山崎まどかの『ザリガニの鳴くところ』評:多くの問題を内包する大ベストセラーの魅力

 『ザリガニの鳴くところ』の舞台はアメリカの南部、ノース・カロライナ州。湿地帯の森にはオークやマツだけではなくパルメットヤシの木が茂り、潟湖を取り囲んでいる。シラサギ、オオアオサギ、ハチドリ、様々な鳥が森や潟湖を飛び交う。ヒロインのカイアの趣味は、その鳥たちの羽根や卵の殻を収集し、分類することだ。

 著者のディーリア・オーエンズはもともと、動物学を学んだノンフィクション・ライターで、その分野ではベストセラーもある。だから、自然の描写が美しい。“湿地の少女”カイアの目を通して見る森や沼地は神秘的であるのと同時に生々しい。南部の鬱蒼とした森で孤独に生きる少女を主人公にした『ザリガニの鳴くところ』は、様々な視点から楽しめる作品になっているが、豊穣な自然の描き方もその一つに数えられる。その自然に助けられてサバイバルする幼い少女の生活ぶりには、冒険小説の要素もある。当初、カイアは森の掘立小屋で家族と共に暮らしていたが、母の家出を機にアルコール依存症の父親の虐待に耐えかねたきょうだいが次々と出ていき、彼女が10歳になる頃には父も帰ってこなくなる。1950年代から60年代の話とはにわかに信じられない、想像を絶する貧困と荒んだ家庭環境。南部のプア・ホワイトの生活やメンタリティが垣間見える。自分よりも更に貧しい人々や黒人を蔑む、保守的なアメリカのコミュニティの姿が見えてくる。その偏見がカイアの孤独をより一層、深めていく。

 『ザリガニの鳴くところ』に近い小説を挙げるとしたら、ジーン・ポーターが1909年に発表した『リンバロストの乙女』だろう。舞台は中西部インディアナ州で、ヒロインのエルノアは沼地に近い森に住んでいる。カイアと違って彼女には母親がいるが、とある理由で母親は自分の娘を憎み、エルノアはネグレクトされている。彼女は森で珍しい蝶を採取することで学校の資金を稼ぎ、親に愛されないことからくる自己評価の低さと絶えず戦いながら、懸命に幸せになろうとする。家族から捨てられた後は学校に通うこともなく、貝や魚を集めて生活費を稼ぎ、最後には鳥の分類スケッチが仕事となるカイアに、その境遇はよく似ている。『ザリガニ~』は豊かな自然を背景とした、アメリカの少女小説の伝統を受け継いでいる。

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