二ノ宮知子が語る、『のだめカンタービレ』と歩んだ20年 「やるからには読者の方に喜んでもらいたい」

『のだめカンタービレ』を読んでいたファンがプロになったという報告も!

――私は『のだめ』を読みながらクラシック音楽にふれるきっかけをもらったんですが、楽器を演奏したり音楽を聴く趣味が増えたという声も届いていましたか?

二ノ宮:その感想は一番多かったですね。なかには「吹奏楽部に入りました」みたいな方もいましたし、小、中学校のときに『のだめ』を読んでいた方から「プロになりました」みたいな報告をもらったこともありました。

――すごいですね!

二ノ宮:うれしいですよね。ただ、ちょっと「月日が経ったな」なんてしみじみしちゃいましたけど(笑)。

――『のだめ』はドラマやアニメも人気になり、より多くの人のところに届いたように思います。

二ノ宮:当時は連載に集中していたのでハッキリと覚えてはいないんですけれど、ドラマの監督とかプロデューサーの方とは、わりといい関係なんですよ。うちに来て飲んで帰ったり、言いたいことも言い合えていたので。声優さんとかもみんな今でも仲良くて。いいメディアミックスでした。

――先生の中で「このシーンは描くのが大変だったな」という思い入れの場面はありますか?

二ノ宮:やっぱりオーケストラのシーンは大変でした。連載を開始したばかりのころは、結構ゆるく描いていたんですが、だんだんと音楽をやっている方とかプロの音楽家の方にも読まれていることがわかってきて。「バイオリンの弓の持ち方が違う」とか「このメーカーの楽器を使っているの?」とか細かなところまで見られているという緊張感が常に有りました。どんどんハードルが高くなってしまって「あれ、こんなはずでは」……っていう気持ちでしたね。

――それはかなりプレッシャーでしたね。

二ノ宮:はい、反響の大きさに伴って監修してくださる方が増えていったので、ありがたかったんですけれども。そもそも「私、楽譜読めないです」ってずっと言っていたのに!

――(笑)。漫画家さんって、その題材についてすごく精通しているように見られがちですよね。プロの方も楽しませる漫画を描くというのは、やはり取材が大事ということですか?

二ノ宮:もちろん取材も大切なんですけど、「気持ち的には漫画家も音楽家も一緒なのかな?」と思って置き換えて考えたりして描いていました。プロとアマチュアの世界の違いとかもそうですけど、好きなことを描いていたい人とプロになりたい人がいるところとか。あと、作曲家は漫画の原作みたいで、絵を描く人は演奏家かな。じゃあ原作と絵を描く作業を一緒にやっているというのは、昔の作曲家が演奏家だったのと同じかな……というように。そうして置き換えると想像しやすくて描けたんですよね。楽譜が読めなくても(笑)。

――なかでも、千秋みたいにすごく才能がある人を描くというのは大変じゃないですか? 例えば指揮をしながら「バイオリンのチューニングが」みたいな指摘をするエピソードとか。

二ノ宮:あれはもう『天才列伝』みたいな資料を見て「こんなことができる人がいたよ」っていうのを調べていくうちに、「じゃあ千秋ならこのくらいのことができるんじゃないか」と。それからプロの方にも裏を取りつつですね。私自身がそんな才能がなくても描くことができるのも、漫画のいいところです。

――のだめのモデルにリアルのだめさんがいるように、他のキャラクターにもモデルとなる方はいらっしゃいましたか?

二ノ宮:いたりいなかったりだったんですよね。パリ編とかは、パリでお世話になった日本人夫婦の旦那さんをモデルにしちゃいました。フランクとジャンって名前の人がいたんで、そのまんま使ったりとか。もうとにかく出てくるキャラクターが多かったので、途中からはサッカー選手の名前を使うと楽だなと気づいて(笑)。フランスの人を描くならフランス代表から、イタリア人が出てきたらイタリア代表から調べて名前をつけていました。あのころ、締め切りがあるのにオランダまでサッカー観に行くくらい好きだったので。

――締め切りなのに(笑)!

二ノ宮:そうなんですよね。途中から『のだめ』のハードルがどんどん高くなっていったのでサッカーどころじゃなくなりましたけど。やっぱりプレッシャーではありましたけど、うれしかったですね。注目していただけるというのは。

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