『文藝』編集長・坂上陽子が語る、文芸誌のこれから 「新しさを求める伝統を受け継ぐしかない」
特集テーマの考え方
――「天皇・平成・文学」、「韓国・フェミニズム・日本」、「詩・ラップ・ことば」、「中国・SF・革命」、「源氏!源氏!源氏!」。これまでの特集をみるとアジア、ジェンダー、文学史が軸になってきたと思うのですが。
坂上:確かに。けっこういきあたりばったりだったんですけど(笑)。
――他にあたためているテーマは。
坂上:さっきも10月発売号について会議していて「思いつかない、どうしよう」と話したばかりで(笑)。ジェンダー系のテーマは、編集部3人の興味が重なっていたり、雑談していても話題にのぼることが多いからかもしれません。アジアというのは、2019年は韓国文学のチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』が注目され、中国SFの劉慈欣『三体』もベストセラーになっていた。日本で翻訳されるのはこれまで英語圏の文学が多くて、アジア文学がここまで話題になったことはあまりありません。また、文芸誌でもアジアの作家の作品そのものは、そこまで紹介してこなかった。でも韓国文学や中国SFは読んだら、本当に新鮮でおもしろいんですね。しかも同じアジア圏だから読んでいてちょっと親しみがわくようなところもある。それで特集を組んでみました。
ジェンダー関連では、次号の特集がシスターフッドをテーマとしたもので、編集部のひとりが企画しました。「韓国・フェミニズム・日本」が売れたことは私たちにはとてもいい経験になりました。そういうテーマ意識を持った作家が増えている印象もあります。昨年の特集から1年たって、次号はその内容をさらに押し進めたものになると思います。
――坂上さんが編集長になる直前くらいから#MeToo運動や杉田水脈のLGBT差別発言など、その種の話題が相次いでいました。
坂上:東京医大入試の女性差別問題とか。
――次号特集のシスターフッドというのは『SFマガジン』が百合SFを特集したことも視野に入っているわけでしょう。
坂上:よく聞かれるんですけど、企画立ち上げのきっかけ自体はちょっと別の角度からかな、と思っています。「シスターフッド」という言葉そのものがフェミニズムにまつわる運動から来たものでもありますし、家父長制への抵抗が視野に入ったものであるように思っています。そういえば、「韓国・フェミニズム・日本」特集が創刊号以来の3刷になったときに、いろいろわからないことがあったので、百合SF特集が3刷だったことを思い出して、SFマガジンに問い合わせたりもしました……。もちろん百合SFが流行っていることは認識していますし、個人的にも面白いと思っている作品はいくつもあるので、読まれかた次第ですよね。
――編集長になってから取材され、記事になる機会が多かったわけですが、「女性ならではの感性」などといわれることについての苛立ちや憤りもあるのではないですか。
坂上:怒るというか、そういう言い方があると噂に聞いていましたが、おお、これかと。
――『文藝」の歴史では以前にも女性の編集長がいましたし、坂上さんが初ではない。
坂上:1人だけいました(高木れい子2010-2014年)。文芸誌の女性編集長は歴史的に少ないですが、この20年で女性編集者が増えた気はします。他社も含めて、文芸書の編集は女性が多い印象はあります。ただ、なんというか「女性編集長」という言葉に対する、みなさんの期待とか思いこみがなにかあるんだなと、立場が変わってから思いました。「女性だから自由なことができるんだね」と褒め言葉として言われることもままあります。まあ、何を言われても、アウトプットしたものがすべてなので、どうぞご自由にお楽しみいただければ、という感じです。
『文藝』と批評
――ホモソーシャルな世界が作られているという意味でそのことと関連すると思いますが、批評の息苦しさについて。以前、リニューアル後の『文藝』について「現状への批判や危機意識がない」という反応があったのに対し、「村の中の従来の批判方法や危機意識の尺度のままやってたら死んじゃいそうというのが正直なところ。他誌がやってくれるし」といわれていましたね。
坂上:「文芸批評」の枠組み自体にもっと疑いを持たねば、とは思っています。要するに「批評性」という言葉の批評意識、そもそもの立て付けをいまの時代にアップデートして考えることができていないのではないか、と。一方、批評の重要性に対して、批評が今置かれている状況が厳しいというのは、認識しています。それをいま『文藝』からどのような形で立ち上げればいいかは、課題です。
――『文藝』で批評を特集することは。
坂上:いずれやりたいとは思っています。どんな切り口がいいか、ずっと話していますが、なかなか形に落としこめない。『文藝』という場を使ってどういうことができるか、まさに考え中です。『文藝』はもともと批評には意識的で、季刊になった1980年代には後に作品社の取締役になった高木有編集長の頃に竹田青嗣さん、加藤典洋さんなどが執筆していました。「J文学」を仕掛け始めた阿部晴政編集長も人文哲学畑の編集者でもありますし、『文藝』という場に「批評」はずっとあるものなんです。
――現在は外出自粛で在宅での仕事が主ですよね。『文藝』をリニューアルした際、印刷所とのやりとりのPDF化、編集部へのSlackの導入などデジタル化を図ったそうですが、この状況になってどうですか。
坂上:本当にやっておいてよかった。無茶苦茶効いていますよ。
――今、リモートでできない最たるものはなんですか。紙のゲラですか。
坂上:雑談ですね(笑)。いや、あんな企画が、こんな人が面白いと3人であれこれ、しょーもないことも含め話していた時間が、意外とあったんだなと思います。それがないとすごく困るわけではないけれど、あれってどうだろう、これってどうだろうという時にパッと聞ける人がいないのはやりにくい。なにか力を失っている感じはします。Slackも結局、その場にいればすぐすむ話が5往復くらいになったり(笑)、効率は悪いですよね。
――文藝賞は今回からウェブ応募の受付も始めましたが、紙との比率は。
坂上:まだ集計は終わっていませんが、圧倒的にネットからの応募が多くて、過去最多の応募数になりそうです。ありがたい話です。
――『文藝』掲載作の今後の単行本化予定は。
坂上:昨年の秋季号の特集「韓国・フェミニズム・日本」を『完全版 韓国・フェミニズム・日本』として単行本化しましたが、今月、特集掲載の短編をまとめた『小説版 韓国・フェミニズム・日本』が出ます(27日に発売)。松田青子さんの書下ろしと、チョ・ナムジュ、日本では初紹介となる韓国の覆面SF作家、デュナの訳し下ろしを加えたアンソロジーです。
6月には倉数茂さんの『あがない』を、7月には今年春季号の特集「中国・SF・革命」の単行本化を予定しています。ケン・リュウと 郝景芳の初邦訳、柞刈湯葉さんの書き下ろし短編を新たに収録します。マームとジプシー主宰の藤田貴大さんによる初小説集『季節を告げる毳毳(けばけば)は夜が知った毛毛毛毛(もけもけ)』も7月、昨年『改良』で文藝賞をとった遠野遥さんの受賞第一作『破局』も夏くらいに出ます。
――掲載作の単行本化といえば、「韓国・フェミニズム・日本」特集の号が最終回だった李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』が3月に発売されましたが、初の女性総理の下で嫌韓政策が行われているという設定の力作でした。
坂上:李さんは2015年に『死にたくなったら電話して』で文藝賞を受賞しデビュー。今作はまさに作家として李さんにしか書けないもの、今しか書けない、魂の最高傑作だと思います。
――河出書房は新国立競技場のすぐ近くです。
坂上:今も目の前に見えています。
――東京オリンピック2020が予定通りの開催だったら『文藝』も特集していたんですか。
坂上:いや、ないでしょう(笑)。シスターフッド特集はずいぶん前から決めていましたし。
――こうして編集長として取材される時には、生真面目に答えなきゃならないですよね。
坂上:会社員である限りは(笑)。
――実は、坂上さんは「テキトーに」って言葉が好きだったりする。そのへんは自分のなかでどう折り合いをつけているんですか。
坂上:私の好きなラッパーの5lackがよく「テキトーに」といっているので(笑)。あと、視野を広く保つためにはなにかにのめりこみすぎてもよくない。苦しんでやるよりは楽しくやったほうがいいものができる、そう信じているところがあります。『文藝』の今の3人は本当にチームワークがとれていて、むしろ私があとのふたりに支えてもらっていますが、「とにかく楽しくやろう」といったところは共通目標です。
――クラブ通いもできない状況ですが、ここ最近のエネルギー源は。
坂上:正直な話、文芸誌なんか売れないと私が一番思っていました。2段組だしページ数を減らしたいので級数も落として、いまの時代にそぐわない、文字ばっかりで、読むのも時間がかかるし……。だから「韓国・フェミニズム・日本」が売れたのは本当にビックリして、文芸誌なんか売れないと思いこんでいた自分を反省しました。いい原稿をもらえたときがいちばんテンションがあがりますが、出したあと反響があるとすごく楽しいんですよ。優等生的な回答になりますけど、これは面白かったとか、こういうのがあるんだとか、誌面の感想を読んでいるときは至福です。