後藤正文の『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』レビュー:醜さも汚らしさも丸ごと抱きしめられるような美しさ

 FORWARD/DEATH SIDEのボーカリスト・ISHIYAの著作『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』が、1月10日の発売以降、各所で話題を呼び、このたび大量重版が決定した。重版を記念して、リアルサウンド ブックでは後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)によるレビューを掲載する。なお、blueprint book storeではISHIYAのサイン入り書籍の追加販売を本日2月28日より開始した。(編集部)

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後藤正文の『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』レビュー

ISHIYA『ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史』(blueprint)

 網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』は、歴史教科書に乗らない日本史の厚みを教えてくれる。彼の著書のいくつかを読み、そこから様々な民俗史の本にたどり着いて、中学生のころに暗記した年表の裏には、庶民の歴史が無言のまま積み上げられていることを知った。

 それ以外は歴史ではないとでも言うかのように、「正史」は、権力によって編纂される。ある意味では、歴史教科書の太文字の年表が庶民の歴史を踏みつけているとも言える。兵士の日記なくして、戦争史を正しく理解することなどできないのに。

 権力や権威に中指を立てるのは、パンクスとしての正しい振る舞いのひとつだ。ゆえに、「正史」へのカウンターとして庶民の歴史を記す民俗史とパンクとの間には、共通点があると言える。相似形だと言い切ってもいいかもしれない。

 ISHIYAさんが書いた『ジャパニーズ・ハードコア30年史』は、優れた民俗学的歴史資料だと思う。例えば、数百年後の人たちが僕たちの生きた時代の音楽文化の実相を知るうえで、貴重な資料になるはずだ。

 「私観」と銘打たれているところも素敵だ。

 モノの見方や時間の捉え方には人それぞれの角度があり、自分の語ることのみが正しい歴史だと主張するのは不遜な行いだと言える。ISHIYAさんは、自覚的にそれを避けている。シーンに連なるの人々への気遣いと、ハードコアパンクに対する愛を感じた。

 門外漢にとっては、文面からの情報だけで登場する様々なバンドの音楽を想像するのが難しい。ハードコアパンクのファン以外にとっては、固有名詞の多さが読み進めるうえでひとつの障壁になるかもしれない。けれども、現在はインターネット上に幅広く音源やライブ映像がアーカイブされている。僕はそれらを利用しながら、この本を読み進めた。

 そして、好きなバンドが増えた。

 なるほど、ハードコアパンクへの入門書や、ディスクガイドとしての機能を持ち合わせているということだ。

 また、この本はISHIYA青年の青春譚として読むこともできる。

 わかりやすく感動的な物語りばかりが重宝される時代だけれど、人の感情や人間関係はとても複雑だ。

 他者への愛情ひとつとっても、本来は語ることが難しい。愛情の対義語は憎悪であるが、ふたつは表裏のような単純なかたちでは存在せず、時にマーブル状だったり、片側の表層に偏在していたり、あるいは一枚二枚と皮をめくったところに潜んでいたりする。

 トピックを渡り歩く文章の端々からは、盟友CHELSEA氏に対する心情が様々なかたちで表出し、糸のように撚られてゆく。そこにはひとりの人間の複雑な感情の吐露があり、たった一度の人生があり、醜さも汚らしさも丸ごと抱きしめられるような美しさを感じて胸が苦しくなった。

 同時に、自分の人生がいくらか愛おしくなった。

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