『うしおととら』が“熱い漫画”と評される理由 「普通の人間が怪異に勝つ」ことのおもしろさ

 まずは、物語の中盤(正確には物語の三分の一が終わったあたり)で、「獣の槍」を使い過ぎたために「獣化」してしまった潮をもとに戻すために、5人の少女たちが奮闘するというエピソードがある。彼女らはいずれも、過去に潮によって守られたことのある少女たちであり(そのうちふたりは潮の幼なじみ)、なかには“結界”内に入ることのできる者や、のちにある宿命を背負って生まれたということがわかる者もいるのだが、みなこの段階では、基本的には(少なくとも異能バトル的には)「普通の女の子」だといっていい。

 少女たちの名は、中村麻子、井上真由子、羽生礼子、檜山勇、鷹取小夜。彼女らに与えられた使命は、「潮と縁のある女たちが、彼の伸びた髪をある櫛で梳(くしけず)ること」。それによって、潮はもとの少年に戻ることができるのだが、獣化した彼はほとんど凶暴な妖怪と変わらない“魔物”であり、なんの霊能力も持たない少女たちには命の危険がつきまとう。それでも、彼女たちは迷うことなく、その“戦い”に挑むのだ。大好きな潮を守るために。

 そう、ヒロインを「主人公に守られるだけの存在」として描くのではなく、むしろ「主人公を守るために戦わせる」という展開も、藤田作品の新しさのひとつであった。そしてこの「戦う女の子」たちの強さと美しさは、のちの『からくりサーカス』の「しろがね」や、『双亡亭壊すべし』の紅、帰黒などにも受け継がれていくのである。

 さらにもう1エピソード、紹介しよう。それは、物語の序盤で描かれる、妖怪「衾(ふすま)」との空中戦だ。衾とは、ふだんは空にいて、たまに地上に降りて来て人間を喰う妖怪なのだが、あるとき、潮ととらが乗っていた旅客機がそいつに襲われてしまう。当然、ふたりは乗客を守るために応戦するのだが、この空の上での壮絶なバトルは必見である(が、本稿のテーマはそこにはないので、詳しくは書かない。興味のある方は実際に単行本を読まれたい)。

※以下、ネタバレ注意

 ちなみに衾の弱点は、「お歯黒の歯といっぱいの炎」だという。だとすれば、これが並みの作家による妖怪漫画だったなら、まずはとらが大量の炎を放って衾を弱らせ(とらには雷を落としたり、口から火を吹いたりする能力がある)、最終的に潮が「獣の槍」でとどめをさす、というケリのつけ方をすることだろう。だがもちろん、藤田和日郎はそんなありきたりな展開は描かない。

 では、藤田がこの章の最後に描いたのはいかなる展開だったかといえば、やはり、「普通の人間が怪異に勝つ」という彼ならではのオチだった。

 ネタバレ注意、ともう一度忠告したうえで、その“オチ”を書かせてもらうが、衾を倒すのはとらの雷でもなく、うしおの「獣の槍」でもない。なんと、緊急発進(スクランブル)でその場に現れた自衛隊の戦闘機が放ったミサイルなのである。

 これはいま考えてもなかなか斬新な展開であり、個人的にはこの種の漫画で、これ以上の衝撃を受けたことはないといっていいくらいだ。というのは、それまでの妖怪漫画や怪獣映画では、「自衛隊の戦闘機」というのは基本的には、(言葉は悪いが)「かませ犬」というか「やられ役」としてしか描かれてこなかったからだ。

 ところが、この『うしおととら』の世界では、そんな自衛隊の武器が怪物に対して充分有効だということを、物語の序盤で作者は読者にはっきりと“宣言”したのである。これは、スーパーナチュラルを描いた漫画としてはかなり画期的なことだったし、それが逆に、この作品に出てくる妖怪を“リアル”な存在にしたといってもいいだろう。

 いずれにせよ、こうした「普通の人」でも怪異に勝てるという新しい発想が、『うしおととら』という漫画に深みとリアリティを与えた。物語のクライマックスで、潮が宿敵「白面の者」に対して、「今、オレ達は…太陽と一緒に戦っている!」と啖呵を切る名場面があるが、ここでいう「太陽」とはもちろん、潮ととらを助けながら、いまなおそれぞれの“場”で戦い続けている「普通の人々」のことも象徴しているのである。

■島田一志……1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。https://twitter.com/kazzshi69

■書籍情報
『うしおととら』
著者:藤田和日郎
出版社:小学館
サンデー名作ミュージアム内『うしおととら』ページ

関連記事