凪良ゆう × 橋本絵莉子 特別対談:小説家と音楽家、それぞれの「シャングリラ」

凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)

 凪良ゆうの最新長編小説『滅びの前のシャングリラ』(10月8日発売)は、1カ月後に小惑星が地球に衝突し、人類が滅亡することがわかった現代の日本を舞台に、学校でいじめを受ける友樹、人を殺したヤクザの信士、恋人から逃げ出した静香、そして人気絶頂の歌姫でありながら葛藤を抱えるLocoの4人が、絶望の中でそれぞれの「幸せ」を問う物語だ。著者にとって、2020年本屋大賞受賞後の初の長編ということもあり、発売前から大きな注目を集め、すでに10万部を発行することが決まっている。

 そんな同作を執筆する上で、チャットモンチーの楽曲「シャングリラ」にインスピレーションを受けたと、凪良ゆうは言う。そこでリアルサウンド ブックでは、チャットモンチーのボーカルを務めていた橋本絵莉子との対談を企画。橋本絵莉子もまた、以前より凪良ゆうの小説を愛読していたといい、実現することになった。

 小説家と音楽家、それぞれの作品がお互いにどんな影響を与えているのか。まさに創作における“シャングリラ”が垣間見えるような、貴重な対談となった。(編集部)

凪良「絶望感を抱えながら生きている人たちにスポットを」

凪良ゆう

凪良:いわゆる「人類滅亡もの」の物語は、昔から数多くの作家や映画監督が手がけています。その中で、私ならどういうアプローチをしようと考えたときに、滅亡に対する恐怖や絶望よりも、「ようやく終われるのか」とホッとした感情を抱いている人々を主人公に据えるというアイデアが浮かんできました。今までの人生が思うようなものではなくて、常に「終わってしまえばいいのに」と軽く絶望感を抱えながら生きている人たちにスポットを当ててみたいなと。

 そんなアイデアを温めているときに、京都駅から自宅に帰る途中、イヤホンでチャットモンチーの「シャングリラ」を聴きました。そこで橋本さんが「希望の光なんてなくったっていいじゃないか」という一節を、すごく明るく歌い上げていて、胸にギュイーン!って刺さったんです。「この歌に登場するような男の子と女の子の話が書きたい」と刺激を受けて、できたのが友樹の章でした。

 でも、この歌の中でいう「シャングリラ」はいわゆる理想郷という意味ではなく、実は人の名前を指しているんですよね?

橋本:はい。「シャングリラ」の歌詞を書いたくみこん(高橋久美子)は、人の名前だって言っていました。だから「シャングリラ」って呼びかけているんです。私がこの曲の歌詞を明るく歌えていたのはたぶん、自分が書いた歌詞ではなかったという部分も大きいと思います。「感情を込めすぎないほうが響く表現もあるんじゃないか」と思ったんです。暗い歌詞も明るく歌うことで、むしろ言葉そのものの意味が立ち上がってくるというか。自分の歌詞ではなかったからこそ、気づくことができた視点でした。

凪良:「感情を込めすぎないほうが響く表現」というのは、私もすごくよくわかります。『滅びの前のシャングリラ』の最後の3ページは、書くのに2カ月もかかってしまったんですけれど、ずっと書くことができなかったのは、心理描写に重きを置きすぎていたからなんです。人間の心理を丹念に描写するのは、私の作風になっているところもあるのですが、あえて主人公の女の子にあまり感情移入せずに書いたところ、スパッと書くことができました。そして、橋本さんの仰る通り、感情を入れすぎなかったからこそ、リアリティのある表現になったのではないかと自負しています。私が今回の本を書く中で初めて学んだことを、20代前半で気づいたというのは本当にすごいです。

橋本:私は歌のことしかわからないですけれど、聴く側の気持ちに立ったとき、あんまり感情を込めて歌われるのもどうなんだろうって考えちゃったんですね。特にレコーディングのときは、感情を入れすぎないように意識しながら歌っています。でも、ライブになるとやっぱり変わっちゃうんですよ。だから、感情を入れるべき場面と、そうではない場面を使い分けているんだと思います。

凪良:目の前に聞いてくれる人がたくさんいると、やはり感情も乗ってくるものですか? 

橋本:それはあると思います。お客さんの顔って、ステージから結構はっきりと見えているんです。お客さん一人ひとりの感情をもらっているような感覚で、それが自然と歌にも現れる。

凪良:ライブは一回として同じ状況がないですよね。やっぱり同じ歌でも、ライブによって変わったりするんですか。

橋本:違うと思います。土地によって盛り上がり方もぜんぜん違くて、県民性のようなものがあるのかなと。チャットの時は、大阪だとMCにオチがないとツッコミがあったり、北の方に行くと静かな情熱を感じられたり。それによって、ライブも変わっていました。

凪良:ステージは一発勝負で、そこがすごく潔くてかっこいい世界だと思います。私たちは何度も推敲を重ねてできた小説が世の中に出るわけですが、ミュージシャンの方はじっくり楽曲やアルバムを作ったりするだけではなく、ステージという一発勝負の世界にも生きている。本当に尊敬します。私、大勢の人の前に立って朗読しろと言われても、絶対に無理です(笑)。

橋本:(笑)。でも、私は小説家のかたをすごく尊敬しています。実は私、自分自身の楽しみとしては音楽を聴くよりも本を読むほうが好きなんですけれど、まずこの文字量に圧倒されてしまいます。歌詞は紙一枚で収まるものだから、私でもなんとか書ききることができますが、この厚みの物語をひとりで書きあげるのはちょっと信じられないものがあります。いつも本を読むたびに、世の中にはすごい人がたくさんいるんだなと感じていました。

凪良:ありがとうございます。たしかに厚みだけ見ると、自分でも「よくこんなにいっぱい書けたな」とは思います(笑)。ただ、歌詞は文学のジャンルでいうと詩に近くて、削ぎ落としていく作業がメインだと思いますが、小説は最初に作ったプロットをもとに膨らませていく作業がメインなので、自ずと厚みは出てくるんです。歌詞が書けるというのも、私にとっては正反対の作業なので、やはり興味深いですね。

 橋本さんの歌詞には、一聴しただけでは汲みきれない複雑さがあります。恋愛のことを歌っているようで、同時に自分の生き方について歌っていたり、ひとつの歌詞の中にふたつの意味が込められていると感じることも多いのですが、実際のところはどうなんでしょうか。

橋本:まさにその通りです。私は基本的に、ものごとをわかりやすくストレートに表現するのが恥ずかしいと感じてしまうタイプなので、わざとわかりにくくしている部分もあります。わかりやすいと歌いにくくて(笑)。先ほどの「あまり感情を込めすぎない」という話とも通じますが、一度「あ、これは恥ずかしいことを歌っている!」と気づいてしまうと、もうダメ。だから、昔に書いた曲を歌うのとか、実はとても恥ずかしかったりします(笑)。20代の頃とは、同じ曲でも歌い方はだいぶ変わっているはずです。

凪良:私もずっと昔に書いた本は、同じあらすじで書いても違う雰囲気になるだろうなと思います。歳を重ねて自分の内面が変わっていくと、やっぱり表現も変わってくるのでしょうね。昔は純粋に「優しいな」と思っていた人も、今振り返ると「あの人、よく考えたらぜんぜん優しくなかったかも!」って気づいちゃったりしますし(笑)。

橋本:ああ、それはわかる気がします(笑)。