芥川賞受賞作『ブラックボックス』は日本の暗部を映し出すーースカッとしない勧善懲悪劇

 今年1月19日に第166回芥川賞を受賞し、元自衛官という異色の経歴でも話題を集めた砂川文次。受賞作『ブラックボックス』は、現在のコロナ禍の東京が舞台となる。

 芥川賞候補にもなった過去作、イラクの紛争地帯で武装警備員として働く日本人が主人公の『戦場のレビヤタン』や、自衛隊とロシア軍の武力衝突をシミュレーションした『小隊』と比べると驚きのない設定に見える。だが、今回注目すべきはシチュエーションではなく主人公にある。

 これまでの砂川作品の主人公は、戦争物では極限状態でも客観性を失わない観察者であり、実在しない感染症によって世の中がパニックとなる『臆病な都市』のような不条理ものでは無力な小市民的役回りで、個性は希薄だった。一方、本作の主人公・サクマは、今までになく強烈なキャラを持っているのだ。

 そのサクマという男は、30歳を目前にちゃんとしなければならないと思いつつも、〈でもちゃんとするっていうのが具体的に何をどうすることなのか〉と悩んでいた。自転車で荷物を配達するメッセンジャーの仕事は気楽で、とりあえず続けられている。ちゃんとしていると言えるのかもしれないが、50、60まで続けられる仕事ではないと、サクマは考えている。個人事業主扱いで福利厚生は無く、緊急事態宣言などで企業活動がストップし依頼が来なくなったら、収入の途絶える不安もつきまとう。営業所の所長から、正社員登用の打診を受けたこともあった。正社員の地位は欲しかったが、業務の多くなる割に給料は安いのでスルーしていた。

 となると、待遇のちゃんとした別の職種に就けばいいとも思うが、過去にサクマは自衛官・不動産の営業・コンビニなど、様々な仕事をしてどれも長続きしなかった。怠けたくて、仕事を押し付けてくる先輩。女性社員にちょっかいを出し、くだらない話をだらだらとする社長のドラ息子。立場の弱い店員に尊大な態度を取る中年男性。ブッ飛ばしてぇ……と思わずにはいられない人間を、サクマは本当にブッ飛ばしてしまうからだ。

 相手の痛いところを突くきつい言葉を放ち、手を出すことも厭わない。彼を無謀な行動に突き動かすのは、〈遠くへ行きたかった〉という漠然とした願望である。代わり映えのしない日々の積み重ねに飽きてくる。すると身近にあるハラスメントや同調圧力に目が行き、我慢ならなくなる。そして怒りを暴発させることで、別の地点へと移動するきっかけとしていたのだと、散々失敗した後にサクマは自覚する。〈この悪感情を捨てろ〉。集団の中で調子を合わせて生きればよかったのだ、だがそこは自分の行きたい場所とは思えなかった。

 トラブルの結果が先に提示され、ブラックボックスの記録を解析するかのように、しばらくしてから経緯が段々と明らかとなる。そんな物語の構造は、衝動的に動いて後から意味を考えるサクマの思考回路とよく似ている。それに読者も徐々に馴染みながら、自分の生き方はちゃんとしているのだろうかと顧みながら、ちゃんとするの答えを求めてもがく男の深層心理を辿っていくことになる。

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