料理は“女性”の武器か? 『料理なんて愛なんて』が問いかける、料理=愛情の呪縛
主人公の須田はある会社の総務部に勤務する20代後半女性だ。日々忙しく業務をこなしながら過不足なく暮らしているが、ある時、一目惚れした少し年上の男性・真島の「本命じゃない彼女」となってしまう。
〈真島さんを驚かせたいだけだった。
「どんな人が好きなんですか」
三年前の春の、出会ったその日に聞いた。
「料理が好きな人」
真島さんは、即答だった。それからわたしは事あるごとに同じ質問をした。
「料理が上手な人」
「料理が好きな人」
「料理が得意な人」
言いまわしは変わるものの、真島さんの答えはいつもひとつだった。〉
真島に好かれようと、須田はバレンタインに手作りのチョコレートを用意し、普段はしない自炊をしてみる。しかし、どれも上手くできない。いくらやっても自分は料理をするのが苦手だという事実に打ちのめされてしまう。
そんな彼女に両親や親しい友人はゆっくりと覚えれば良いと言い、またある同僚は料理に愛情は必要ないと言う。須田はそれらの言葉に耳を傾けつつも、どちらにも釈然としない。時間をかけて焦らずやればきっと楽しめるようになるから、と他人が言えば言うほど、苦手な人にとってはより苦痛になると同時に、少しずつお互いがずれていってしまう描写が、絶妙に描かれる。そして、須田に好意を持つ料理人の男性や、見守る周囲を静かに巻き込んでいく。
彼女が努力をしている中、真島は本命の“料理上手な女性”へと傾いていってしまう。好意を袖にしてわがままな男性性に甘えているように見える真島だが、一転して、彼が料理好きの知人に発した次の言葉によって、思いもかけず須田との共通点が浮かび上がる。
〈…俺はすごくてきとうな人間で、ありのまま生活すれば、すべてのことにおいてだいたいちょっとずつ間違っているんです。俺だけじゃなくみんなそうだって、それが普通だって、そのときまでは思ってたんです。でも、その感覚は他の人と違うのかもしれない。俺以外の人はもっと、ひとつひとつ間違えないようにしながら生きているんじゃないかーー。そう気づいたんです〉
できる/できないという掛け違いを超えて、食べ物でも人間でも、別の何かでも良い、その対象を素直に好きになることができればどんなに楽なのだろうか。性差などによる、料理=愛情の呪縛やそれからの解放だけで終わらせず、もう一歩先に進んで理屈では解決できない好き/嫌いのままならない感情が交わるこの物語。生きる上での綺麗事と自分の常識に捕らわれている人に、ぜひ読まれて欲しい。
■山本亮
埼玉県出身。渋谷区大盛堂書店に勤務し、文芸書などを担当している。書店員歴は20年越え。1ヶ月に約20冊の書籍を読んでいる。会ってみたい人は、毒蝮三太夫とクリント・イーストウッド。
■書籍情報
『料理なんて愛なんて』
著者:佐々木愛
出版社:文藝春秋
価格:本体1,400円+税
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163913216