川上未映子が語る、現代社会の茫洋とした怖さ 「みんな、自分が他人にしたことのほとんどを忘れている」

恥をかくことって何歳になっても大事

ーー「娘について」についても聞かせてください。主人公は女性の小説家。実家がお金持ちの親友、彼女の母親との関係を描いた作品です。

川上:登場する女性はみんな満身創痍だけど、生きてるとこんな感じだと思う。母と娘の物語は数多くありますが、「娘について」は親友のお母さんとの戦いからはじまり、その後は2人で親友を支配しようとします。さらに、登場もしない主人公の母と、親友の母の代理戦争みたいになって、いろんな方向にねじれてるけれど、ねっこにあるのは階級闘争。過去の自分にリベンジされる話でもありますよね。親友から久しぶりに電話があり、それをきっかけに彼女に対して何をやったのかを思いだす。それはたぶん、誰もが知らないうちにやっていることかもしれません。みんな、自分が他人にしたことのほとんどを忘れているから。そして、その逆もありますね。

ーー確かに。

川上:そう思うと、記憶や過去の体験は、何をもって、どこに存在していると言えるのか……そういえば、いま読売新聞で連載している『黄色い家』は「娘について」を書いたことが構想のきっかけになりました。ほんとはぜんぜん違う話を書こうと準備していたんですけど。

ーーそうなんですね! 「娘について」には、主人公の小説家が「出版業界は漫画や電子書籍の一部が業績を伸ばしているだけで」「もう誰も小説なんか読まないのだ」と心のなかで毒づく場面もあります。

川上:ありましたね、「わたしはこの仕事に就くための運、カードを1枚もっていただけで、それを切ってしまったあとはもう何も残ってはいないのだ」……って、この主人公は自分に厳しいなあ(笑)。

ーーもちろん、それでも川上さんは書き続けるわけですよね。先ほど「書きたいものは常にある」と仰ってたし。

川上:べつに誰に頼まれてるわけでもないのに「書かなあかんよなあ」という感じです。なんか、鬼教官みたいな存在がいて、仕事部屋で待ってるイメージがあるんです。わたしは「イヤだな、イヤだな」と思いながら仕事部屋に行って、「よろしくお願いします」という感じで書きはじめる。それで「ああ、今日もうまくできなかった」と言って帰ります。そもそも「この仕事、しんどいだろうな」「こんなん無理よな」と思ったらやろう、というところがあるんです。「これはできるかも」というものはあまり興味がなくて、「これは自分を追い詰めることになる」というものにひかれます。

ーー鬼教官がそうしろと言ってるんですか?

川上:どうかなあ。でもわたしは今のところ自由のある環境にいて、いろんなことはあるけれど、それ以上にいろいろなものを享受しているし、体も動きます。しかもそれはほとんど運みたいなものによって、もたらされているものですよね。机に座ってできる仕事くらい追いつめられてないと、という気持ちがあるんでしょうかね。まあそれも単なるナルシシズムですけど……。

ーー現在、取り組まれている『ピーターラビットのおはなし』の翻訳も、楽しくないですか?

川上:「大変だろうな」と思ったからやり始めたのは同じなんですが、詩がたくさんあって、英語の頭韻や脚韻を日本語にするのは、ああでもない、こうでもない、という感じで、すごく面白いです。なにより、驚くこと、知らなかったことが、もう本当に多いんです。おなじ仕事を15年くらいやっていると、初めてのことってだんだん少なくなってきます。慣れないことをやって、頭をぶつけたり、失敗したり、恥をかくことって何歳になっても大事です。そういう意味でも『ピーターラビットのおはなし』は懐の深い作品ですし、いまはとにかく夢中でとりくんでいるところです。

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