうとするのは、恋人ではなく親友だ)、ましてや最終話の「敵も味方も、誰もが幸せになる」というオチについては、いささかご都合主義的な感じがしないでもない。

 だが、よく読んでみれば、あの結末はあの結末で、それなりに考え抜かれた、極めて少年漫画らしい見事な大団円だったということがわかるだろう。少なくとも、ヘタなバッドエンドで幕を閉じるよりは、何倍もよかったのではないかと私は思っている。

注目すべきは松野千冬の視点

 『東京卍リベンジャーズ』の第276話、主人公・花垣武道(タケミチ)は、親友の佐藤万次郎(マイキー)にかけられた“呪い(黒い衝動)”を解き放つことに成功するが、自らは命を落としてしまう(厳密にいえば、この時、タケミチが絶命したかどうかは不明なのだが、そう見えるように描かれている)。

 一方、我に返ったマイキーは、タケミチの手を掴んで絶叫――その瞬間、2人は1998年の(小学生だった頃の)世界にタイムリープするのだった。そして、その新たな世界線で、タケミチとマイキーは協力し、周囲の誰もが間違った方向に進まないような“未来”を作ろうと決意する。

 そう、これが彼ら2人にとっての真の「リベンジ」であり、だからこそ、本作のタイトルは『東京卍リベンジャーズ』という複数形だった、というわけである(※)。

(※)ただし、このエピソードとは別に、第242話でもタケミチは、マイキーを救うために集まった仲間たちに向かって、「これはオレだけじゃない。“オレたち”のリベンジだ」といっている。つまり、そこでもまた、本作での「リベンジャー」は1人ではない、ということが強調されているのだ。

 じっさい、その後の第277話と第278話(最終話)を読めばわかるが、タケミチとマイキーの「リベンジ」は成功する。2人が中心になって結成した暴走族「東京卍會」は、全国制覇を成し遂げたのち解散。それから11年後の2017年、タケミチは恋人・橘日向と結婚し、かつての世界線では命を落としたはずの仲間たちや、敵対していた連中までもが、彼らを祝福するために集まってくる(そこを訪れる誰もが、「それぞれ進みたかった道を歩んでいる」)。

 これがたぶん、本作の結末がご都合主義的に見える最大の理由だ。たとえば、(場地圭介や龍宮寺堅のように)かつて誰かを守るために命を落とした人間が死を免れた、というのはたしかに“良い未来”ではあるが、その一方で、悪事に手を染めた非道な連中の“罪”までが、同じようにリセットされていいのか――これは、なかなか答えが出にくい問題だろう。

 だが、それについては、最終話で描かれている松野千冬のモノローグ(ナレーション)をよく読んでみれば、おぼろげながらではあるが、作者の考えが見えてくる、といえなくもない。

タケミチとマイキーが背負ったものとは

 前述のタケミチと日向の結婚式で、タケミチの“相棒”――松野千冬はこんなことをふと思う。「オレは知ってるんだ/この幸せが当たり前じゃない事を…/なんでかわからないけど/記憶の奥にある/あの背中が/何度も何度も失敗して/たぐりよせた奇跡だって事を」
 つまり、千冬はかつて別の世界線で起きたさまざまな出来事を、心の底では「なんでかわからないけど」覚えており、これは、新しい世界線が「完全にリセットされた世界」ではない、ということを暗に物語ってもいるのだ。

 そうでなければ、物語全体を締めくくるような重要なナレーションを、サブキャラクターの1人である千冬の視点で描くというのは、(いかに彼が人気のキャラであるとしても)実は少々“変”なのである。たとえば、仮に物語の構成上、最後に「幸せそうなタケミチと日向を見つめながら、これまでに起きたことを振り返る」というキャラクターが必要なのだとしたら、それはタケミチとともに新しい“未来”を作ってきたマイキーであるべきだろう。良い/悪いは別にして、それが作劇の定石というものである。

 だが、あえて、和久井健はこの重要な場面に、マイキーではなく、(本来の設定では何も覚えているはずがない)千冬の視点を持ってきた。これはやはり、「世界は完全にリセットされたわけではない」ということを、作者が読み手に伝えたかったということの表われなのではないだろうか。

 言い方を変えれば、それは、かつて別の世界線で罪を犯した者たちが完全に許されたわけではない、ということの証でもある。だからおそらく、タケミチとマイキーは、彼ら(とりわけ稀咲鉄太)の罪をも背負って、“いま”を生きているのだ。

 そう、つまりこの『東京卍リベンジャーズ』の最後とは、決してご都合主義的な展開などではなく、そんなタケミチとマイキーの強い“覚悟”が描かれた、気合いの入った結末だったのだと私は思っている。

関連記事