『作りたい女と食べたい女』の連載を追うべき理由 今この時だから描ける表現とは?
読むならば今、連載を追うべき
たとえば皮から作る餃子パーティ。大きな鍋で煮るおでん。思いつきでコンビニで材料を調達してフルーツサンドを作るのも楽しそうだ。野本さんが生理痛で動けない時に春日さんが味噌焼きおにぎりを作りに来てくれたり、なかなか予定が合わない時に野本さんが煮卵(味玉)のおすそ分けをしたりの助け合いも素直にうらやましい。春日さんはその煮卵をまずはインスタントラーメンに入れ、翌朝にはソーセージと丼にする。コレステロール値を気にする小柄な中年である自分には許されない食べっぷりがまぶしい。
お隣のお隣に素敵な人が! というのはいかにも漫画的な夢なのだが、その一方で現実的なお金の問題も正面から描写されていることが、登場人物たちと読者との距離をぐっと縮める。春日さんは第3話にしてはやくもごちそうになった分の食費の支払いを申し出、野本さんは一度は断りながらも受け取るのだ。
そもそも野本さんは、第1話で毎日お弁当を作っていることを職場で同僚の男性に褒められ、心で「毎日社食食べられる給料じゃないし…」と、ため息をついている(彼女は契約社員であり、彼はおそらく正社員なのだ)。さらに「女は家事をして男と子供に尽くすもの」という固定観念に基づく無理解な言葉を浴びせられ、ひとりやさぐれてしまう。とりあえずその場は受け流しながら、「自分のために好きでやってるもんを 「全部男のため」に回収されるの つれ〜な〜〜…」と胸を痛める彼女。それが「沈んだ気分を上げるために」大量のご飯を作り、思い切って春日さんに声をかけるという行動に結びついたのである。
このように、『作りたい女と食べたい女』は、現実社会に根強く残っている性差別や経済的な制限の問題を強く意識しつつ、女性と女性のロマンスをエンターテインメントとして語ろうとしているマンガなのだ。野本さんが自らの性的指向と春日さんへの恋愛感情を自覚するのは2巻の終わり。これまであまり描かれてこなかった領域にも斬り込み、フェアな恋愛関係の可能性を探ろうという意欲が静かな熱を放っている。「今の世の中」を睨みつつ難しい舵取りに挑戦している作品だから、読むならば今、連載を追うべきだろう。