『鬼滅の刃』とは正反対の物語? 『大正地獄浪漫』で描かれる鬼、差別、時代

 言論の自由が与えられ、誰もが選挙権を持った世の中で起こるのは衆愚政治であり、国家を衰退に導くという片目の論法。現実の日本は、こうした論法を乗り越えることで自由主義が浸透し、軍部が力を持った戦争期を経て、大きく発展していった。そこでの恩恵を受けて育っている現代の日本人にとって、片目は悪といった見方もできる。

 もっとも、「本屋」の扇動によって自由を標榜するようになった一派が起こした騒動を見ると、片目の願望を否定できない気持ちも浮かぶ。言論の自由を標榜して、人を傷つけ分断し、対立をあおるような言説がはびこって、人身を荒れさせている現状が、片目と「本屋」のどちらに味方をしたら良いかを迷わせる。

 この国で闇に隠れて続いてきた存在が表に出てきて、片目が護持しようとしている日本という国の体制に疑問を投げかける展開もある。それが鬼。『鬼滅の刃』で断罪される人外のモンスターとは少し違い、日本の歴史で鬼の子孫として語られ、朝廷に特殊な目的と技能で仕えてきた一族のことだ。

 鬼の一族は、朝廷との契約に縛られて、日本という国に反旗を翻すことを許されていなかった。人形屋籐子や人形女給兵団のメンバーの幾人かもそんな鬼の一族で、契約に従い片目の下で「本屋」殲滅の任についていたが、片目の専横をきっかけに決断を迫られる。片目をリーダーと認めついていくべきか。それとも朝廷に代表される大和民族からの長きにわたる抑圧を抜け出して、自分たちの思うままに生きていくべきか。

 人外の存在として描かれる『鬼滅の刃』の鬼とは違い、民族的な違いが「鬼」という呼称であり、「土蜘蛛」という呼称で表され虐げられる存在を生み出し、同じ国の中に格差を作った。そのことへの反発がもたらす騒動は、現代の日本や世界で起こっている民族や宗教による差別の暗喩としてとらえられる。

 結末がまた凄まじいが、それは読んでもらって妥当か否かを判断してもらいたい。そこで示唆される日本滅亡のビジョンは、決して絵空事ではないと言っておこう。『鬼滅の刃』で興味を持った大正という時代が、どのような社会や文化を持っていたかを知ることもできる『大正地獄浪漫』。ご一読あれ。

■タニグチリウイチ
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。

■書籍情報
『大正地獄浪漫』(星海社FICTIONS)1〜4巻
著者:一田和樹
イラスト:江口夏実
出版社:講談社
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000313200

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