『新・謎解きはディナーのあとで』新章開幕でさらにパワーアップ 文芸書ベストセラーランキング

『クララとお日さま』

 ロングセラー作品や人気シリーズの最新刊が並ぶなか、唯一“新刊”としてランクインしているのが、ノーベル文学賞受賞後第一作となるカズオ・イシグロの『クララとお日さま』。

 あらすじに触れずいきなり物語を読みはじめると、最初は語り手の〈わたし〉を指すらしい「AF」がなんのことだかわからないだろう。けれど数ページ読めば、〈わたし〉と、一緒にショーウィンドーに並べられているローザやほかの子たちが、どうやらロボットらしいとわかってくる。彼女たちを求めて店を訪れるのは子供たち。もちろん決定権は代金を支払う親にあるのだけれど、〈わたし〉たちは子供たちの情操教育のためにつくられた〈人工親友(Artificial Friend)〉であることが、やがてわかる。

 〈わたし〉ことクララは一世代ふるいモデルだけれど、どのAFよりも観察眼に優れていて、何事にも慎重に適切な判断をくだすことのできる賢い子なのだということも、わかってくる。人工知能ロボットに、そんな表現はふさわしくないのかもしれない。だが、観察による成長と人間との触れ合いによる学習で感情さえも習得していくクララの語りをたどるうち、読者はみな、彼女がロボットということを忘れて親しみを抱いてしまうだろう。クララを見出し、家に連れ帰ったジョジーや、母親のクリシーのように。命にかかわる病におかされ、日に日に弱っていくジョジーのために、ほとんど信仰といっていいほどの祈りと献身を〈お日さま〉に捧げ続けるクララを知れば、なおさらだ。けれどその感情移入に、どっぷり浸かりきることはできない。科学の進歩によっておそらく拡大しただろう社会的格差。命を奪う危険性のある、人にほどこされる技術。踏み越えられようとする倫理の壁。クララの純真なまなざしを通じて描かれるそれらの問題が、読み手の心をひやりとさせる。いったい“人間らしい”のは、クララなのか人間たちなのか。本書は静かに、けれど鋭く、読み手に問いかけてくる。

 こんなの、泣くに決まっている。とラストにたどりついて思う。けれどただ、感動したとか切ないとか、わかりやすい言葉にまとめてしまってはいけない、とも思う。なぜ私たちはこの物語に揺さぶられるのか。いとおしいと感じたのは、目をそむけたくなったのは、いったいどの瞬間だったのか。クララがそうしていたように、感情とそれをもたらした事象を静かに解析しながら、自分を自分たらしめているものは、人間として存在させているものはなんなのか、考えたくなる一冊である。

■立花もも
1984年、愛知県生まれ。ライター。ダ・ヴィンチ編集部勤務を経て、フリーランスに。文芸・エンタメを中心に執筆。橘もも名義で小説執筆も行う。

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