松田龍平×綾野剛『影裏』、原作小説が描いた“日常”と“震災” 映画で紡がれる新たな物語への期待

 松田龍平、綾野剛の初共演で話題を集めている映画『影裏(えいり)』(2020年2月14日公開)。原作は、2017年の文學界新人賞、第157回芥川賞を受賞した、沼田真佑による小説だ。

『影裏』の魅力の中心にあるものとは?

 主人公は、医療用品を扱う会社に勤める今野秋一。出向で岩手に移り住んだ今野は、周囲の人たちや土地柄になかなかなじめずにいたが、ただ一人心を許したのが会社の同僚、日浅典博だった。互いに川釣りと酒が好きで、すぐ意気投合した二人は、静かな交歓を深めていく。その関係に変化が生まれたのは、日浅が会社を辞め、互助会(結婚式、葬式などに備え、会費を積み立てるシステム)の訪問営業の仕事に就いたことがきっかけだった。ふたりは少しずつ疎遠になり、孤独な時間に戻ってきた頃に、震災が発生。今野は、日浅の消息が分からなくなっていることを知る――というのが、『影裏』のあらすじだ。

 映画『影裏』の公式HPには「突然消えた親友。哀しみも、過ちも、失って」とあり、実際にその通りのストーリーなのだが、原作の小説にドラマティックな展開はほとんどない。“今野は同性愛者で、かつての恋人は性別適合手術を受けて女性として生きている”という重要なエピソードも、うっかりすると読み落としてしまうほどのさりげなさでしか描かれていないのだ。主要な人物である今野、日浅の背景もほとんど説明されず、ただ日常だけが淡々と過ぎていく。そう、小説『影裏』の魅力の中心にあるのは、驚くような物語性でも緻密な構成力でもなく、一見、何事もなく過ぎていく日常の描写そのものだ。

 たとえば、「一種の雰囲気を感じて振り仰いだら、川づたいの往還に、立ち枯れたように直立している電子柱の頂に、黒々と蹲る猛禽の視線と私の視線がかち合ったりした」(10Pより)もそうだが、ひとつひとつの描写が美しく、読み手に情景を喚起させる力も十分。ストーリーとは関係のないところで、小説を読む悦楽を存分に感じることができる。頭のなかで音読するとわかるのだが、日本語の響きを活かした(いわばキャッチ—な)言葉遣いもきわめて魅力的だ。また、今野と日浅が釣りをする場面、酒を酌み交わす場面に顕著なのだが、作者の沼田が住んでいる盛岡の生出川の描写はもちろん、ふたりが使っている道具や車、タバコやアウトドア用のグッズなどを詳細に描いていることも印象に残る。その根底にあるのは、何事もなく過ぎていく日々に対する、執着と言っていいほどの愛情だろう。

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