デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』
葛西純が明かす、結婚秘話と大日本プロレスとのすれ違い 葛西純自伝『狂猿』第8回
決定打となった横アリ大会
リングの外も中もいろんな波風が立っていて不穏な空気が漂うなか、大日本プロレスが文字通りの社運を賭けたビッグマッチ、横浜アリーナ大会が開催されることになった。俺っちも経験したことのない大会場だから、いままで以上の相手と、見たこともないデスマッチをやりたいと気合いが入っていた。でも、実際に決まったカードは、休憩前の第5試合で、マッドマン・ポンド、ワイフビーター、そして当日発表の「X」と「時間差4WAYバトル蛍光灯200本デスマッチ」。これじゃ、いつもとやってることが変わらないじゃないかって、ガッカリした。「X」の正体はザンディグで、試合は俺っちが勝ったけど、不完全燃焼だった。
小鹿さんとMEN’Sテイオーさんは、テリー・ファンクやマスカラスを呼んで、自分たちの好きなことをやってるように見えたし、関本大介は大谷晋二郎選手とシングル。ケガで休んでた山川さんは感動的な復帰戦をやってるし、俺っちの扱いってなんなのってなるよね。やっぱり、団体内の誰かから嫌われてたのかもしれない。俺っちが、勝手に好きなことをやって人気が出ちゃったから、調子に乗るんじゃねぇみたいな気持ちが少なからずあったとは思う。
この横浜アリーナ大会のメインイベントで、松永さんとシングルで対決したザンディグは、試合後にCZW勢をリングにあげて、大日本プロレスを離脱することを宣言した。俺っちは、そんなことになるとは知らなかったけど、その光景をみて、もうCZWは来ないんだということは確信していた。
このメインのあとに山川さんの復帰戦があって、最後に大日本プロレスの選手のほとんどがリングに上がって涙を流していたけど、俺っちは、その輪の中には入らなかった。
■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。twitter
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